ローランド・エメリッヒのあの作品を再考 | Blu-ray DVD Amazonビデオ 劇場最新作より、映画の感想・レビュー!

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前回まで4回に渡って怪獣映画以外の特撮作品についての記事を書きました。

さすがに怪獣映画や特撮映画以外の作品の記事を書いてアップさせようと思っていたところだったのですが、最近とある作品を劇場で観て、ちょっと記事にしたい怪獣映画が頭を過りました。

まず劇場で観たその作品とは何かというと、ローランド・エメリッヒ監督の『ミッドウェイ』です。

 

 

何?戦争映画?

東宝特撮でも戦争映画はたくさん作られているが、なぜ怪獣映画が頭を過った?

そう、もうお気づきの方もいるかと思います。

戦争映画つながりではなく、ローランド・エメリッヒつながりで来ています。

この記事を読んでいる方で、あのあまりに賛否が分かれた(というより総じて低評価だった)エメリッヒの作品を鮮明な記憶として刻んでいる方はどれくらいいるでしょうか。

『GODZILLA』(1998年 監督:ローランド・エメリッヒ 出演:マシュー・ブロデリック、マリア・ピティロ、ジャン・レノ、ダグ・サヴァント、ヴィッキー・ルイス 他)

 

 

 

 

【あらすじ】──南太平洋で日本の漁船が破壊され沈没する。

生き残った船員はその時目撃した巨大生物を「ゴジラ」と呼んだ。

調査のために、チェルノブイリで放射線による生物への影響を研究している生物学者ニック・タトプロスが調査チームに編入される。

各地を襲撃した巨大生物ゴジラはニューヨークに上陸し、街の人々は逃げ惑う。

ニックは米軍と協力し、地下に身を隠したゴジラをマグロでおびき寄せる作戦を提案する。

一方、フランス対外治安総局の諜報員フィリップ・ローシェ(ジャン・レノ)もゴジラを追跡し、ニューヨークを訪れる。──


☆これはゴジラじゃない!しかしだからこそ名物になり得た怪獣

もう本作の悪い所を取りあげれば誰でもまず同じことを言うでしょう。

そう、人物たちがゴジラと呼んでいるその怪獣のルックス。

どう見たってゴジラとは程遠いですね。

細長い腕と脚。

前傾姿勢で歩くだけでなく軽快に走る。

二足歩行で背ビレのあるトカゲです!

こういう、見た目ですぐわかるようなポイントを今さら酷評しても仕方ありません。

ここで私が示したいのは、こんなヒドい造形だからこそ、ゴジラ映画史上の名物になり得たという見方です。

 

 

ゴジラという呼び名で来る必要があったのか疑問なその造形をゴジラとして扱う挑戦的な姿勢はある意味では称賛に値します。

まずハリウッドでは当時から当たり前だったCGによる表現ですが、今と比べればやはりそのクオリティは低いです。

そんな当時に、すでに皆の納得する造形のゴジラを作っていたとしましょう。

すると現在のギャレス・エドワーズやマイケル・ドハティによる作品に埋もれて、このエメリッヒ版ゴジラはかえってその存在を忘れ去られていたのではないでしょうか。

皮肉にもエメリッヒ監督自身が本作に乗り気じゃなかったのですが、日本でも頻繁に怪獣映画が製作されていた90年代に異色の概念で生まれた異国のゴジラとして歴史を刻んだことには意義があったと言えます。

またアメリカの有名な怪獣と聞いて多くの人が思い浮かべるのは類人猿型のキングコングですが、そんなアメリカでこういうトカゲや獣脚類(ティラノサウルスなどの二足歩行の恐竜)に近い型の怪獣を描くのは稀有な例にも思えます。

(日本の怪獣映画ではゴジラ以外にバランやゴロザウルス、チタノザウルスなど多数思い浮かびます。)

その点においてゴジラの名前を抜きにして見ればカッコいい怪獣です。

そんな本作を、ゴジラ以前にアメリカで製作された怪獣映画『原子怪獣現わる』のリメイクと言ったほうが良いと考えている人もいるようです。

 

 

しかしそこに"ゴジラ"ではなく"リドサウルス"という名前を持ってきても観客はピンと来ないでしょう。

それらの意味から考えても、皆が知っているゴジラとはかけ離れた姿ではあるものの、その怪獣をゴジラという名前で公開したことはゴジラ映画史として、映画史全体として、やはり意義があったという見方ができます。


★実は随所にあるゴジラらしい演出

怪獣そのものはゴジラとは似ても似つかない本作ですが、所々の演出を見れば実はゴジラらしい世界観が画面から伝わってきます。

まずは冒頭の海で漁船が襲撃されるシーン。

そういえば日本の第1作目と1984年の作品は漁船がゴジラと遭遇するシーンがあります。

ゴジラといえばやはり海から現れるイメージがありますが、そこで船に乗っている人間が襲われる物々しい始まり方はワクワクしますね。

その時点で海で漁船を襲った者の正体はまだわからず、場面が切り替わったところで調査にたずさわることになる科学者の登場です。

 

 
 

本作の主人公である生物学者ニックが突っ立っている場所がゴジラの巨大な足跡という演出も、初代ゴジラを彷彿とさせられます。

 

 

そして人物たちの硬派すぎないノリのいい台詞の交わし方も、ギャレス・エドワーズやマイケル・ドハティの作品にはない軽快さがあり、この辺りは『キングコング対ゴジラ』などの昭和の作品を思い起こさせます。

