アジアが現実味を帯びてきた瞬間 シンガポール
2年ほど前、半導体メーカーの激務に疲れきり、このままではもうダメダ・・と転職を決めて、退職しました。その際に、ためしにタイに行ってみる事にしました。
その頃ちょっと”友達以上、恋人未満“だったAが、海外旅行したことがないというので、一緒にプーケットに行きました。それが一回目。
プーケットはフツウに楽しかったです。ピーピー島にいったりして、海の中がキレイなことや、食べ物がおいしいことや・・南の国の植生もすてきです。
私は、フツーに、“なるほど、いいところみたいだ。”と納得しました。
その後、1年契約で勤めた会社の出張でシンガポールに行った際、有給を取らしてもらい観光をしたとき、シンガポールもすごく楽しくて、
ずっとアメリカばかり憧れて、西洋に目が向いていた自分に、変化が起きました。
よく“アジアにはまる。”とか聞くけれども、
なるほど・・アジアってこんなに居心地いいんだ?!という発見がありました。
アメリカで白人至上主義のなか、プライドをもった態度でバカにされないようにと、“COOLなアジア人代表“を演じていた私には、シンガポールでマレー系、インド系、中華系の人々にすんなりなじんでいることが、とてつもなく心地よく感じました。
屋台では、現地人にふつーに中国語で話しかけられて、びっくりしました。アメリカに居るときは、しばらく流暢な英語で話して、 感覚的にもアメリカに長いこと居るっていうことが分かってもらえるまでは、お客さん外国人となってしまう自分でしたから。
シンガポールから帰ってきた自分に心の変化が起きました。日本で中途半端にキャリア組でもないくせに、仕事以外に何も無い自分で居るよりは、アジアに出てみよう!アジアで働こう!という気持ちがわいてきました。
この日本での5年間で、父が「早く日本に帰ってきて就職しないと大変だ」と言っていた意味が本当によくわかりました。日本で女性で食べていけるだけ給料を貰うということはこんなに厳しいものなのかと、思いました。日本がよく言われるように本当に男性社会だと、働いてつくづく分かりました。女性でなんとか食い込んでいけるのは学歴にはくがあり、職歴が長い人、留学で就職が遅れた私のスタート地点は恐ろしく低いのでした。
寝る時間も十分にとれずに、働いている記憶しかないのに、一ヶ月の終わりには必要なものを買うお金さえない。怠けていて貧乏であるのなら我慢できますけど、働きづめで、会社では仕事が出来るとよく褒められているのに、最低限の生活も出来ない・・。
これが自分の人生であるということが認めるのが怖い。
バツ一子持ちの友達が、
「私がきょうこだったら、シンガポールとかで仕事さがすけどなあ!英語も不自由ないんだし、結婚もしてないし、そんないい仕事についているわけでもないんし、失うものなんて何にもないじゃない?!私こどもいなかったら絶対いってる・・」
と、前から言っていたんですが、 まず先進国で治安もいいシンガポールで仕事を探してみたり、実情をリサーチしてみました。
結論・・シンガポールの教育熱により、就職するには学歴がとても重要・・ 中途半端な学歴で日本企業でしたっぱOLは可能だけれども、決して物価もやすくないシンガポールでの生活は、日本と同じぎりぎり生活・そして、日本企業に属する限り、上は無い。
しがない現地採用女性の現実・・。すごく悔しいんだけど、5年もフルタイムで大学にいっていたのに、最終学歴は短大卒の私には、あまりキャリアとして適さないようでした・・。
それは日本でも一緒なんですけど、外国で外国人として生きていくには、お金が無い人には、後ろ盾になる所属する会社のサポートが重要です。それはアメリカ時代、トラウマになるほど感じました。自分の国以外に住む現実。自分の絶対的な見方:家族と遠くはなれて生活する。そういうイメージをありありと描けるのでした。
再び振り向いた瞬間 タイからの誘惑
その後わたしは、日本に帰国し、就職しました。
想像どうり、それは私には大変な時期でした。
アメリカで本当に楽しく自由ほんぼうに4年以上暮らしてきていた私にとって、
日本での本格的な社会人生活は、とてもつらく感じました。私は一度にあまりにも多くのものを生活からなくしてしまいました。学生という身分、親の経済的援助、友人、愛する国、カリフォルニアの青い空。
関西で1年勤めたあと、外資系に転職して東京に引っ越して、大都会の冷めた人間関係もどうしても理解不能でした。だけど、アメリカが本当にすきだったから、いつか、キャリアをつんで、アメリカで働けるようになりたい・・という希望をもちつつ働いていました。
その頃、アメリカの911テロが起こり、さらにイラク戦争が勃発してからは、アメリカを愛するものとして、はらはらしながら見守っていましたが、
戦争が終わる頃には、とても失望した気持ちになりました。私は日本の色眼鏡メディアからの価値観の押し付けや、正しいとはいえない情報を信じていません。
だから、《米国=自分勝手=悪 》とは短絡的には思っていません。だけど、人の運命は、所属する国の運命とはきっても切れないもの・・。
永住を夢見ていたアメリカが、すでに自分の夢の国ではないような・・そんな予感がしました。
夢が消えてしまって、よるべのない気持ちで過ごしているときに、パシャリが私に会いに日本にやってきました。
