吾輩が微細藻であるが、吾輩を含む生き物について、これまでとちょっと違った視点で語りたい。

違った視点とは、地球上にある原子の視点だ。目的はあくまで微細藻をより良く理解することだが、原子の視点とは、地球上の物、例えば水や、窒素や、人間は、増えているのか、減っているのか、それはなぜだ。そのままで良いのか、それはどうしようもないのか、など、思うにまかせて物語ろうというものだ、我がブログの読者諸君も一緒に考えて欲しい。難しいテーマなので間違うこともあろうが、またあとで考え直せばよいと思う、

海の微細藻と陸の植物と本質的には同じものか、別物か。食物連鎖というのは海の話と捉えられているような気がするけれど、それでよいのかなどである。YoshiChemical Engineer(化学工学技術者)である。話は化学工学的に進めよう



Yoshiのブログ-マイクロリアクタ

生き物を考える時、話の始めは光合成だと思う。

CO2 + H2O = CH2O + O2

大気中の炭酸ガスと水がでんぷんと酸素に変わる。炭酸ガス分子1個と水分子1個が反応する訳ではないので、少し、正確に書けば

6CO2 + 6H2O = C6H12O6 + 6O2

となり、6分子の炭酸ガスと6分子の水からでんぷん(C6H12O6)ができ、酸素ができる。この時のエネルギーは太陽エネルギーだ。


話の始めと、話の終わりがこんがらがるが、ちょっと理屈も加えると、炭酸ガスは、何かが燃えてその結果できるもの、いわば地上の生き物の最終到達点だ。光合成は生き物の最終到達点から逆戻りする話だ。水だってそうだ。水素が燃える(酸化する)と水ができる。水は水素の最終到達点だ。燃え残りを集めて、でんぷんを作る話は、生き物の物語(以後 生き物語)の主役の一群、植物と動物のうち、植物が動物の廃棄物炭酸ガスと水素の燃え残りからでんぷんを作り、酸素を作る話だ。いわば植物と動物との間のリサイクルだ。

水と酸素についてもちょっと考えよう。どこにでもある水だが、水は地球ができた時、生成した水が、我々が実験室で水素を燃やして作ったり、福島の原発事故で少量できた以外、最初にできた水が保存されているようだ。海にあって地表のミネラルが溶けだした海水と、海水から蒸発して空に昇った純水が、雨となって降る真水の2種類でこれも不変だ。地球は大きいから水も大気も無限大と考えていたが、そんなことはなく、気がつけば大気中の炭酸ガスが増えているのは、もう皆様ご承知の通りだ。地球なんて小さなものだ。金魚鉢と変わりはしない。

ちょっと話は変わるが、ヒトの体の中の水だって同じだ。毎日水を飲んでいる。時にメロンを食べると、甘い香りが口の中で幸せをもたらすが、そんなものはつかの間の幸せだ。そこへ行くと毎日飲む水はそうはいかない。数千ppmの塩素だって、蓄積すると十分ヒトを死に至らせる。計算をする習慣も必要だ。ようは時間と食べる量との掛け算だ。一瞬の放射能汚染など大したことはない。自分で計算してみることだ。

酸素は人間の生活に必要だ。ところが実は問題だ。光合成で酸素ができる。有難いことだ。ところで実は酸素は大した悪玉だと考えたことがあるだろうか。酸素は地球上のあらゆるものを酸化して破壊している。

鉄筋コンクリートだって鉄筋がさびて壊れるが犯人は酸素だ。だいたい、冒頭の光合成にとって酸素ができた端から消えてくれれば反応はどんどん進むが、光合成を閉じたカラス容器の中で行うと、炭酸ガスが無くなって酸素だけになって反応は終了する。生き物には、酸素の中で生きているものと酸素のないところで、生きているもの、その途中で生きているものがあり、自分の住むところ以外の環境を作るものは皆な的だ。

書きながら描いていた図は、海だ。いったんみずに入ると、3分たつとヒトはしぬが、魚は悠々いきている。

東京湾に青潮(酸欠の海)ができると、魚はおろか貝まで死んでしまうが、そこで元気に生きているものがいる植物だ。

ところで、池の中で実際微細藻を栽培する際には、肥料として窒素やリンを入れるが、どうなっているのだろう。先に微細藻の組成の話をした時、たんぱく質もあったし、微細藻の細胞壁はリン脂質であるとも話した。生き物が生きるために必要な栄養だが、判りにくい話だが、栄養に独立栄養と従属栄養というのがあって、独立栄養とは、植物の光合成のように、炭酸ガスと水からでんぷんを作る反応で、従属栄養とは、例えば微細藻のクロレラを栽培するのに、炭酸ガスではなく、炭酸ガスではなく、炭酸ガスを使って反応させた化合物、酢酸を池の中に入れたりすると、これを従属栄養という。

話を少し前に戻して、光合成をするのも、光合成をおこなう場所や、道具が必要で、たんぱく質があれば窒素があり、DNAがあればリンがあり、細胞壁があれば、リンがある。今ちょっと慣れたが、エンジニアである

Yoshiにとって解りずらかったことは、装置がないのにどうして物を作るかということだったが、生物界では、膜で囲まれた場さえあれば全てOKで、膜で囲まれた小さな胞の中に仕組みがあり、この胞が浮いている水(培地)があって培地の中の物質(基質)と膜の内外で物質の交換がなされどんどん物ができていく。

仕組みと書いた、胞の中身は、新たな胞、たんぱく質、DNA、酵素などで、これらは、光合成でできたでんぷんなどを材料にして増幅していく。細胞はミクロの反応器だ。

ところでたんぱく質の材料の窒素は究極は、大気中の窒素で、リンは地表の元素だ。

2012-10-10 Yoshi