子曰:“君子喩于義、小人喩于利”
子曰く、“君子は義に喩り、小人は利に喩る。”
The Master said, “The gentleman is conversant with righteousness, the small man is conversant with profit.”
前にも述べたが、今使っているテキストはシンガポールの書店で購入したものだ。先に、シンガポールの土産に漢詩の本を頂いたので時々見ているが、論語も中国の子供用のテキストなら判りやすいかもしれないと思ってのことだが、之が大きな誤りであったことは良く判かった。第一、漢字が略字だから昔学んだ漢字とは全く違う。漢和辞典を引こうにも、読みを調べるにも、突き合わせに多大の時間をようする。読み方は孫が教えてくれるがこれも1年に数回だ。
本題の内容だが、子供のテキストにしては何とも内容が深淵であると思う。こんな事子供に話してどうすると思うが文句を言っても始まらない。
調べて思い知ったことだが、例えば「義」だが、日本人の考える義と中国人の考える義とはかなり違うらしい。孔健さんの受け売りだが、中国人が「義」と書いて思い起こす言葉は、義気・情義・結義・行儀・義演で、日本人のそれは、信義・仁義・義勇・正義・義理・義務・道義だそうな。日本人のそれはヤクザ映画のセリフのようだし、中国人の思い起こす義演とはボランティアのことだそうだが。生まれて初めて聞く言葉だ。
「義」は「羊」が「我」の上に有ることが語源だが、騎馬民族の中国人にとって、他民族との争いの中で、生贄(いけにえ)の羊を我が身に背負って動く、命を掛けた儀式を示す言葉でとても日本人に理解できる話しではない。
君子は義が良く判っている。(表現は悪いが)小人は利にさとい。
と書けば孔子の言ったことが少しは判った気がする。
(2012-9-2 Yoshi)