大正時代の学生の考え方

 

芹沢光治良の自伝的小説「人間の運命」(二)を読み続けている。

 

主人公の森次郎は、一高から東大の経済学部に進学した。3年生のとき、早いが高等文官試験を受験した。

 

まだ、卒業後に官吏になると決めていたわけではなく、大学の研究室に残ることも視野に入れていたのであるが、いずれにしても日本の法制度を理解するには、高文を受けるのがよいと考えて次郎は受験した。

 

当時も高文の試験は難試験とされており、半年間猛勉強した。この半年間は授業にも出ず、一日10時間以上、勉強した。友人の池谷とともに伊豆にこもり、髭も剃らずに法律書を読み込んだ。

 

憲法の天皇機関説の美濃部達吉が試験官になってきても、天皇主権説の上杉慎吉が試験官になってもいいように、どちらの説も勉強したが、次郎も池谷も天皇機関説に傾いていた。

 

当時の学生も天皇(大正天皇)のことを、オテンチャンと陰で呼んでいたようである。天皇が議会において、紙を丸めて議席をのぞいたことなどが学生にも伝わっていたからである。

 

人間の運命、を以前読んだときは、このへんのことは、あまり気にならなかったのであるが、今読み返してみると、当時の学生も我らの学生時代も変わらないな、と感じる。