今度の旅で一番心に残ったのは、写真など一枚もない、真夜中のマラガでの出来事だ。
実は、夫はマドリッドで1度(この時は小銭の入った財布だけ)、アルハンブラ宮殿のショップで1度の計2回、スリの被害に遭った。1度目はともかく、2度目の時は、本人がかなり気落ちしてしまったのは想像に難くない。
夫が2度目の被害にはっきりと気がついたのは、マラガのホテルに到着してからのことで、それからクレジットカードの停止、保険会社への連絡と、私は忙しく動いた。
みんなとの夕食の時間が迫っていた。
せっかくの楽しい夕食の場で、暗い顔をすることはできない。
さおりさんだけには事前に相談することにして、夕食は大いに楽しもうと決めた。
夫がさおりさんとペドロさんに事情を説明して、夕食の後、マラガの警察署に一緒に行ってくれることになった。
さおりさんは「私もすられたことがあるんですよ。あまり気落ちしないように。お怪我がなくてよかったです」と、夫と私を慰めてくれた。
そのさおりさんの言葉は、2度もスリに遭うなんて自分の注意力が足りなかったせいだ、と自分を責める夫の気持ちを、ずいぶんと和らげてくれたはずだ。
思うように片手を動かすことができない夫は、被害にあったことで、普通の人以上に辛い思いをしたと思う。だから、さおりさんの言葉は、私たちふたりにとって本当に救いの言葉となった。
楽しい食事をして、みんなに「お休みなさい」を言った後、さおりさんとペドロさんが、車で私たちを警察署まで連れて行ってくれた。車中、ペドロさんもしきりに私たちを慰めてくれた。
もう夜11時を過ぎている。
明日、ペドロさんは仕事じゃないの?
さおりさんだって私たちのガイディングのために、朝早く起きなければいけないでしょう?
申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
ペドロさんの運転で、夜中のマラガ警察署に着いた。
しんと静まりかえった部屋には、順番を待っている人が何人もいた。
さおりさんが、どのくらい待つのか、警察官に聞いてくれたが、やはりかなり待つことになりそうという。
もう、よしとしよう。
警察署の外に出た。
ひとっこひとりいない、暗い道を車まで4人で歩いた。
「ありがとう。おふたりがこれほどまでに、私たちを助けてくれたことだけで、もう充分です。お金よりずっと大切な経験ができました。本当にありがとう」。
ふたりとも、泣いた。
ペドロさんは夫に「このせいで、スペインを嫌いにならないで」と言ってくれた。
「嫌いになんかならないよ。ペドロさんのおかげで、もっともっと好きになったよ」
夫はペドロさんに言った。
4人とも泣いていたと思う。
ペドロさんとさおりさんの、掛け値なしの、どこまでも純粋に人を助けようとする優しさ。
人を救うって、こういうことなんだな、と思った。
胸が温かさで満ち満ちていくのがはっきりとわかった。
写真は1枚もない、マラガでの出来事。
でも、私の心にははっきりと残っているあの光景。
このふたりが救ってくれた。
どうしても身につけていたくて、私はペドロさんがくださったジャスミンの花を帽子にさした。
翌日、見送りにきてくれたペドロさん。
どこまでも優しさに満ちた人。