972927日、今日だ、日中共同声明調印、時に田中角栄首相だ。現在両国の関係がおかしくなっているが, 我が家の10年を振り返ってみよう。

 

1972年 入社6年ながら、Yoshiにとってフランスの時代で、フランスIFPから水添脱硫のプロセスを導入した。高度成長時代の初期、プロセスエンジニアとして、一人で、パリ、リヨンに出掛け、水島、仙台、坂出でプラントを建設した。先日坂出の製油所廃止を新聞記事で見、今昔の思いだった。

 

1982年 アメリカの時代だ、活動の舞台は石油からLNG。インドネシア・ボンタン、東カリマンタンは、ボルネオ島の東岸北緯60′(1 以下である)。海水温が年中24℃ぐらいなので、気温は26℃で、今年の東京よりはずっと涼しい。なんでも建設の始めには、柵の向こうまでオランウータンがやってきたということだ。設計はテキサス州ヒューストンでの仕事で、部下4人と乗り込んだ。2年間の滞在だ
 

 この年、夏休みに末の娘が一人でヒューストンにやってきた。小学校の6年生だ。

 仲間の家族と、娘も連れて遊んだイエローストーン国立公園は、雄大で、強烈な印象だった。仲間を含むすべての家族にとって、大北変革の第一歩だった気がする。全ての若者にとってこのような機会があらんことをと望みたい。

 

1992年 地球温暖化防止の研究真っ盛り、微細藻と出合い、東北電力との共同研究で、 発電所排   ガスを池に吹き込んでの炭酸ガス固定の長期パイロット試験が始まった。

 

 この年、末娘がミズーリ州立大学を卒業した。東京の女子高を卒業し、その年の9月にアメリカの大学を受験・合格し、頑張屋の彼女は正味36ヶ月で、大学を卒業したことになる。

 

2002年 微細藻の国際ネットワークができ、この年、前年のローマに続き、スペインのアルメリアで第二回   の会合があった。海岸でオリーブ油を掛けて炭火で焼く屋台のにおいがなんとも食欲をそそり、毎日続けて食べた。懐かしい。

微細藻に関して、この年、京都でGHGT-6(6回炭酸ガス固定技術に関する国際会議)発表した。本年、GHGT-11が京都の同じ宝が池で開催されるのは、偶然だが、温暖化はどんどん進み、温度上昇は予測よりはるかに速く迫ってくる。

 

  この年末娘は、カリフォルニアで会社勤めを始めた。前年アメリカ人と結婚し、亭主の協力の下の就活

  で某企業の社長秘書に収まった。今も続けている。

 

2012年  インドの時代である。今週ちょっと関係あるELSEVIERの、先進的開発が必要である理由はとのインターネット上の討論会で、「人口増加に伴う、エネルギー不足・食糧不足に備えることが大事である。そのために微細藻の果たす役割は大きい。」といったが、本当にそう思う。

 

 一方、末娘は今年、勤めて10年になる。昨日社長が交代となったそうである。

 

 さらに、上の娘の孫が来年大学受験だ。こちらはシンガポールに住んで、学校はインターだから、一度日本で初めから一貫した教育を受けてみたいというものだから・・・。

9月入学のところを探すが10年ひと昔随分区切りが解り易いと 変なところで感心している。
K 
娘のカリフォルニアの家
(2012-9-28 Yoshi)