100%味方✨めてよこ(Metisようこ)の部屋

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からだ・こころ・魂を一致させて、セルフイメージをバージョンアップ!いつでもどこでも、いくつになっても、理想の未来をクリエイトする「ミラクル・ライフデザインコース」を提供しています。

会うと新しくなっちゃうスピリチュアルコーチめてよこ(Metisようこ)です。

 

あるセミナーで、こんなワークをしました。

 

 

「散歩しながら、頭に浮かぶ言葉を全部手放してみてください」

 

何かを見たり感じたりすると、自然と言葉が浮かびますよね。

「あったかいな」「あ、蝶々だ」——そういう言葉を、意図的にやめてみる。

 

最初はなかなかできなくて、気づくたびに手放して、また気づいて手放して。

でも慣れてくると、頭の中がしずかになってきました。

 

ただ歩く。音を聞く。緑を目で追う。体を感じる。

言葉のない世界で、庭がいつもより鮮やかに見えた気がしました。

子どもに戻ったみたいな、不思議な感覚でした。

 

そこで気づいたこと。

「言葉」は、人に伝えるためにある。 

自分だけの世界は、言葉がなくても十分に味わえる。

 

 

でも、ビジネスを学ぶと全然違うことを言われます。

「言語化しなければ、ないものと同じ」

それくらい、言語化が大切だと。

私はずっと、それが腑に落ちなかった。

言語化が苦手だから、というだけじゃなくて、

言語化そのものを疑っていたんです。

 

(だって、絵画も音楽も舞踊も、言語じゃない。

雨の音も、空の青さも。それでもちゃんと伝わるじゃないか)

、と思っていた。

 

私のセッションでも、体が楽になった感覚をうまく言葉にできないことがよくあります。

そんなとき私はあえて、言語にしない選択をすることがあります。

言葉にした瞬間、その体験の一部が切り取られてしまうから。

丸ごとのまま置いておくほうが、体がじわじわと学んでいくことがあるから。

だから私には、「とにかく言語化」という感覚がどうしてもなじまなかった。

 

それが最近、やっと腑に落ちました。

ビジネスが「人に何かを伝えること」から始まるなら、

言語化が大切なのは当たり前のことです。

 

でも、もう一つ気づいたことがあります。

言語化には、自分に伝えるための言語化もある、ということ。

 

言葉にして格納するのは、形を与えて完了させるため。

自分に起きた体験を、自分自身が理解するため。

それをしないまま体験だけを重ねていくと、いつしか自分の中の一部が置き去りになっていく

 

その置き去りになった自分は、たくさんの体験をしてきた。

でも、誰にも話しかけてもらえなかった。

 

どんな体験だったの?何を感じたの?

 

そうやって聞きに行くことで、はじめて言葉になる。

 

そして、聞いてもらったことで、ひとりぼっちで楽しかったり辛かったりしていた自分が、ひとりぼっちじゃなくなる。

 

言語化って、自分を迎えに行くことでもあるんだ。

 

そう気づいて、ほっとしました。

 

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会うとなぜか現実が変わってしまう

スピリチュアル・コーチのめてよこ(Metisようこ)です。

 

先日の夜、不思議なことがありました。

2022年に亡くなった母のことを思い出していたんです。

 

老後は認知症になって、それを本人も気づいていた。

明るい人だったのに、鬱々としてしまったりして、

友達との交流が少なくなって寂しそうでした。

 

親って、人生を通じて変わっていく姿を見せてくれる存在です。

一生懸命生きていて、

幸せも、不幸も見せながら、あなたはどのように生きるの?と

問われていたのかもしれません。

 

私は実家にいるのがつまらなくて

大人になってすぐ一人暮らしを始めて、

時々甘えに帰る、いうことを聞かない

偉そうな放蕩娘でした。

 

高齢になった母と会うのは、病院に行く時や

実家に様子を見に行く時が多く、

日程や、出来事や、何度も繰り返される話題を

聞くのはなかなか苦痛でした。

 

でも、先日の夜、

私が小さかった頃の母や、

私が反抗期の頃の母や、

老後の母、いろいろな時代の

母の様子が次々と浮かんできて、

目を三角にして怒った時ですら、

 

母はいつも私を愛していたんだな

 

と感じました。

私はそれを本当には知らなかったのかもしれない。

 

そう思うと、涙が出てきました。不思議な感覚でした。


「私と私の母」という関係なのではなく、

それは、まるで、物語の中の誰かを外から見ているような。

 

そして、そこから、さらに、

一緒にいた人、仲良しだった人、ひどいことをした人、

された人、裏切った人、怒った人、泣かせた人、、、

 

いろいろな人の記憶がつぎつぎと浮かび、

 

そのひとつひとつは、全部、愛だったのだと気づきました。

 

どれだけ辛い思いをした時も、

私は愛の中にいたのだと。

 

