『雨に唄えば』を観ていて、ふいに15年前のことがよみがえってきた。
15年前、出張先で倒れた夫は、そのまま埼玉の大学病院に入院した。
そこで「よくなっても車椅子の生活、職場復帰はまず不可能」と医者から言われたのだった。
出張に着ていったスーツも、ステンカラーコートも、ブリーフケースも、もう二度とこの人は手を通すことも、持つこともないのだ、と思った。
そして、私はその理不尽さをどう受け止めていいのか、自分でもよくわからないまま呆然と立ちつくすしかなかった。
突然何の前触れもなしに、すうっと自分の前に線が引かれ、他の幸せな人たちとは全く違う世界に自分たちが置かれたことだけはよくわかっていた。
私は、病院の同窓会館に泊まり込みながら、毎日夫の看病をしていた。
夫の車椅子を押しながら、病院の中を散歩もした。
ある日、若い医師たちによる小さなクラシックのコンサートが開催された。
そのコンサートで何の曲が演奏されたかは、よく覚えていない。
が、医師たちが奏でる音楽を聴きながら、私は涙があふれるのを抑えることができなかった。
そして、夫が倒れてから初めて、私に人間らしい温かな感情が戻ってきたのを感じていた。
やさしくて、愛に満ちたものに自分が包まれているのだ、と本当にその温かささえ感じることができた。
「ああ、私もこういう美しいものに心を動かされてもいいのだ」
自分で、自分を解放してもいいのだ、と思うと心がずいぶん軽くなった。
美しい音楽や絵画、舞踏。
芸術の持つ力の大きさ。
今日はそんなことを思い出すことができ、久しぶりに心が満たされた日。