映画「渋谷(西谷真一監督)」を見て その2 | AKB48後追い生活~新参ファンの記録~大島優子(コリス)推し

映画「渋谷(西谷真一監督)」を見て その2

ようやく
優子出演映画「渋谷(西谷真一監督)」を見て その1
の続きに入ります

あえて
あまたにつけていた「優子出演」を
はずしています…そういう映画でした

少なくとも私の目にはそう映り
頭は理解しました

優子を観に行ったはずが
優子関係なく皆に見て欲しい映画となったのです

さて
続きは本編について書きますが
ネタバレしてもこの映画の魅力は
わからないと思うので
これから見ようと思う方も
気にせず読んでいただくとありがたいです
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この映画を見て一番にあげてしまう事

それは

ユリカ”佐津川愛美”が
「アップに耐えるなぁ」であった
どこに関心してるんだ?という感じであるが

この時、うけた感覚は
”佐津川愛美”という女優の魅力なのか
それとも撮影の妙なのか
今となっては、確認のしようもない

そのシーンは公式サイトの予告編動画にも
”佐津川愛美”の紹介にもでてきているのだが
おそらく、ここからは感じ取れないであろう
スクリーンで見てこそだ

銀色の雨(鈴井貴之監督) 」の
「小島鮮魚店」向かいで
優子がアップになるシーンでも
「アップに耐えるなぁ」と思ったのだが
その感覚と、これは異なるものである

次に「渋谷」の街
これらが色々な表現で所々に挿入される

ストーリーに関連づいたものもあれば
「渋谷」という街の姿を見せるだけのものも

ただ、どちらも「渋谷」という街を
意識させる・・・

表現が難しいが
おそらく無くてはならないカットなのだろう
意識の奥底にすりこまれる感じのもの

そして流れの中心で色々なものを結びつける
水澤(綾野剛)
彼がまたなんともいえない味を出し・・・

普通な感じ、純朴な感じが漂う中の
必死さに引きつけられる

彼の役をたとえば
水島ヒロやら小栗旬やらがやったとしたら
全然違う話にとらえてしまうだろう

さて
また”佐津川愛美”の話に戻ってしまうが
私は彼女を
TVドラマ「がんばっていきまっしょい」と
映画「笑うミカエル」でしか
ちゃんと見た事がなかった

どちらからも、可愛らしいとか
清純という感想しか出ない役だったのだが

今回の役をみて驚いた
母親に反抗し、自分の存在を見失い
ヘルスで働く女性の役であったのである

それを彼女がやっている事に
全く疑問を感じる事なかった

こんな話をするのもなんだが
この歳になるまで一度もヘルスなどの
女遊びをしたことがない

その為
「お前はわかってないだけなんだ」と
言われるかもしれない…

確かに、イメージだけで考えても
あんな娘がいるわけないやろ!という感覚は
確かにあるのだが

それらを差っぴいても
彼女と彼の、あの時間、あの会話、感情のゆれ
どれもこれも、奥を裏を考えさせられるに
足りないものは何も無かった

逆に言うと「何もわからなかった」で
終わってしまう人もいるだろうとは思う

実際、私の妻も
「ただ見ていただけ」になった所が
いくつかあったらしい

そんな彼女も含め
見せられたと思ったシーンがある

二度目のヘルスで
彼が部屋を出て扉を閉めるシーンだ

扉がゆっくりしまり
その隙間から、彼女の顔が見えていて
そして・・・

みえみえの演出と言う人もいるだろうが
このシーンは印象深い

ストーリーに直接関係ない所では
彼が、たまごかけご飯を食べるシーンがあるが
あれは全く別の意味で心に残る(笑)

先に出た二度目のヘルスシーンでの
彼女の写真

ラスト、バスターミナルでの
彼女の写真

これらも冒頭で書いた彼女の映像と並び
忘れる事ができない映像
写真という静止画の力を見せられた

ところで
優子の話が出てこないではないか!と
読者の方々は思われている頃ではないかと思う

確かに・・・

優子の出番は2回
かなり最初の方で少し
(気づかない人もいるだろう)

そして後半でもう1回

この2回目のユウ(大島優子)のシーン
原作を読んでいないのでなんとも言えないが
「彼女はユリカになるだろう、次から次から・・・」
という言葉からも

おそらく
ユリカ”佐津川愛美”の出来事は特別な事じゃない
「渋谷」という街では日常茶飯事という事を
見せたい・・・なんと言ったらいいのだろう?
事例紹介的な扱いなのだ

この映画の中で
水澤(綾野剛)が「渋谷」の少女たちの写真を撮り
記事を書くために、沢山の写真を撮ってきており

それを編集長の栗山(石田えり)に
「一人に絞り込まないと、一人の中に入り込んで・・・」
と叱責されるシーンがあるのだが

それと同じ事を優子のシーンから感じてしまったのである

私個人の意見としては
本という時間に制約のない世界であれば
書ききれると思うが
90分ない映画では蛇足感がある事を否めない

今回このシーンを省き、水澤とユリカの世界を
見せきった方がよかったのではないかと

そんな考えがうかんでしまい
あまりに優子のシーンがとってつけたように
見えてしまったのである

また優子はしばらくの間
例のごとく「大島優子」であった

だが「銀色の雨」と違って
最後の最後に見逃しそうだが
「大島優子」に見えないシーンがある

その微妙な表情を、どうか見逃さないで欲しい

最後に

この作品は評価がすごく分かれる
映画であることは間違いない

私は、じっくり見れば根底に流れる
大動脈が見えるに違いないと
スクリーンにかじりついたが

話が見えず、盛り上がらず
眠りについてしまった観客も多々・・・

原作ファンと思われる方々の会話から
「コレの山はどこだったの?」
という言葉も聞こえてきた

だが私と同じく
スクリーンから目が離せなくなった方々も

そんな
無関心、無感想ではなく
良くも悪くも
いろんな意見が出てくる映画って
素晴らしいじゃないか!と思うのであった

渋谷での公開、劇場での公開
これらに、こだわっているからこその
魅力だったのかもしれないが

是非全国の方々が見るという機会を
得られるようにしてもらいたいと
切に願う

追伸:
大島優子様
あなたのおかげで
この作品に出会う事ができました
ありがとう