空想するわたし、今の言葉を書き留めたい…詩?かなぁ?

空想…

今朝の風景はゆずの「春風」のよう、

「窓の外は冷たい雨が降り続いてる
僕は少しうつむいて君の事を思い出してた」

雨の中、指先の感覚はなくなってる…空しい空気は意外に冷たく感じた

今という瞬間は、永遠じゃないかもしれない
けど、暖かいと感じてる

春がやってきた今は、冬の思いは去ってただろう?

ちらちらとなった桜びらは、僕の手の平にとまってくれるんだろう…?

夜中に、ピンクで飾った並木道で歩いてた僕は、その光景は忘れられなかった

頭で浮かんでた「恋愛写真」のメロディは切なかった…下手くそだけど、自分の指で音楽に変わって聞かせたい

毎日響くメロディの中、君はきっとそこにいる…
動きの統合(The Coordination of Movement)はリアルマジックの一環としてマジックの基本の質を決まる大事なポイントです。'Be Natural'っていうバーノンの名言は2文字ですべてを語ったと言っても過言ではないと思います。でも実際の意味はなんでしょう?「自然な動き」を解釈していいですか?それは大きな間違いだと思います。その間違いで逆に観客に疑われるケースを多く見てきました。じゃ、それは一体なんでしょう?

人間の体の構造でいろんな動きができます。一般的に、決まりきった動きがたくさんあります。それらの組み合わせでまた新しい動きを作ることができます。自然な動きも作れるし、変な動きも作れるんです。でもいくら自然な動きでも、「人間の行動パターン」に限る自然な動きという解釈しか応用しません。マジックの中で求めてるのはそういう動きではありません。「場合により、つじつまが合う動き」こそ僕らが求めてるものです。

まず、マジシャンとしてできるべきなのは自分のテクニックを自然にすることです。でもこの最初のステップをクリアできないマジシャンはすでに90%以上います。パスをやってる方は今すぐ自分のパスをチェックしてください。これは本当に100%通用しますか?デックを一瞬に上に持っていって下に戻してリフルしませんか?なんのためこれをやってますか?カードの移動を隠すためですね?それはいいかもしれないけど、実際は自分がテクニックを使ってることを観客に教えてるんです。MISDIRECTIONをマスターしたらまだいいけど、さもないと「今僕の綺麗なテクニックをお見せします」みたいになってしまいます。僕はバスのこのやり方を反対するじゃなくて、99%のマジシャンが間違ってるから正しくやってほしいだけです。カードを(痙攣みたいに)勝手に動くことはまずおかしいです。カードをずっと静かに持ってるのに、選んだカードを戻したら変にカードを動かして、また静かな状態にもどる。なんで?むかし、マンガのマジックマスターを読んだあとに、TOP CHANGEをやる人は多くなってきました。皆がその主人公のTOP CHANGEに魅了され、自分のTOP CHANGEも同じな効果があると思い込みました。カードを戻してもらって、すぐTOP CHANGEする人を僕は結構見てきました。正直に、がっかりしました。動きをまったく考えず、テクニックを終わらせればいいと思ってる人は多かったです。目が鋭い観客は絶対見えるんです。だって、カードはFOCUSの時にTOP CHANGEするなんてバカしかやらないことです。そもそもTOP CHANGEは不自然ですので、やるのは難しいです。だからこそ、ある自然な動きの中に仕込んでやるべきです。パスとすべてのテクニックも同じです。テクニックはやるために存在するじゃなくて、あるマジックを完成させるために生きてるんだ。だから、結局 テクニックを個体として見るのは大きな間違いです。個体としてマスターして自分のマジックに融合することはテクニックの最終の課題です。

ここで、動きの心理的なポイントをちょっとお話しましょう。

動きは大体2つの種類があります:「In Scope」と「Out of Scope」。「In Scope」というのはある環境範囲の中でつじつまが合うことです。逆に「Out of Scope」はある環境範囲の中でつじつまが合わないことです。さっき言ったリフルパスの場合を例えにすると、もしあなたはずっとカードを無意識のように遊んで、その動作の中でリフルパスしたらすごく自然になります。要はIn Scopeです。逆に、さっき言った痙攣の動きはOut of Scopeです。これは一番簡単な解釈です。それでは、一歩進みましょう。

カードをパームした後、あなたの手はどういうふうに動き、どこに置きますか?一部のマジシャンはパームした後、手を下ろしてカードを隠しようとします。そして、デックを渡してシャーフルしてもらいます。でも実際に鏡でみてください。もしあなたはパームしなかったら恐らくその手は動かないと思います。これこそ「自然」な動きです、人間の行動パターンです。だから、手を「自然」に下ろすことは大きい間違いです。ポイントはどういうふうに手を動かすじゃなくて、「その場で人間の一番自然な行動パターンはなんだ?」とのことです。

