ハマグリの話しをしよう
ハマグリもAlgae Easterである。
ハマグリもと来ると、他の貝はどうなのかと気になることだろう。ハマグリと来たのは、二枚貝の代表として提示させて頂いたのは、吾輩が1990年の初めからハマグリと付き合ってきたからだ。
忙中閑
自分をふり返って、
1960年代をフランスの時代、1970年代をアメリカの時代、2000年代をインドの時代と区分しrている。
フランスの時代:
大学院を出て、企業に勤め、化学プラントの建設にたずさわった、国内で、研究開発プロジェクトの一員として北陸高岡で、パイロットプラントからスケールアップし商業設備の建設にまで 参画する機会を得たこ等、昨今の日本の実状を思い起こすと望外の幸運と言わざるを得ないが、途中爆発事故で友を亡くした不幸も乗り越え、建設成功に至り、続いて、日本に従来アメリカからの技術提携を続けてきたところ、石油の水添脱硫にフランスから技術導入し、国内で10基ばかり、プラントを建設し、その間日本とフランスとを何度も往復した時代だ。
特記すべき(と思っている)事は、1968年5月10日の5月革命だ。前日シャンゼリゼのデモに加わり、学生気分で練り歩いていたところ、翌日リヨンでジェネストに捕まり、動きが取れなくなって、リヨン・パリ・アムステルダム・東京と、白タク・JALのバスと乗り継いで帰国したときには、途中朋との出会いもあり。忘れられない思い出だ。
アメリカの時代:
1980年代はアメリカの時代だ。手始めは、LNGプラントだ。インドネシアの東カリマンタン赤道直下で建設する世界最大の液化基地で、日米共同プロジェクトだ。後輩4人を引き連れ、プロジェクトチームのあるテキサス州ヒューストンに乗り込んだ。プロジェクトチームメンバーに世界11ヶ国から人が集まったのも圧巻だ。
それまで何度もアメリカを訪れてはいたが、家を借り、5人分の預金口座を開き、車を借り、免許を取得し、ソーシアルセキュリティー番号も貰い、いっぱしの住民となり其々がチームに溶け込んで、プラントを建設したのも凄かった。吾輩の担当は、オフサイトのプロジェクトエンジニアだが、主たる任務は、当時世界最大の
陸上タンクで、容量は、127,000m3だ。ヘリコプターで現地を訪問すると、ひときわ目立つ巨大タンクだ。
建設が終わり、日本に帰り、しばらくして地球温暖化問題の研究開発に取り組むこととなり、今度はアメリカと日本との往復が始まった。
日本は、100万トンのタンカーで中東からどんどん原油を日こんできて、燃やす。炭酸ガスを液化したとしても、原油の数倍の液化炭酸ガスとなる。この莫大な炭酸ガスを一体どうすればよいのか、原点に戻れば、炭酸ガスと水から原油を作れば良い。微細藻をつくり、原油を作れば、元通りであるが、地球が何億年も掛けて作りあげた原油を数年で作るなと、天地がひっくり返えったってどうにもなるものではない。バイオジ^-ゼルそれである。
インドの時代:
1990年から始まった微細藻による炭酸ガス固定は、当時、研究はそれなりの成果を得たがそのまま電力会社が炭酸ガス固定を実施するには至らず、繋ぎに日本でハマグリ生産プラス餌の屋外微細藻大量栽培に取り組んだ時代だ。あっという間に10年が経過した。そんな中で、微細藻屋外栽培の先駆者たるインド人と知り合った。広大な土地を有し、赤道にも近いインドは、我々の大切なパートナーだと思う。
インドの巨大微細藻屋外栽培の設備の概要を添付しよう。
奥行き約100mの池で、水車で水流を作る。水車で写真の奥方向の流れを作り、一番奥で方向転換し、戻ってくる。浅い池で、流れによって水が攪拌され、池の表面も、池の底も一様に光が当たるように工夫している。池で微細藻が成長するが、こような状態で、空気中に沢山いる動物プランクトンが池に落ち、池の中は微細藻と動物プランクトンとの戦場となる。食うものと食われるものだ。微細藻と動物プランクトンを比べると、微細藻の細胞壁は、動物プランクトンの細胞壁より強靭で水流に強い。栄養塩、炭酸ガスなどは途中一か所で注入するので、一周する間に段々濃度が低下し、注入して元の濃度になる。インドは始めて藍藻が発生したシャーク湾の緯度に近く、微細藻が自生できる環境でもある。
(2012-7-19 Yoshi)