そして、さらに広がって、

今、触れている布団や、そばで寝ている猫や、

家や、カーテン、、、

特に気に入っているとも言えない身近な小物たち。

 

それらもすべて、愛でできているのだと感じました。

 

私は嗚咽するほど泣いていました。

そうなんだ。

全てが愛でできているんだ、と

実感したのです。

 

それは、悲しみのような痛みすら内包する

胸が締め付けられる感覚。

 

それで、子供のように泣いてしまったのです。

 

愛の一つの面を知った夜でした。

 

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会うとなぜか変化が起こるスピリチュアル・コーチ

めてよこ(Metisようこ)です。

 

プロジェクト・ヘイル・メアリーを観てきました。

胸アツ映画でした。聖書モチーフも散りばめられており、深い感動がありました

 

大きな画面で広大な宇宙の映像を見ると(フィクションでも、ノンフィクションでも)

自分がいかに小さなものであるかが体感できますし、イマジネーションのデータが増えます。

先日、アルテミス計画で「地球の姿」の映像が発表されていました。

 

 

 

Dr.苫米地のYouTubeで聞いた話ですが、地球上に張り付いて生きてると、まるで2次元か、2.5次元の実感でいる。蟻ん子みたいなもの。3次元でもないってことですね。


だから、時々、意識を地球の外に持っていってみるのは、よい脳トレだと思います。


所詮、頭の中でしか、外部のものを認識できないわけなので、脳に入れる情報によって、世界は変わって見えてきます。

 

さて、映画で胸アツだったところの一つは、

ネタバレにならないように書くのはもどかしいですが、

主人公の科学者が、宇宙の果てで、全く意思疎通をしたことがない相手と、なんとか、意思疎通をしようとするところでした。

 

言葉が通じない、身体の組成も、生態も異なる相手とのファーストコンタクト。

実は、これ、日常でも起こっていると思います。

 

全く理解不能のことをする人って、周りに一人や二人はいませんか?

もしその方とご縁があるのなら、

それは未知との遭遇なのです。

 

自分の論理は通じない。別のロジックで生きている存在。

そう思うだけで、「ふつう」という星の大気圏から離れて、上も下もない宇宙空間に出られます。


「ふつう」かどうかは、宇宙空間では意味のないこと。気にしなくていいことです。

 

その異星人が、自分の世界に存在することで、

自分が持てなかったなにかを、外に存在させている

のかもしれません。


信じられない人に出会った時、排除せずに、観察してみると、新しい視点が持てたりします。


ちょうどそれが必要だったりするんですよね。

 

 

 

 

会うとなんだか現実が変わるスピリチュアル・コーチ

めてよこ(Metisようこ)です。

 

 

私はそれほどきちんとしていないタイプの人間です😅

 

「きちんと」は、向いているひとと、向いていない人がいて、

私は向いてないタイプだと思っています😅

 

(言い訳にしか聞こえない??👀)

 

けれども、小さい頃に、「世界はきちんとしなければならないところ」だと

学んだので、自分にかなりプレッシャーをかけて生活していました。

過去、経理マンとして働いていた頃の自分は本当に頑張ったと思います😭

 

先日、心の中まだあった「きちんとしなければならない」というに気づきました。

 

このような掟は生きづらさに繋がっていることがあります。

実は「きちんと」するかどうか、が問題なのではなく、

「きちんとしなければならない」のにできていない自分責めることが問題です。

 

私のこの掟は、子供の頃の母の言葉をインストールしていたのだと気づきました。

小学校に入った時に、学校に色鉛筆を持っていくことになりました。

 

その色鉛筆の一本一本に、細い名前のシールを貼ることになっていました。

私が、そのシールを不器用に貼っていると、母が

 

「ママ、そんなふうに曲がっているの、嫌いよ!」

 

と言いました。

それが、強烈に子供心に残りました。

 

母はよく「きちんとしなさい」と言っていました。

それで「きちんとすること」が掟になったわけです。

「きちんと」が得意でない私だからこそ、

それは大切なことだし、練習して多少は身につけていくべき

という教えだったのだと思います。

 

しかし、途中からわたしは、それが無意識の中で強迫観念のようになって、

「常にできていない自分」を感じるようになっていきました。

 

自分はきちんとできていないから、

いつも、

何か足りないのでは?

そろっていないのでは?

おかしくみえるのでは?

と、緊張していました。

 

それから、いつしか、きちんとする路線から離脱しました。

というよりも、

『きちんとせねばならない』という強迫観念から離脱したのだと気づきました

 

そのおかげで、自分を責めないようになりました。

 

自分を責めていることに、なかなか気づかないことってあります。

責めているとしたら、そこには何か掟を破っているという感覚があるかもしれません。

その掟はなんですか?

 

その掟は、今のあなたが守るべき掟でしょうか?

