Yoshiのブログ-知之

子曰(ziyue)(you)誨女知之乎(huiruzhizhizhihu)? 知之為知之(zhizhiweizhizhi)不知(huzhi)(wei)不知(huzhi)是知也(shizhiye)。〝

子曰く、由よ、(なんじ)之を知るとはどんなことかを(おしえ)ようか。之を知るとは之を知ることだ。之を知らないとは知らないことだ。これを本当に知っているというのだ。

由:子路 為:する、みなす 乎:呼びかけ、・・・や? 誨:教える。

The Master said, “You, Do I teach you what does ‘I know this.’ mean ?.

‘I know this’ means ‘I know this’ ‘I do not know this’ means ‘I do not know this.’

This is what ‘I know this.’ mean”

知るという事と、知者の知は、同じ意味かどうか良く判らない。ではあるが、論語の別の章(雍也第六)に、知者が出てくるので、調べて見よう。

知者楽水、仁者楽山;知者動、仁者静;知者楽、仁者寿。


最後のちころは、知者は楽しみ、仁者は命長し、と読む。先に、孔子が大切にした五徳として、仁・義・礼・知・信を挙げ、最高の理想を仁と考えているところから、知は仁に至る過程とみるのが正しいと思うが、仁者の山・静・長寿、知者の水・動・楽の対比に、知者に若者が学問し、貪欲に正しい判断の礎を獲得する姿を見る。

また、別章に

務民之義、可謂知矣とある。人民に対し、義(正義)を以て、務めることは知と謂えるということだ。

孔子の謂う「知」とは、学問を続けて、その結果として、惑うことなく正しい判断が出来るようになった状態になる基盤、知者とはそれを身につけた人と言えるのではないか。

(2012-7-15 Yoshi)