アミエルの日記(アンリ・フレデリック・アミエル)(土居寛之 訳)白水社

 

アミエルは、1821年にジュネーブで生まれた。若くして両親を失い、孤児になったが父の遺産があったために物質的には困らない身分であった。26歳の時に日記をつけ始め60歳の彼の死の日まで続けられる。

 

生前の彼は凡庸な哲学教授であり、数冊の詩集とルソーに関する小論文を発表しただけで、ごく狭い範囲で知られているだけだった。

 

しかし、死後に発表された日記が有名になり、特にトルストイがロシア語訳の「日記」の序文で彼を賞賛したことによって、彼の地位は決定的になった。

 

彼は、たった一度の結婚もできないし、ろくな作品を発表することもできなかった臆病な人間だったが、平凡で無味乾燥な講義を続けていたジュネーブ大学の一教授の日記がかくも有名になるとは誰も想像出来なかったろう。

 

彼の日記から。

 

「自分の気持ちをしずめ、回想するためにこの日記を書いた。」

 

「寂しいときのほうが陽気なときよりも筆を取りたくなる場合が多い。」

 

「日記は孤独な者の打ち明け相手であり、慰め相手であり、医者である。つまり友人と妻の代わりになっている。」

 

「日記は、ペンを手にしてやる瞑想に他ならない。」

 

「29年間のこのおしゃべりは、要約してみれば何にもならないものになってしまうだろう。だれも人は自分の物語と自分の私生活にしか興味を持たないからである。」

 

「避けられないことは、そのままおとなしく受け入れることである。あるがままの生活を受け入れなければならない。」

 

「日記は気立てがやさしく、同じことの繰り返しも打ち明け話も、愚痴も大目に見てくれる。誰も見ていないところでやるこの打ち明けは、思考が自分と行う対話である。」

 

「次の夜がすでに脅威と未知であるとすれば、芸術も学問も政治も諦めるのは当然のことであり、自分自身と対話することで満足するのは当然である。これだけは最後まで可能である。心の中でやるひとりごとは、処刑が延期されている死刑囚のとりうる最後の手段である。彼は死ぬために自分の巣に戻ってくる。この巣とは、自分の良心であり思考である。それはまた日記でもある。」

 

(感想)

彼の日記は、前向きではないし、生産的ではない。しかし、自分がくたびれたとき、辛いときに、これを読むと不思議と心が安まる。