これまで、吾輩について縷々ご紹介してきたが、ここでもう一度、木と草と藻とを比較し、微細藻って本当に重要かどうか考えて見たい。何が違うかが検討課題だが、次の項目について調べたい。;
生息環境:寿命の話し、どこに育つか、栄養の取り方、年間の生息期間性能比較:生産性(日量、年量)、
生息環境:寿命/生息場所/年間生息日数/栄養の取り方
杉:100年/土壌/365日/光・水・CO2(大気)・肥料(自然まかせ)
米:1年/土壌/180日/光・水・CO2(大気)・肥料(窒素・リン)
クロレラ: 1日/水中/365日/光・水・CO2(純物)・肥料(窒素・リン他必要なもの)
ちょっと説明がいると思う。
杉は自然に植わっているのだから言って見れば放りっぱなし。寿命100年とは書いたが、1,000年のものもあるし、短いものもある。とにかく放りっぱなし。長い期間には、寒い冬も、熱い夏も、台風も山火事も何だってある。害虫が入って、食われてしまうものや、周りの力強い仲間に負けて日照当たりが悪く仲間の半分しか伸びないものもある。1日中雨が降ったって何ということはない。じっと待つだけだ。結果は年輪に現れる。冬は成長が止まる。そうそう肥料だって誰もくれない。でも大丈夫。秋 鮭が近くの河を遡ってくる。産卵が終わると死んでしまうが、熊が食べて、熊が死に、その亡骸が栄養になる。そうそう忘れてはいけない。太古からのミネラルが土壌に含まれ、根を伝って葉っぱまでやってくる。1,000年が一周期のバッチシステムだ。
米(イネ)は人が植えたものだ。過去自然に生えていたものを数百年かけて日本人が改善してきたものだ。寿命1年と書いたが、正確には1年生と書くべきだ。ところが、これも調べてみるとちょっと違い、稲作に適した時期は年に一回で、日本でも地方により異なるがそれぞれの地方で都合のよい時期に田植えし、半年後に収穫することに決めたもので、植物の都合よりが人の都合によるものだ。
ついでに田植えだが、これは
春先種をまくと、イネと一緒に、雑草も育つのだ。イネだけ苗代で先に作り、ハンディキャップを付けて、水田に植え付けると、イネだけがもう既に大きくなっているので、雑草には負けないという工夫だ。年の内、およそ120日をイネに使用するということだ。
場としての水田は、これは浅い池で、ここでも、例えば水深5cmの水田では、表面の大気と接触しているところがら、大気中の酸素や炭酸ガスが溶け込み、好気性であるが、水底付近になると怪しくなり、少なくとも水底の泥を5mmも掘ると底は嫌気性だ。別の言い方をすると、水田で上の方には好気性細菌がごまんと棲んでいるが、水底の泥をちょっとめくるとそこには嫌気性細菌が棲んでいるということだ。自分の経験からすると、ここは嫌気性だの好気性だのと決めつけると大抵間違っている。たった1mmしが離れていなくても、そこに生物が棲んでいて、例えば酸素を消費してしまったらたちまち酸欠の水田となる理屈だ。先週東京湾で大量の死んだイワシが浮いてきたがこれなど顕著な例だ。溶融酸素が棲んでいるイワシの量に見合わなくなると、とたんに死の海となる。
そうそう、栄養の話しだ。川から水を引き、光は空から。CO2は大気からやってくる。肥料であるが、窒素・リンを必要量 人が施肥する。
問題は、その他に何が要るかで、大抵の場合、必要なミネラルは土壌が供給する。「この田んぼには とてもおいしいお米ができるから決して手放すではない。」と先祖から言い伝えのある田んぼは、調べてみると、昔海底にあった所が隆起したところで、沢山の貝殻の化石が出たりする。ここでの関心は土壌だ。米の場合、栽培は杉の場合のように放りっぱなしでなく、人が関与している。
水田は日本のものと思っていたら、インドネシアのバリ島で棚田を見つけて気がついた。水田利用は日本のもならず東アジア共通の問題である。アジアの微細藻利用として農業と微細藻との組み合わせを検討したい。
バリ島でヤシの木の下に水田を見つけた。気がつけば当たり前の話しだ。
棚田は日本のものと思っていたので、バリであちこちに棚田を見つけて驚いた。
1年/土壌/180日/光・水・CO2(大気)・肥料(窒素・リン・ミネラル) ヒトが関与したところ
藻は前の2つに比べれば随分人が関わっている。寿命は1日と書いたがこれからして問題含みだ。藻は1日1回分裂するから寿命を1日と書いたが、分裂して同じ物が2個できるのに、寿命が1日と考えるところからして異論をはさむ向きもあろう。棲息場所が水中というのも前の2つとは大きく異なるところだ。土壌というのは無限に広がる感覚だが、水中と言うと、池のイメージで有限の存在だ。土の中に池を掘り水が抜けないようにビニールシートを張ったところで、場は閉鎖系で、水が入り、水が出ることに考えが及ぶ。
池の中に、藻が入ったところで、1日雨が降っていたとするとこの藻にとってみれば、一生雨が降っていたことになる。1日の雨は、寿命1,000年の杉にすれば一生の内の本の一瞬だが、寿命1年のイネに取っても一瞬に近いが、藻にしてみれば大変なことだ。
光は水面で屈折し、水は近くから汲んでくる。空気中の炭酸ガスは水面で水に溶け込み、藻は水中に溶けた炭酸ガスからデンプンを作ることになる。肥料もミネラルも人が供給しなければ何も入ってこない。藻が生育する場は、完全に人が作り上げた場だ。言うまでもないことだがこの場の主人公(つまり吾輩)は身長数μの大変小さい存在で回りには吾輩を食べようと動物プランックトンがうようよたむろし、さらに吾輩より一回り小さい細菌類も吾輩を狙っている。
1日/水中/365日/光・水・CO2(純物)・肥料(窒素・リン 他必要なもの)
この項の結論は、木と草と藻とを比較評価することで、次回も引き続き検討する。
(2012-6-3 Yoshi)

