6月23日。

旅の最後の夕食は、ぜひここで、と決めていたレストランがある。

 

 

1993年の北欧旅行は、私たち夫婦とタケちゃん、三人一緒の旅だった。

 

登山で知り合ったタケちゃんは、私たちより十数歳下で、一流企業に勤める20代の社会人だった。

 

沖縄出身で、本当に素直で優しくて、思いやりがあって、こんな良い人がいるのか、と思うくらいの善人だった。

 

家族の縁にあまり恵まれていなかった彼は、私たちのことを

「H姉(ねぇ)」「M兄(にぃ)」

と故郷の言葉で呼び、実の兄や姉のように慕ってくれていた。

 

だから、きっと彼は、兄や姉との『家族旅行』がしたかったんだろうな、と今になれば、彼の気持ちがよくわかるのであった。

 

 

そのタケちゃんと行った北欧旅行での1泊目のホテルが、ユールゴーデン島にある Hotel Hasselbacken(ハッセルバッケン)だった。

 

夕食は、ホテルのスタッフが勧めてくれた、ホテルからすぐ近くの Ulla Winbladh (ウラウィンブラッド)で取ることにした。

 

いつまでも暮れないストックホルムの空の下を、三人で、美しい北欧の景色に興奮しながら Ulla Winbladh まで歩いたのを、31年経った今でもよく憶えている。

 

レストランでは、ウェイトレスのマリアさんを「可愛い、可愛い」と言ってはしゃいでいたタケちゃん。

 

タケちゃんと夫にとって、初めてのヨーロッパでの、初めての夕食。

 

三人にとって、とてもきらきらした思い出の夕食となった。

 

現在の Ulla Winbladh 。お店のこの看板は変わっていない。

 

31年前のテラス席は、屋根がつき変わっている。

 

スウェーデンの代表的な料理のミートボール。31年前にも食べたはず。

高級なレストランらしい上品な味。とても美味しかった。

 

夫はサーモン。

 

デザートは、隣の方が食べていたスウェーデンの典型的なもの(名前失念)を、隣の方に教えてもらっていただいた。

 

レストラン入り口。

 

テラス席への通路。

 

 

 

 

 

タケちゃんは、6年前、まだ52歳で、病気のためこの世を去ってしまった。

いい奥さんと結婚して、4人の子どもにも恵まれ、彼が一番欲しかった『幸せな温かい家庭』を手に入れたのに。

 

 

私たちは、いつまでもタケちゃんのことが忘れられないでいる。

だから、タケちゃんとの思い出の詰まったこのレストランで、この旅を終わらせたかった。

 

食事後は、メーラレン湖畔を歩いた。

この景色は31年前と全く変わっていなかった。

はしゃいでいたタケちゃんも、この景色をかみしめる様にじっと見つめていたのを、よく憶えている。

 

 

 

Skansenの出口のひとつの横を通って。

 

 

宿泊したHotel HasselBacken まで、スペイン大使館の横を通り、緩やかな坂を上っていく。

この道も、全く変わっていない。

 

 

ピンクの壁の Hotel Hasselbacken。これも変わっていない。

 

 

ホテルの部屋でも、はしゃいでいたタケちゃん。

私たちとの『家族旅行』を楽しんでくれていたのだ、と思う。

 

今度、ストックホルムに来ることがあれば、タケちゃんとの思い出が詰まったここに、やっぱり泊まろう、と思った。

 

 

もっと年取ってから、タケちゃんと三人で、北欧旅行の思い出話をしたかった。

 
旅のフィナーレは、タケちゃんと一緒に過ごせてよかった、と思った。