1月2月と、事故にはつながらなかったが、車を運転していてひやりとすることが2回あった。

 

5月の兄弟たちとの旅の計画も、問い合わせした内容で、肝心の予約時間を書き洩らしていたりもした。

 

1月2月は注意力がとても落ちていた。

 

自分では、普通に暮らしていたつもりだったが、だんだん元気になってきた今はよくわかる。

 

自分がやっていることを、薄い膜を通して感じるようなぼんやりした感じ。

生き生きした感じを、実感することができないでいた。

 

軽い鬱だったんだろう。

 

 

 

理由は、多分、忙しすぎたこと。

母の世話も増えだして、婦人会の用事も多くて、自分の時間がなくなり、ペースも乱され、それでもがんばっちゃったからね。

 

余裕がなくなったために、今までは「これは必要、これは必要ではない」と、物事を交通整理できていたのが、できなくなってしまったんだ。

 

今まで出会ったことのない理不尽な世界に翻弄され、私の心は大いに困惑していたのだろう。

 

怖いと思ったのは、自分がそういう状態になっているという自覚がなかったこと。

あれ? おかしいな? と思っても、それが何でなのかを考えることもなかった。

 

なんとヤワだこと、と自分でも思うが、これは警告だと思うことにした。

 

今までは怪しくなりだしたら、自分の世界を強引に作り、それに没頭することで、ストレスを切り抜けていたんだなあ。

生活のバランスが少し崩れるだけで、こんな状態になるなんてビックリだ。

 

 

 

2006年8月14日。

韓国・ソウルの韓国民俗村にて(我が家はチャングム好きだった)。

最近の私、きっと、こんなふうになっちゃってたんだろうな。