子曰:“朝聞道・夕死可矣”
子曰く、“朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり。”
The Master said,” If in the morning, I learned the Way, in the evening, I am able to die. It is my long-cherished desire.”
聞道:人の行うべき道を聞き知る。道は言うの意。孟浩然の詩に、聞道梅花早とある。(新字源)
この言葉の意味は本当にどういうことか考えてみた。結果として、現在の結論は、先の
「道不行、乗桴浮干海」と対比すると判ったような気がする。
孔子は55歳の時、失意の旅に出た。その後、68歳で季康子によって魯に呼び戻されたが、前後に、67歳で妻を亡くし、69歳で息子に先立たれ、71歳で愛弟子の顔回にも先立たれている。「朝聞道」が「道不行」の後に、告げられたとすれば、魯に帰って、「朝聞道・夕死可矣」と思ったのではないか。
もう一つ気付いたことがある。ロンドン五輪で、柔道日本男子は金メダルを逸した。曰く
五輪は日本柔道とは別物になったと。
茶道、華道、剣道、柔道 これらはそれぞれの分野が、心を重んじ、命をかけて、奥義を極めるということだろう。孔子の言っていることは、人生の道を極めたら死んでも本望ということなら判り易いと思った。
(2012 -8-19 Yoshi)