我が家の孫娘が大学受験だ。父親の職場の関係で、彼女はシカゴ生まれだ。いわゆる二重国籍だ。

その後1年半東京住まいをし、今度はインドネシアへ移った。幼稚園はインターナショナルに入った、同じくンターナショナルの小学校に入り、途中で日本に帰国した。小4から中1は日本だ。

当然の推移のように思っていたが、中2の時シンガポールのインターナショナルの中学に入った孫娘は今度は大学受験だ。高校は中高一貫が子がシンガポールだ。もちろん、9月入学だ、

 

本人の曰く、幼稚園も小学校も、中学校も、高校も 転校、転校で落ち着かない。大学は日本で過ごしたい。本音はちょっと違うみたいで、日本で9月入学校へ英語で受験し、2年過ごしたら、叔母の住むサンディエゴに移り、3,4年はアメリカで卒業したいということのようだ。

アメリカの学校と日本の学校と制度の話や受験の話で、色々ややこしいことがあることに気が付いたのはうかつながら昨年の夏ごろだ。

 

第一、   日本に英語で受験できる大学など数えるほどしかない。

第二、   本人側の問題だ。

 

ここで再び対頂角だ。

対頂角 

英語で Vertical Angle (oogle翻訳)という。ちょっと変だ、Google以外で調べたら、opposite angleと出た。こちらの方が実態に合う。爺も、ちょっと参画させていただくと、爺の学んだ対頂角は日本語だ。

英語で論文を書く時、辞書を引いたり、Googleのお世話になったりするが、全体からするとちょっとの部分だ。

過去、孫娘達が夏休みで東京に来る時、リザード(Lizarid とかげ)とか、ダイナサウール(Dinosaur恐竜)とか英語で表現する。当たり前だ。それ以外が必要があれば学ぶが、学ばなくてもどうということはない。

第一に、彼女は日本語では受験できないことに気がついた。学年のある時期、どこが他国で教育を受けると、単語がその時の言葉になる。各学年の授業を2ヶ国語でマスターするなどできない相談だ。それは自分を見ると良く判る。英語で発表もするが、自分の得意分野に限られる。

 子供達は、生まれたときから、お母さんや、近隣から浴びるように情報を貰って成長する。ここを取り違えて子供に多大の期待をし潰してしまう例がいかに多いことか。

 

今週は、世界で恐ろしいことが起きた。思い出したことだが、大学へ入ったばかりのころ、神戸の回教寺院へ通ったことがある。沐浴してコーランを詠むが、初めに名前を付けてくれた。イリアスアッサンだ。美しい朝という意味だと聞いた。そのとき、先生曰く、将来アラビア半島に出掛き、トラブルに巻き込まれたら。何も言うな。ただ「サラーマレイクン」と祈り、自分を指して「イリアスアッサン、イリアスアッサン」と繰り返せば、命拾いをするかも知れないと言った話だ。

あの時の話は、本当の話だと知ると同時に、他国を学ぶのは何と難しいことかと再認識した。

 

色々経緯あって、現在、子供達と孫達は、シンガポールとカリフォルニアに住んでいる。アルジェリアの事件を思い出すまでもない。国際化のいかに難しいことか。

(2013-1-22 Yoshi)