話は再び27億年前に遡る。藍藻が発生したのが27億年前で、これ以前には空気中に酸素は無かった訳だから、最初の植物は藍藻だったろう。原核植物が機能分化し、真核植物が発生したのが15億年前である。海の中で発生した藍藻の組成を推定するのに、今ある文献から、レッドフィールドの知恵を借りよう。

次式は微細藻の組成である。

(CH2O)106.(NH3)16H3PO4

である。ここで、炭素:窒素:リン原子数の比は,106:16:1である。ちょっと計算しよう。この微細藻の、炭素・窒素・リンの重量比は、54.2 : 9.2 : 1.3 である。手元にデータのある緑藻ヘマトコッカスの重量比と比べてみると、栽培初期の増殖細胞では、その比は、54.9 : 10.3 :1.8 で、休眠細胞では、 51.2 : 2.9 : 1.2である。炭素量は増殖・休眠両細胞ともかわらず、窒素量が増殖時から休眠時に変わると、著しく減少し、リンの量はあまり変わらない。

これを見て判ることは、レッドフィールドの式はヘマトコッカスによくあてはまる。ただし、窒素については、成長とともに変化する。すなわち、増殖に窒素が必要だが、成長し終わると窒素は必要なく、逆に窒素を減らしていくと、たんぱく質は他の成分に変わる。その間リンはあまり変化しない。この話の趣旨に照らしてみると、たんぱく質は、微細藻の体を構成することおよびたんぱく質として微細藻の代謝の大きく関わっていると言えるではないか。

ところで、窒素はどこから来たのだろう。窒素がどこから来たかは前にも議論したが、海水に溶けている。

海水中で窒素とリンは水深1,000m以深ではほぼ同じ比率で溶けている。ただしそれより浅くなると、だんだん濃度がチクくなり、海表面では0(ゼロ)となる。これは、海表面では光合成が起き、窒素・リンはゼロになる。

先に海洋大循環の話をした。ニューファウンドランド沖で氷結し、水が凍って重くなった海水は海底に潜り、南極付近にまで到達する。海底の思い水は、南極の氷結で重くなった海水も集め、海底を西から東へ名がるる。海洋大循環だ。海洋では上層・中層で死んだ動物・植物がマリンスノーとなって、その窒素・リン濃度を高める。ペルー沖の湧昇流に窒素・リンが多く溶けていることはご承知のとおりだ。

一方、小さな循環もある。たっぷりと餌をほおばり 丸々太ったが、アラスカの川を遡上する。産卵を終えた鮭は川上で一生を終えるが、熊や狼、人間や鳥達が之をついばむ。このようにして、海の窒素・リンが大地に戻る。木々が枯れると、窒素・チンは雨水に溶け、川を経て海へ戻る。窒素の源は大気中の窒素ガスで、雷などのエネルギーを得て、反応し活性化して海に到達したものだ。窒素を固定する微生物がたくさん地中に住んでいるのもご承知の通りだ。藍藻が酸素を作り、大気中の炭酸ガス濃度がだんだん減少した中で海水中の窒素やリンが増えてきた。リンのクラーク数は13で、塩素・マンガン・リン・炭素と続く。クラーク数は、地表近くの土壌に含まれる元素を大きい順番に並べたものだ。13番目に多い元素だとすれば、海水中に必要なリンがとけこむのに、27億年は十分すぎる時間だ。

ここで、突然のフィッシャー合成は、海水中の窒素増加に大きな影響を与えた(あるいは与える)と考える。

人々の豊かな食糧を与えた合成肥料は、一方で河川の汚濁をもたらした。

(下図は黄河の汚染である。National Geographic May 2008より。)



Yoshiのブログ


チベットから流れ、大きく北へ迂回する当たりから汚染がはじまり、北京へ向いて東に流れを変えるころかなりの汚染だ。(やや薄い赤色)洛陽付近で最も汚染が進み(濃い赤色)、流入する河川でやや汚染が薄められながら、渤海湾に注ぎ込む。汚染に加え、河川水の過多利用により、黄河は1997年には226

日間断水(河口まで水が来ない)している。汚染が進み断水すると海へのケイ素の流入が止まり東シナ海の漁獲が減少する。微細藻の立場でいうと、珪藻が作れないのである。

何も中国に限ったことではない。ライン河もミシッシピー河でも同じことが起きている。

2012-10-15 Yoshi