 

 

 

 

会うとなんだか変わっちゃうスピリチュアルコーチめてよこです。

 

1ヶ月前、天然のヒーラー(私が勝手に名付けただけですが)である

小林香織さんのセッションを受けました。(リンクはfacebookです)

香織さんは、ほんとに天然のヒーラーなんですよ。

っというのは、話すと癒されちゃうんです。

顔見たらほっとしちゃうんです。

これ、私だけじゃないはず!

とってもとっても奥ゆかしいのに、

びしびしっと鋭く確信を教えてくれるのもヒーラーさんぽい。

 

この記事、書き始めるのにほぼ1ヶ月かかったのですが、それは

 

ちょっと辛いことだったから😢

 

何が辛いって、セッションがではなくて

セッションでお話ししたことが。

 

タイトルにも書いたけど、

私、指輪を二つ次々と無くしてしまったのです😭

 

ジュエリーに興味がなくて、持たない系の私ですが、

その二つの指輪には思い入れがあるものでした。

 

私のとっての初ジュエリーと言ってよいものでした。

その話を香織さんに聞いてもらいました。

香織さんは、ふんふんと黙って聞いてくださいました。

 

どちらの指輪も、同じブランドで、

私が2017年に難病で入院する時に、

偶然、新聞記事で読んだジュエリーデザイナーの指輪でした。

世界観がすてきで、写真を見ているとトリップできたのです。

 

(退院したら、買いに行く!)と決めて入院して、

退院して、ほんとうに買いに行って、

自分で自分に買った初めての小さな石付きの指輪でした。

(隠された星というタイトル)

 

あまりキラキラすると日常でつけづらいから、ブラウンダイヤにしてもらった。

それからずーっと毎日していました。自分の指の一部みたいな指輪です。

私にしては高いものでした。

 

(そんな大事なものをどこかに忘れてくるなー!と自分で思いますが・・・)

 

 

もう一つの指輪も、同じブランドで買いました。

大好きなブランドで、てんとう虫とクローバーがあしらわれたリングが発売されるというので、奮発して買いに行ったのです。

仕事がうまく行って、自分で買うことができて、お金を使う喜びを感じました。

実は、病気が発覚した日に、てんとう虫とご縁があって、

てんとう虫のおかげで「私はラッキーなのだ」と、自分を励ましていたのです。


こちらのリングは、なぜかあまり出番がなく、時々、愛でて楽しんでいましたが、日常はつけていませんでした。

 

ある時、ふと取り出して、指につけて出かけたその日に、無くなってしまったのです!😭

なぜ指輪を外したのかというと、

ハンドクリームを塗る時に、外してポケットに入れたのです。

別の指輪と一緒に。

 

で、その後ポケットを探っても、別の指輪しか見つけられませんでした。

 

(不注意ですよね。大切なものは大切に扱わないといけませんよね。はい。その通りです。😢)

 

このようにして、2週間くらいの間に大好きな指輪が二本なくなってしまったのです。

 

香織さんは守護龍リーディング🐉ができる方です。

 

それで、セッションでこのことを話したら、

「もうわかってると思うけど、めてよこちゃん、

そうでもしなかったら手放せなかったでしょ?」

とズバリ言われました。

 

😱。そうか。と思いました。

 

手放そうって、最近、少し考えたことはありました。

てんとう虫のリングは、とってもかわいくて好きなデザインだけれど、

実際、身に着けなかったし、今の自分にはフィットしていないと感じていました。

 

でも、これほど好みのデザインが、他で売ってるはずないと思っていて、

そして、記念のリングでもあったし、

その当時の自分にとっては「希望」のリングでもあったから。

確かに、自分では手放せませんでした😢

 

そして、毎日していた方のリングは、自分と一体化していました。

それなのに、無くしたことに数日間、気づかなかったんです。

指輪をしていないことに気づかないなんて、かなりのうっかりです。

 

「体験が一つ終わったんだ」とセッションを受けて明らかになりました。

 

病気から始まって、めちゃくちゃ楽しい入院期間、

そこから元気になったり、トンネルみたいな別の暗い現実に出会ったり、

いろんなことがありました。

 

そして、今の自分は、幸せで、

なんだかとても元気で(後遺症はまんま残ってますけど)

新しい仕事も初めて、

喜びも悲しみもしっかり感じられる。

未来を明るく感じている。

 

だから、ある時代が終わったんだ。と思いました。

 

指輪、自分では手放せなかったけれど、もう私に合わなくなったんだと。

しっかり言語化してもらいました。

どうか、だれかのためになっていてくれますようにと祈りました。

道にポイっと捨てられていませんように。

使ってくれてもいいし、売られてもいい。大切に扱う人のところに行けますように。

それができないなら、大地に帰りますように。と祈りました。

 

それでも、これを書くまで1ヶ月かかったな。

すごく寂しいです。

 

それだけ大きな思いを手放したんだなと思います。