パシャリは私も知っているボーイフレンドと結婚することにが決まり、タイの両親に会いに行ってきた帰りに東京に立ち寄ってくれました。
久しぶりに会う彼女は、相変わらず魅力的で、そしてやっぱり私の事を理解してくれる親友でした。
彼女とあった数日間。。。。本当に久しぶりに生きた心地がしました。そして彼女は、タイのパンガン島であったパーティーに行ってきた話しをしてくれました。
それはかの有名なFULLMOON PARTYだったのですが、彼女がいうには「The best ever! きょうこ!あのパーティーは行かなくちゃだめよ!」
・・だそうで、海面に浮かぶバーや、満月にてらされて、あったかい海の水につかってすごすパーティーの素晴らしさをとくとくと説明してくれました。
南の島の満月に照らされる・・・魅惑的なビーチパーティー・・・・・。満員電車通勤一日4時間でノイローゼの私にはなんとも甘美に響き。
それと、私は、パシャリとパーティーにいって遊びまわるようになった25歳のころから、テクノやダンスミュージックに目覚めて、生きがい=テクノ だったので、
パーティーときいて、血が騒ぐ。
彼女が訪れてくれたちょっと前に、わかれた彼氏がテクノDJおたくで、その元カレの親友がタイに長期滞在していて、
タイのパーティーは最高だと、連呼していたという話も頭に残っていました。
ちなみに、その元彼の親友は、ファイヤーダンスを習得して帰ってきていて、それを見たのも強烈なインパクトでした。
さらに、パシャリは、タイは気候がよくて、物価が安いから、いつでもタイに来い。パシャリの実家ならいつまでいてもただで滞在してくれてよい。
などと、私をタイに誘惑するのであった・・。そんなこんなで、私のタイへの憧れは膨らむのでした・・。
経緯 タイとつながった瞬間 パシャリ
私がタイという国と何かがつながったのは、私が25の頃で。留学先のアメリカ、カリフォルニア州でした。
サンフランシスコから車で一時間くらいの都市の短大に居たときでした。タイ人の友達パシャリとであった時でした。
アメリカは私が夢にまで見て、やっとやってきた国だったし(渡米まで決意してから5年)、
毎日本当にいい時間をすごしてたんだけど、ひとつだけ寂しいと思うことがありました。
それは、現地の人で男友達はたくさん出来るけれど、女の子の親友と呼べる人を作ることがなかなかむずかしかった事でした。
アメリカでつくった友達で唯一親友である。と断言できる女の子、それがタイからやってきたパシャリでした。
私は、2つの短大に3年ほど通っていて、一つの短大の卒業の大体のめどがついて、不法で日本食レストランで働いている時に一緒にバイトに
入ってきたのがパシャリでした。パシャリは、キュートなアジア人の女の子でした。今となれば、彼女は一般的なタイの女の子に見えます。
小さくて、ほそっこくて、チャーミングなひとなつっこい笑顔の黒い女の子。それがパシャリ。
最初、その子のかわいい声と、天真爛漫さに、19-21歳くらいと思っていたんだけど、彼女が30歳だと知ったときは本当に驚きました。
ひとなつこく、あかるいパシャリにすぐに仲良くなり、一緒に遊びあるくようになると、やっぱり、驚くようなことばかりでした。
「きょうこ!なんにもしんぱいすることないわよ!なんとかするわ!」
「きょうこ!私の事わすれてないでしょうね?愛してるわよ!」
それが彼女の口癖。楽しいことが大好きで、自分を強く信じて、皆に愛されていると信じている・・それがパシャリ。
カマロでハイウェイを飛ばし、楽しいパーティーをいつでも企画して、だれでも仲間に入れようと分け隔てない態度のパシャリ。
知っているすべての男の注目をあびて、お姫様であることを当然とするパシャリ。彼女を愛しないということは誰にとっても難しい・・そんな女の子でした。
しばらくつきあう内に、彼女の過去がわかってきました。彼女は17歳のとき45歳くらいのアメリカ人の富豪と結婚して、タイのチェンマイの森の奥の貧しい家庭からアメリカにやってきたのでした。
彼女に当時9歳の子供がいると知ったときは、本当にびっくりしました。
パシャリは自称23歳として、18歳くらいの子とデートしてた (離婚して数年くらい)
彼女は、日本的感覚からすると、すごく自己中心的で、自分の都合のよいようにしか考えない・・それでいて、情にあつく、まわりの人を大事にする・・という、なんとも不思議な組み合わせのパーソナリティーを持っていました。
当時の私には、謎がナゾを呼ぶ興味のつきない親友でした。
いままでのいきさつ。
今までの私のいきさつなんかを紹介できるリンクを作ってみたかったんだけど、
まだよくブロクの仕組みがわかんないので、
この日記に初めのほうに紹介していくことにします。
ちなみに、横のFavorite link は厳選 超笑えるので、是非是非みてください!
*足立学園柔道部の日記は、もうかわいくて絶叫します。
*だらだらバンコクの作者の生き方は、もう一度違う人間に生まれ変われるのなら、彼女になりたいと思わせるほどのすごさです。笑いのセンスは一品です。
*バンコク留学日記は、壮絶です・・。ここまで濃い留学生活が送れる彼、一日とも無駄にせずに生きる姿勢には脱帽です。本当に勉強もしてるし☆あんまり濃い4年なので、一気に読めないので、小説のよう長期間読み込んでいく楽しみがあります。
