父のお通夜と告別式、長男としてしっかりと。 | I'll Begin From Here Once Again ✰

1月20日(土)、19:59分に父が胃癌・インフルエンザA型・肺炎で亡くなりました。

 

父の闘病記録でたくさんのコメントをありがとうドキドキ

 

俺、嬉しくて読んでいて涙が出てますドキドキえーん

 

父の最期を見送ったあと、家族や親戚、父の友達は病院の休憩室へ移動しました。

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↑昨年父が入院していた時に買ってもらって一緒にお話ししたんだよなぁ。

 

その後は、葬儀屋さんへ連絡をして父を迎えにきてもらいました。

 

父は家が好きだったので我が家に安置することにしました。

 

お線香を送りました。 父の表情は普通に眠っているようにしか思えませんでした。

 

その後、父の弟は帰宅しました。

 

21日(日)、午前9時30分に葬儀屋さんとどのようにするか打ち合せをしました。

 

そして、この日の夕方までにお花の数、そして家族で写真選びをしました。

 

お昼頃、従兄弟の家族がきてお線香を送ってくれました。

 

午後は従兄弟の親と一緒に洋服の青山へ喪服を買いにいきました。

 

調整等が必要とのことで翌日お渡しということになりました。

 

22日(月)、私は午前中、父の会社へ直接足を運び現状をお伝えしてきました。 保険証をお返しし、他は後日郵送で送ってくれるそうです。

 

そして課の方に聞くと父は、仕事一生懸命に身体動かして頑張ってました。会社としてもいつも助かっていました。具合があまり良くないとは聞いていましたがまさかこんな…本人相当苦しかったことを思うと無理に働かせてしまってごめんなさい。 当日はお花を送らせて下さい。

 

 

と言っていました。

 

午後は、三男の弟と前日注文していた喪服を受取にいきました。

 

それもこの日は東京には珍しい吹雪でした。

 

橋を越え片道1時間歩いて受け取りにいきました。

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帰宅後は、親戚が50年くらい経営しているラーメンの出前をとり食べました。

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23日(火)、18~19時でお通夜でした。

 

私たち遺族は1時間前に到着をし打ち合せをしました。

 

親戚のおじいさんが葬儀場入口付近で足を滑らせて

 

顔から転倒してしまいました叫びあせる

 

本人は額から大量の出血が出てしまい

 

私はすぐ止血をし、本人は歩けなさそうなので

 

救急車を呼ぼうとしたところ、父の弟が「一度保留にしよう」と言い

 

父の弟の嫁さんが病院へ診てもらう為に車を用意しました。

 

その後、お通夜を終え、部屋を移動し食事の時に病院から戻られ

 

額は縫って止血処置もしてあり一安心。

 

 

24日(水)、14~15時 告別式でした。

 

実は私が挨拶をすることになりました。

 

さすがに祖父母にさせるわけにもいかないので…。

 

私は幼少の頃から先生に指されて「はい!」の一言が緊張して言えない人でよく寝たふりをしていたタイプなのです…。

 

2009年に曾祖母が102歳くらいで亡くなった時に出棺の際にたくさん泣いたことがあります。

 

父の出棺前とか涙で挨拶どころじゃないよね…。

 

ココだけの話、私は2日間、朝方4時頃までずっと挨拶の練習をしていました。

 

そして、私は家族の思い出写真やいろいろなモノを納棺をしました。

 

父の弟はネクタイを納棺してました。

 

献花も顔が見えなくなるほどたくさん添えてあげました。

 

みんな泣いていて私も泣きそうになりました…と思ったらすぐ出棺の挨拶の時がきましたあせる

 

私は真ん中スタンドマイク前に、両サイドにはお位牌を手にした三男の弟、写真を手にしている父の弟。

 

 

私は涙を堪えて…父さんの息子として立派に成し遂げました!!

 

そして出棺。

 

 

父さんは人生通してとにかく車が大好きでした。

 

 

なので家族で相談をして最高ランクの霊柩車にしようと決めました。

 

 

ベンツはてなマーク いやいや、BMWはてなマーク いやいや

 

なんと…リムジン!!

 

私は写真を掲げ助手席に、後部座席には三男の弟と、祖父と、父の弟が乗車しました。

 

さすがに地域の人々から注目を浴びました。

 

我が家の前で止まりクラクションを鳴らしてもらいました。

 

その後は火葬場へ向かいました。

 

到着し、父さんの今の身体の形があるのはここまでなんだよね…。

 

なんで焼かなきゃならないんだよ…でも、綺麗な父さんが腐敗していくのは見たくない…。

 

私は辛かったけど

 

俺 「父さん、ここまで頑張ったね。 あとはここを乗り越えればきっと天国へ行けるはずだから…☆ 父さん、祖父母のことは俺に任せて安心してね。 それじゃ父さん、しっかりいってこい!」

 

と送り出しました。

 

そして火葬中、休憩室へ移動し

 

親戚とお菓子を食べながら父さんの思い出話をしていました。

 

40分ほどで火葬が終わり収骨へ。

 

あぁ…父さんがお骨になっちゃった…。

 

火葬が早かったので火力が強かったせいか

 

見た目どこが頭でどこが足かもわからなかった。

 

最後に説明を受け、なんとなくわかった感じです。

 

ギリギリ全て収骨できました。

 

重さは7キロくらいでちょっと重かった。

 

そして、バスに乗車し葬儀場へ戻る際、お骨と私の心臓を密着させて力強く抱きしめてました。

 

葬儀場へ到着し、粗食の挨拶をした。

 

ここでの挨拶もしっかり成し遂げ

 

周囲から「よく頑張ったね!! こんなに立派な息子さんでお父さんも安心してるよ」 と言われ、嬉しかった。

(内心「どうだぃ!! なんたって俺は父さんの息子だからな☆」と思った。)

 

献杯音頭を、お酒の好きな父の弟にお願いしました。

 

みんなで粗食も終え、お骨を抱きしめながら帰宅した。

 

お清めの塩は使用しませんでした。

 

父さんが帰ってきたかったらいつでも我が家に帰ってこられるようにと思って敢えてしなかった。

 

 

納骨に関しては群馬の方に立派な墓地を数十年前に買ってあります。

 

家族で話合い、まだその墓地には誰も入っていません。

 

父さん1人じゃ可哀想…だからいつか祖父母のどちらかのお迎えの時がきた際に、父さんと一緒に納骨してあげようということにしました。

 

それまでは我が家の3階の父の大きな机の上に写真とお骨、お線香、そして私の手料理等のお供えをしてあげようと思う。

 

だから父の使っていたモノやベッドの配置はこのままの状態にしておこうと思う。

 

私は2階の自室で寝ていますが、たまには父のベッドで寝たいからね☆

 

 

お通夜と告別式も終わり、これから自動車や口座、世帯等の役所の手続き等やることが多々残っています。

 

 

忙しい日々ではありますが長男としてしっかり頑張ります。

 

父さんにお線香を送ります。

 

 

俺「さん、今までありがとう。ゆっくり休んでくれな。美味しいものたくさん食べてくれな。俺は寂しいよ…でも俺の体内には父さんの血液が流れている。だからきっと頑張れるはずさ…☆ でも、困難にぶつかる時もあると思う。そんな時は父さん、見守っててくれな。父さん、亡くなっても俺はこれからも大事にするからね。このブログだって父さんも読んでくれてると思ってる。父さん、本当にお疲れ様でした。」

 


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