生物として吾輩と人間とどう違うか気になってきた。
最初は棲みかだ。
ヒトは酸素がないと生きていけない。吾輩など全ての生物にとって酸素は大変重要なものだと思ってしまう
だけど、そんなことはない。吾輩自体、昼間は光合成し、炭酸ガスを還元して酸素を作る。効率的には、酸素など無い方が好都合だ。以前にお話しした水素を作る話しでは、光合成でできた酸素をいかに効果的に取り除くかが、最大の課題だった。だけど、吾輩は夜には酸素呼吸をするのだから、酸素が無いと困る。吾輩からみると変なのはむしろヒトの方だ。
上の図を見て欲しい。夏の停滞期にある循環湖だ。意味する所は、普通の湖水だが、夏は上から太陽が水を温めるから、表面の温度が湖底より高く、滞留があまり起きないので、上下運動があまりないという意味だ。鍋の中のような対流は起きない。水面から10mのところまで、黄色になっているのは、ここは低酸素域、時に酸欠になるところだ。右を見ると酸素濃度がゼロになっている。動物にとっては怖い話だ。東京湾で、時に青潮という現象が起きるが、これが酸欠の海だ、深いところの酸欠の海が、風の方向が変わって浅瀬に流れ込むなどすると住んでいたアサリが全滅する。魚は大急ぎで逃げるが逃げ遅れると大量死に結びつく。
ところで、自然界ではこのような状態がいつも起きている。10mより浅いところは、好気層である。水面からは、酸素が溶け込み、微細藻の光合成も起きるから、水中には十分な酸素があり、魚も棲んでいる。光合成細菌という赤色の細菌がいる。先にサンフランシスコ湾が光合成細菌で真っ赤になると書いたのを思い出して欲しい。右図の光合成細菌濃度をご覧いただきたい。水深10mのところにかたまって現れる。
10mを境に水中で大変な変化が起きるなど地上のヒトは気が付かないのではないかと思うのだが、どうだろ嫌気性、好気性もある。水槽で魚を飼っていて魚を沢山入れ過ぎると、酸素不足になり、魚が死ぬが、ハマグリの養殖池
などで酸素不足にはると、ハマグリが死ぬ。そんな時、底の泥を掘り返すと真っ黒になっている。硫化水素(H2S)の為だ。硫化物は黒い色をしている。
上下の攪拌が十分起きるところでは、10mより深くても、酸素があり、魚が棲んでいる。海では200mまで光が届き昆布も育つし、魚も棲んでいる、マッコウクジラは2,000mまで潜るらしい。
吾輩と人間の住環境が話題だが、世の中、嫌気性、好気性という区切りがあって両者相容れないかのごとく位置づけているが、両者は実は1mよりもっと近いところで相容
れており、驚くほど身近な存在だ。ヒトの腸の中で好気性細菌と嫌気性細菌
が仲良く住んでいる。
必ずしも本質的ではないけれど、吾輩と人間との大きな違いは、栄養摂取方法だ。別の言い方をすると、何を食べて生きるかだ。妙な表現だと思うが、独立栄養か(他の生物を食べる),従属栄養か(他の生物を食べない)の違いだ。
吾輩の食糧は、太陽と水と炭酸ガス、人間は吾輩を食べる。この視点から、独善的で申し訳ないが、微細藻の仲間で、炭酸ガスの他に、窒素も食べられる(窒素固定可能)かどうかは重要だ。数億年まえ、大気中の炭酸ガスと窒素を使って酸素まで作りだした藍藻と、窒素は海水中から肥料として摂取する緑藻とはだいぶ違う気がする。吾輩と人間との間(?)に魚もトカゲもウシも沢山いるが今日の議論にはすまい。
ここまでを整理すると、
吾輩(微細藻)は/水中に生息し/炭酸ガス、窒素を餌として/太陽エネルギーでバイオマスを生産する。
人間(ヒト)は/地上に生息し/バイオマスを餌として/生きている。
かなり異なった生き方であるが、其々が吾輩と人間の戦略だと思う。
(2012-4-25 Yoshi)