もう一つは、「Tension」のシフトです。これはマトリックスの手順でいつも見えてくる例です。Reverse Matrixをやってる方はご存知かもしれませんが、コインを密かに戻す時にMisdirectionを使う必要ありますね。でも僕は見てる限り、99%の人はMisdirectということさえできないです。なぜなら、手のTensionはシフトできませんから。一番前のコインを注目させようと思って、実際に二つの手は同時に同化して、同じなTensionを見せちゃったことは多いです。そもそも一つの手はなにもしないと見せるはずなのに、目だけでMisdirectionしようと思って、実はMisdirectionしてないと同じです。その手はマットの後ろの部分で密かに動き、リアルマジックになれないです。もし「Tension」をうまくコントロールすれば、目線でMisdirectionする必要すら要らないです。この現象のもう一つのいい例はステージマジックです。アイテムをstealするときに目線と現象の瞬間だけを使ってMisdirectして、多くの場合はStealの瞬間がわかっちゃうんです。だから、流れを真剣に考え、自然な動きの中でアイテムをStealすることはお勧めです。無理やりstealの動きを仕込むじゃなく、stealの動きで流れを作ることこそポイントです。

動きのdiscussionは永遠な課題ですが、ここでかすった部分はかなり大事だと思います。一枚一枚の流れてる絵は永遠に映画になれませんが、意味がある連続の絵こそ映画を作ることができます。これは流れの意味で、マジックにあるべきなものです。

TIMEからの発想


先日TIME MAGAZINEを読んでて、脳に関するエッセイを見つけました。いろんな分野の最新研究を載って面白い文章でした。その中、僕はずっと思ってた哲学および科学の問題についてちょっと書いてありました。人間の外在世界に対する客観的な認知は違わないですか?要は、簡単な例:あなたが見てる緑は僕の緑と一緒ですか?もしかして、あなたの緑は僕には紫かもしれない。


バカらしい考えかもしれませんが、認知性の違いでこの世界を左右することを忘れないでください。基本的に客観的な認知は一番力を持ってると思います。なぜなら、これは人間にとって世界を築く「絶対」です。例えば、僕は緑の葉っぱを‘これは赤です’っていうんであれば、あなたはきっと賛成してくれません。僕はいくら説得しても多分ムダです。これはあなたにとって当たり前のことだし、議論の余地ない事実だからです。一方、主観的な認知は世界に対する知識で、変わることができます。これはまさに本のようです:客観的な認知が文字で、主観的な認知が内容です。文字のルールに沿っていくら知識でも書けます。ただし、知識は絶対ではなく、時間と空間によって変化するものです。


ここは論じたのは簡単ですが、面白い応用がたくさんあります。一般的に人間は意識でこの2種類の認知を区別しません。だから、実際に自分の世界観を根からわかる人はめったにいないです。客観的な認知と主観的な認知は互いに取り替えることができます(要は互換性)。むかし、人が地球が宇宙の中心だと考えてました。要は「地心説(Geocentrism)」です。この「当たり前」は科学者と教会にも紛れも無い「事実」なので、ガリレオ(1564-1642)が「地動説(Heliocentrism)」(地球は太陽を中心として回ってる仮説)を発表した時にだれでも聞いてくれなかった。その時の人たちは地球が中心だという客観的な認知があるからです。だから、いくら説明してもわかろうとする人はいなかったです。でもだれかが聞いてくれたら、彼の中の「世界」は大きく変わってきます。今までの「客観」は一変するわけです。この新しい事実はゼロから主観的にわからなければなりません。この過程が終わったらまた客観的な認知になります。これはすごく自然に起こると思われるかもしれないですが、主導的に操ることが可能です。


人間の客観的な認知と主観的な認知はOVERLAPするがあります。つまり、ネットワークのように広がっています。接点は多く、かなり複雑なWEBのようです。客観的な認知に変更する一つの方法は:


客観的な認知と主観的な認知との接点を見つかる⇒主観的な認知を変わる⇒客観的な認知をアクセルして⇒新しい情報で客観的な認知を変わって⇒新しい客観的な認知を定着する


これをうまくやれば、人間の見方を変わることができます。理論だけで難しいですが、ここで例を挙げて説明したいと思います。


カラーチェンジする場合は、手をカードをかぶっただけでカード裏の色が変わることは不思議ですが、説得力はまったくないと思います。あくまでもトリックだと思われがちです。そもそも、カードの色が変わることは不可能だと考えられているからです。なので、これはConvincing Magicではないです(Convincing Magicは大きな課題ですから、今後また語ります)。観客は理解できるように、1枚の赤裏と1枚の青裏があるとして、2枚の裏を重ねたら、赤裏が紫裏になって、青裏は真っ白になったらどう?赤+青=紫っていう事実は客観的な認知なので、このポイントと「カラーチェンジ」とリンクしたら観客は理解できそうな不思議を体験させることができます。Suspension of beliefはこういうことです。ただし、全部のマジックはこのアプローチでやったほうがいいわけではないです。なぜなら、理解できそうなマジックとまったく説明つかないマジックを混ざったほうが現実とファンタジーの世界のブリッジになりやすいです。じゃないとマジックが終わった後に、お客さんの中でなかなか印象が残らないです。ずっと彼らになれない非現実な世界のものを見せられたわけですから。


Derren BrownとかCriss Angelとかセロとかのマジックは素晴らしい原因はsuspension of beilefをうまく使ったからです。客観的な認知をすこしずつ侵入して、観客のマインドを支配できるからです。最高なマジックを勉強するために彼らの実演を見るのが無損です。


応用がいろいろありますが、自分のマジックをよく見ればたくさんの新発見が見つけると思います。今日から是非いろいろ考えて実践してください。