お爺ちゃんとの想い出 | 守破離への道☆彡

守破離への道☆彡

v(・∀・*)あれちが好きに思うまんまに書いています。青森生まれの青森育ちで津軽美人に囲まれた毎日過ごしています。

お爺ちゃんが永眠して一昨日で初七日迎えました

最期の数年はずっとニコニコ顔で、優しかったお爺ちゃん

昔から人のことは悪く言わず、酒も飲まず、誰にも誠実で優しかったお爺ちゃん

小さな頃の6つの時に私の両親が離婚することになり、それからはずっと父親代わりでいたお爺ちゃん

海釣りが大好きで、舟に乗って海釣りしたり、大きなカレイを釣ってきたり、カレイは美味しい煮付けにして皆で食べました🐠

お爺ちゃんは小骨も取ってくれて、食べやすくしてくれたっけ

戦時中に生まれ、子供時代は戦争からの記憶しかなく、空襲警報があると、枕元に大きなお弁当箱に納豆ご飯を入れて妹とお母さんとお父さんと寝ていたそうです、朝になって無事だとお弁当箱の納豆ご飯を開けて皆で食べていたそうで、よく私が生まれてからも納豆ご飯が夜食でした。お茶碗いっぱいの納豆混ぜご飯、美味しかったな

私達姉妹が遊び散らかしたり、ご飯の好き嫌いを言うと、お前達は贅沢だ、と叱ってくれたっけ

お爺ちゃんはお祖母ちゃんと一緒に夫婦で出稼ぎで神奈川県の保土ケ谷区に住みながら、仕事をしていて、お盆とお正月になると毎年帰ってきてくれていました

神奈川にまた仕事で戻るときは、いつも決まって駅までお見送りに行って、ふたりが乗り込んだ列車が走ると私達も走り、泣きながら手を振った

「父さんと母さん、また仕事してくるからね…!」とお祖母ちゃんも涙声

遠く故郷の青森から離れて関東まで仕事で暮らすのはお爺ちゃんもお祖母ちゃんも毎回寂しさがあった。お爺ちゃんのお母さん、私のひいお祖母ちゃんが嫁に厳しいながらも、私のママを育て上げてくれて、ひいお祖母ちゃんは亡くなってから私が生まれたけれど、ひいお祖母ちゃんはとても孫に優しく、いつも美味しい手料理を作ってくれたそうだ。

今でも我が家に並ぶ玉菜炒め。新鮮なキャベツと卵とおだしとお醤油とお砂糖で作る、お爺ちゃんも好物だった一品

優しい甘さで美味しい

お爺ちゃんは仕事を引退してから、脳梗塞になり、感情が上手く怒りのコントロールができなくなり、狭心症もあったことを家族の誰にも話していなかった

後々内科での診断により、一度目の脳梗塞を知ったのだが、その頃には私達の理解は遅く、ずっとお爺ちゃんの短気がちな性格から怒れば家の中で暴れるものだと思っていた

違うんだよね、脳梗塞の後遺症で怒りたくなくても怒ったようになっていたんだよね。。。

私も成人してから統合失調症を患い、たまたま良い病院で専門的に治療を受けることが出来たから、大きな一大事にならずに済んだ

お爺ちゃんも私の統合失調症を理解してくれ、お前も怒りたくて怒っていたんじゃないんだな、と言ってくれた

お爺ちゃんは人をよく見るから、ちゃんと相手がどんな気持ちでもいるかを察することが自然とできる人だった

お爺ちゃんは3度目の脳梗塞で、言語の話す力に影響が出て、亡くなる数年前からはあまり言葉を喋れずにいた

昔みたいに辛いことがあっても、楽しいことがあっても、情けない状況になっても、言葉で伝えられない

でも意識は最期まで衰えずハッキリとしていた

人に優しく、思いやりのあるお爺ちゃん

84年の一生だったけど、私はあまり孝行の恩返しが出来なかった気がする

私の妹はお爺ちゃん孝行が出来た

ママもママの妹も親孝行が出来た

いとこもお爺ちゃん孝行が出来た

私だけ、ポカンと気持ちが穴が空き、残る

お爺ちゃん孝行が出来るならば、生きているうちに親孝行することだと思う

お爺ちゃんの火葬の日、叔父さんが私達姉妹の実父にも連絡を入れてくれて実父であるパパも仕事の合間を縫って駆けつけてくれた

パパとは約24年ぶりの再会

お爺ちゃんが引き合わせてくれた再会

ありがとう

お爺ちゃん、永遠に感謝の気持ちを忘れません

お爺ちゃんがしてくれたことの何倍感謝を周りの皆に伝えられるかわからないけど、私もお爺ちゃんの優しさと時に厳しさを自分にも向けてこれからも私なりの道のりを歩んでいきます

お祖母ちゃん、ママ、叔母さんと叔父さん、妹といとこ、そして父の繋がりの弟を大事に、友達、皆を大事に、思い、伝え、行動して生きて行きます

ありがとう、ありがとう