お城並の防御だった喜多院 | ちょっとディープな観光案内~小江戸川越のらり蔵り~

お城並の防御だった喜多院

『お城並の防御だった喜多院』


古の時代、仙芳真人は自らの衣を海に投げ入れ、その衣の分だけ土地にしてくれるように龍神と交渉した。


おはようございます。
気温35℃の予報が出ております、2024年6月24日㈪の小江戸川越です。

どちら様も熱中症には十分ご注意下さいね。


さて、中の人は小仙波町生まれの仙波町育ち。
正確には小学校卒業までは小仙波町に住んでおり、お馴染みの喜多院とその界隈は、普通に遊び場でした。


そんな喜多院。

ある時からずーっと気になっていた事がありました。

冒頭に書きましたように、喜多院の由来は仙芳真人の伝説まで遡りますが、その後は江戸幕府の庇護を受けて、ピーク時には境内だけで5万坪あったようです。 


その大半が現在の敷地の東側に集まり、小仙波町1丁目近辺は、ほぼ喜多院の境内と申しても過言ではないでしょう。


そして現在でも同じ敷地と錯覚するのが、江戸幕府の創始者である徳川家康公を祀る仙波東照宮。

境内に素敵なカフェ兼社務所がオープンしましたが、周囲がお濠となっており、その護りも厳重なものとなっています。 



過去ののら蔵ツアーで喜多院のリクエストがあった時は、概ねそのエリアの説明なども行いますが、その喜多院の規模と魅力は尽きる事がありません。

喜多院と言えば、どろぼう橋が架かっている事からお分かりのように、本堂周辺を護る濠と土塁が存在しました。



かつての寺院は戦の時には兵が集まる一種の砦の役割もあったとされていますので、この護りも分かるというものです。 


古地図を眺めていますと、現在の喜多院の周囲水色の線が描かれております。

今も昔も地図上の水色というのはまさに水のあった(ある)表示なのでしょう。


つまり喜多院には外濠が存在していたのです。

以前行われました、のら蔵ツアーでも立ち寄りましたのが、その外濠跡で、一部口頭説明もありましたが西小仙波町の病院前にある元うどん店の店頭には、喜多院西外濠跡という、立派な石碑もあり、旧き川越へのロマンを掻き立てます。


もちろん南側にも濠は存在しておりまして、東照宮と中院の間にある細い道がその跡と言われています。





古地図では確認できませんが、時代に寄って埋められたかもしれません。

川越にとって、土地の南は江戸なので、つまりは味方。

この外濠は戦国時代の名残りだったのかもしれませんね。


濠があれば土塁も存在している訳でして、東照宮中院通りのすぐ南側の住宅地をよーく見てみると………

周囲と比較して、幾分の高さがあるようです。
のら蔵的には「土塁の跡」と勝手に認定してしまいます(笑)

※民有地(民家)なので画像は割愛します。


昔を思い浮かべながら、川越の有名観光地の周辺を歩いてみるのも一興かも知れませんね(^O^)


それでは本日も小江戸川越で、お楽しみ下さい\(^_^)/


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