義理と仁義、忠誠を貫く
硬いことから書き出していますが、私は女子供を泣かせるような男は気にくわないんです
そうゆう人を見るとついつい見逃せなくなる
人の事情でしょうが、よその家庭でしょうが、女子供を泣かせる生活送らせてる人は許せないタチ
任侠道って決して極道だけの教えじゃない気がします。日常に根差している感じがする。
偽善ではなく、弱きを助け、支え、強きは挫くのではなく味方になってもらう。自分が相手を裏切れば同じことをされますが、真心で考えた時に天秤がどちらに傾くか。それが直感的にも大事かなと私は思うんです。
困っている友達がいたら一緒に解決に向かって模索する。泣いてる人がいたら寄り添う。
ただ、金銭に関してはこれだけではいきませんが、例えば必要なお金が少し工面できないと困っているようなら、一時的に立て替えるくらいは良いですが、完全に相手を信用して多額を個人間で貸し付けるのは正解ではないかもしれない。返ってこないお金とともに失せる友情もある。
話を戻して、私はね、やくざ者は嫌いです。どうしても仲間や家族を泣かせる結果がつくから嫌いです。
でもね、世の中に任侠の心は必要かなと思う。私なんかみたいなのが軽々しく言うものじゃありませんが、人の絆には真心の部分が大事であり要かなと思います。
正しい約束は守る、危険は皆で回避する。間違った道には走らないでおく。
私はね、やらないと決めていることがあります。男女の不義理とドラッグと博打です。これらは絶対に私はやらぬと胸に決めて生きています。いまは酒もやらない。私が依存症になりやすい体質だから、酒もやめたんです。やめれたのは家族や友人の熱い支えのおかげ。だから私は周りの人間を裏切れない、裏切ることはしない。
そして、ひとつ。いまの今に至るまで私は跡継ぎには恵まれなかった。でもね、この先も血を分けた跡継ぎが生まれなくてもそれはそれで割り切って生きていきます。私を親にして育つ子は少なからずとも楽しくない思いもすると思うんです。だから、跡継ぎが生まれなくても後悔はない。
むしろ最近になり思います。自分の遺伝子を継いだ子もいずれは私と同じ病を抱えるんじゃないかって。私が抱える病とは、一生涯向き合わなくてはならないもの。精神の病、統合失調症ですから。
担当医は「治療により改善されるしいずれはキチンと治る」と話してくださいます。が、しかし、世間の一部の間からは「一生治らないよ」とも言われました。
私が思うこと。治療が完治ではなくとも、症状の興奮期が振り返さないようにすること、これだけはハッキリ言えます。そして周りの正しい理解が必要であり、いらぬ刺激を与えるようなことはお互いにしないこと。
私は人から言われて不思議に思うことがあります。気持ちが逆立っている私を初めて見る人は一様にみな、「やくざだと思った」と言います。女のやくざなんていませんし、私は男であってもやくざにはならない。
でも任侠に通じた気持ちだけは理解できますし、私も大事だなと思う。カタチだけじゃなく、心がね。
やくざとは、チンピラのことなのかなと私は思います。極道とは違うもの。一緒にしてはいけない気がする。だから皆さんもごちゃ混ぜにはしないでね。
話が途中途中で脱線しましたが、私はやくざではない、とゆうことで。※言われて傷つくよね、地味に。見た目も普通の格好なんだけどなぁ、私。