宍道湖で何が起きたか


Yoshiのブログ-宍道湖

(西)は宍道湖、右は中海である。其々、79.1km286.8km2で、日本で7位および5位の湖であるが、

2つ合わせると、琵琶湖、霞ケ浦に次ぐ第3位の湖である。西から、斐伊川が入り、中海へ流れる大橋川を経て中海北、境水道を経て日本海へ流れる汽水湖である。

宍道湖は、シジミ漁で今も有名であるが、現在の漁獲7,500(平成12)は最盛期の半数以下であり、1950年代にアカガイの格好の漁場であった中海から、最後の1個が揖屋沖から姿を消したのは1964年のことである(宍道湖・中海の藻類:宍道湖・中海の藻類研究会出版1996年)。

宍道湖・中海は大変よく研究された湖で、1920年頃より現在まで、藻類の変遷が判る大変貴重な汽水湖である。研究の中心である島根大学の先生方に敬意を表すものであるが、難を言えば、大変よく研究されているが故に現在の様な冨栄養化が阻止できなかったことが残念である。

汽水湖は、淡水産と海産の魚介類が生息し、魚介類の種類が多いのが特徴である。スズキ、ヨシエビ、ウナギ、ワカサギ、シジミ、コイ、シラウオが宍道湖七珍である。砂地の産卵場所が荒れ、ワカサギ、シラウオが減る一方である。中海の疲弊はさらにひどい。アカガイを中心に宍道湖の数倍と言われていた漁獲は、スズキなど、300-400㌧である。



Yoshiのブログ-シジミ

1990年当時、それでも35,000㌧以上有ったシジミの国内収穫は、20007,000㌧で横ばい状態だという1990年に宍道湖で国内生産の40%を収穫したとすると、14,000㌧である。最新にデータでは、2010年の宍道湖のシジミ漁獲は3,800㌧(農林水産省 漁業・養殖業水産統計)である。心細い限りである。



宍道湖・中海の地理的条件とその変化を見てみよう。

昭和初期に、平均で12cmあった宍道湖と中海の水位差が、境港の防波堤建設と大橋川の拡張工事によって、宍道湖の水低下と中海の水上昇が起き、昭和3年には3cmとなった。これが宍道湖の塩分濃度の若干の上昇をもたらし、それまで淡水産の緑藻と藍藻が優先種だった宍道湖は、時に海水が逆流する汽水湖であった。昭和4年の報告では、それでも夏に海水が入り込むが、水は澄み、水 泳に適し、シジミが多くすむ所だった。

昭和163月には、塩分580-2,000mg/l(海水の3-10%)で、                    微細藻は西から東へ、淡水性緑藻アオミドロ、珪藻ハネケイソウ⇒珪藻フナガタケイソウ⇒渦鞭毛藻ケラチウムとなっていた。

昭和42年―45,46年の短期間に著しい有機物汚濁が起き、宍道湖東のCOD2倍になり、栄養源の窒素が4-5倍になった                               。微細藻は西から東へ、珪藻キクロテラ、緑藻ディクティオスファエリウム、プランクトネマ⇒淡水性藍藻ミクロキスシス、珪藻スケレトネマ、キートセロス⇒渦鞭毛藻プロロケントルム


宍道湖で起きたことを整理すると、次のようになる。

その1:境港の防波堤建設と大橋川の拡張工事(1928年)が実施された。

      宍道湖(淡水に近い)と中海(海水に近い)の平均水差が12cmから4cmに減少した。   40ヘクトパスカル差の弱い低気圧が来ると、宍道湖に海水が流入するようになった。

その2:1955年し尿放出禁止で冨栄養化若干改善。

その3:短期災害として、赤潮が発生し、アオコが繁茂した。

淡水性藍藻 アオコ発生(1977,1981,1985,1989年の塩分低下)

赤潮発生、珪藻キトセロス(1948,1951,1955)ケラチウミ、動物性ワムシ(1963,1964)

その4:長期災害として、ヘドロの堆積が大変である。


つづく (2011-11-23 Yoshi