ドナリエラ

イスラエル他で屋外栽培している。ドナリエラは緑藻である。先に運転がうまく行く条件は、装置内に不純物が蓄積しないこと、目的とする微細藻のみが育ち、目的とする濃度になるまで運転継続可能なことと述べた。ドナリエラの場合、全ての条件が、他の動物が生きられない、砂漠の海水の2倍にもなる高塩分で他の生物が生きられない環境で育てていることで達成される。イスラエルの死海に生きていた耐高塩性の緑藻に、多くのβ-カロテンが含まれていたことから商品化できたものである。オーストラリアの野池で乾期に収穫すると頃もある。下図はイスラエルのレースウエイである。(Biomass Summit 2007 Dr.Amotzの発表より)


Yoshiのブログ-ドナリエラ


ヘマトコッカスとの出会い

吾輩とヘマトコッカスといの出会いは1990年に遡る。車でサンヂエゴからアルカフォンを抜けどんどん東へ進んだ。途中は全くの砂漠なのに、インペリアルベレーの一角だけが青々としている。コロラド川からの灌漑である。別々の会社であるが、隣接して、スピルリナと、ドナリエラの巨大レースウエイがあり、ドナリエラ池と並んでヘマトコッカスの池があった。製品のヘマトコッカスもペースト状の袋が並び、製品化がはじまっていた。日本に帰り、ヘマトコッカス製品の輸入元は日本と判った。ただその後見学した会社は経営難出会ったと聞き、さらにヘマト製品が市場に現れることも無かった。

次にヘマトコッカスに出会ったのは、1997年米国ハワイ州ハワイ島コナだった。2,000m2の巨大レースウエイ

が多数並ぶ中で、赤く色づいたヘマトコッカスが繁茂していた、この年から商業生産を開始したとのことであった。この間8年が経過している。ヘマトコッカスの運転の困難さを示すものだが、極端な条件ではなく自然条件に近い状態で緑藻ヘマトコッカスの安定生産が始まった。
Yoshiのブログ-アスタ

装置内に不純物が蓄積しないこと、目的とする微細藻のみが育ち、目的とする濃度になるまで運転継続可能なこととの視点から、ここで達成された技術改良は、ひとえに、装置内に不純物が入ることを防ぎ、レースウエイの清掃に留意し、過度の日照で藻体を傷つけることを防ぐなどの努力である。ヘマトコッカスは

体内にアスタキサンチンを蓄積する。アスタキサンチンは抗酸化物として最も優れているとされる機能物質である。

アスタキサンチン経路

ヘマチコッカスの運転がなぜ難しいか、次のアスタキサンチン経路(CyanotechBulletinより)がヒントを与えてくれると考えている。


Yoshiのブログ-green


Yoshiのブログ-red

自然界で植物は栄養の欠如とか極端な気候変動など、子孫を残すことに危険を感じた時休眠状態に入るなどの防御策を講じる。赤くなって休眠する。

青から赤に移る経過も難しい。

アセチルCo-Aから始まって、最終的にアスタキサンチンに至るのだが、途中によく知っているものだけでも、リコピン、β-カロチン、カンタキサンチン、ゼアキサンチンなどあり大変である。レースウエイと管式との装置の違いも出るあわけである。

鮭とアスタサンチン(Yoshiの思い込み)

鮭は元々白身の魚であるが、成熟し子孫を残す頃になると、海でヘマトコッカスを沢山食べ、魚肉が赤くなる。産卵のために、生まれた川に近付くころ、魚肉のアスタキサンチンは皮の所に集まって、魚体が色づく、いわゆる婚姻色である。海の中から海岸に近付くと、紫外線から魚体を守る必要がうまれアスタキサンチンは魚体の表面に現れてくる。川に昇り、浅瀬の砂に、産卵するころになると、アスタキサンチンは全て卵に移り、白茶けた魚体が腹を上に向けて自然に返る姿は、一方でアスタキサンチンの抗酸化剤としての重要性を証明しているのではないだろうか?

(2011-11-1 Yoshi)