そういった人物たちが織り成すテンポ良いストーリーは、実のところ怪獣映画で観客を楽しませるには必要な要素であり、本作にはそれがしっかり見受けられます。

ガチガチの研究機関や軍だけが目立つのではなく、学者がいて記者やレポーターがいてエゴイストがいるという、バランスのある人物の立ち位置。

 

 

『モスラ対ゴジラ』でもそんな演出がありました。

またギャレス・エドワーズ版ゴジラと比較して圧倒的に評価すべきエメリッヒ版ゴジラの世界観設定があります。

それはまず、ギャレス・エドワーズの作品はゴジラのデザインは申し分ないのですが、ゴジラ誕生の経緯や核兵器使用の理由があまりにご都合主義です。

ゴジラというのが、まだ地球が放射能で覆いつくされていた古代の生物であるというところ。

軍が核実験を繰り返していたのはゴジラを抹殺するためであるというところ。

さらにそれを示すために始めの方のモノクロ映像で先にゴジラを登場させてしまっています(よくできた映像ですが…)。

その点、本作エメリッヒ版ゴジラは、ゴジラの誕生が水爆実験の放射能によるという設定は保ち、始めは何が起きたのかわからない普通の人間たちが、後からその正体を目の当たりにするまでのドキドキワクワク感があり、古風ながら退屈させないシナリオになっています。

 

 
 

(ギャレス版ゴジラが一概に悪いわけではありませんが、私は初見で寝落ちしかけたような記憶があります。)


☆本作ならではのカラーと起伏ある展開

中盤から後半にかけて本作の舞台となるのがニューヨークのマンハッタン。

この街のシーンでは一際、イエローキャブが画面を印象づけています。

 

 

日本でもこんなタクシーが走ったらカッコいいのになと、当時憧れました。

そんなマンハッタンの摩天楼の景色を活かした演出は本作の最大の見所です。

ゴジラがビルに身を隠したり、ビル群の間を走ったり。

ゴジラが走ること自体、本来は違和感があるのですが、戦闘ヘリ・アパッチとの正に市街戦とも言うべきシーンにスリルとスピード感が与えられています。

 

 

スリルとスピード感と来て、クライマックスではイエローキャブも活躍します。

怪獣を駆使したエンターテイメントとしては最高に熱い、完成度の高いシーンの数々です。

こういう部分はエメリッヒの怪獣映画として見れば本当に彼の手腕が前面に表れていると思えるんですね!

このエメリッヒ流の怪獣映画作品で、ここだけ怪獣映画らしくない、しかし物語に起伏をもたらしていると言えるところがマディソン・スクエア・ガーデンでのシーンです。

ゴジラの産み出した200個もの卵からゴジラの幼獣が誕生し、人間に襲いかかる様は怪獣映画というより『ジュラシック・パーク』の恐竜のようです。

ミニラやベビーゴジラとはまるで似つかわしくない、獰猛な肉食恐竜のような幼獣です。

まず成体の姿がやっぱり恐竜ですから!

そのゴジラというより小型の肉食恐竜とも言うべき姿の生物との室内戦が、まるでホントに『ジュラシック・パーク』のクライマックスにあったヴェロキラプトルが襲ってくるシーンと重なります。

何体も現れたらゴジラじゃないし怪獣映画じゃない!

しかしこれが本作ならではの観客を飽きさせない演出で、生物ディザスターフィルムとしての説得力を持たせています。

この間、成体のゴジラは登場せず、別物の映画を観ているような感覚になります。


★その後の作品に与えた影響

"バカでかいトカゲだ"

"恐竜だろ"

"弱すぎ"


と、あれこれ冷笑されたであろう本作のGODZILLAですが…

しかし、なんだかんだでその後の国内で製作されたゴジラシリーズにそれなりに影響を与えてはいるようです。

1999年に公開された『ゴジラ2000 ミレニアム』で早速現れている影響と言えば、ゴジラが泳ぐ姿が明確に表現されているところです。

それ以前の国内の作品では、『ゴジラvsビオランテ』でゴジラが泳いでいるシーンがわずかながらありますが、泳ぐ動作というよりはほとんど頭から海中に沈んでいっているというイメージです。

横向きに尻尾を使って推進している描写は国内作品では『ゴジラ2000 ミレニアム』が初めてです。

ここはやはりエメリッヒ版からの逆輸入的な影響が感じられるポイントです。

そして敵怪獣オルガのデザインはエメリッヒ版ゴジラがモチーフになっています。

日本のゴジラがアメリカのゴジラを打倒するという構図を見せたかったとのことです。

そもそも多くのゴジラファンが納得できなかったエメリッヒ版ゴジラへの対抗心が、『ゴジラvsデストロイア』以来製作されていなかったゴジラシリーズの復活のきっかけになったのだから皮肉ではあります。

しかし平成VSシリーズより後の世代のファンの間では、こうして製作された『ゴジラ2000 ミレニアム』が特別思い入れの深い作品になっているという人もいます。

ミレゴジが初めて劇場で観たゴジラだというファンであれば必然的で、この流れが新たなゴジラファンの獲得につながったのであれば興味深い話です。

こうして日本では第3期ゴジラシリーズの幕開けとなりました。

2001年公開の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』では、「アメリカにもゴジラに酷似した生物が出現した」という台詞があります。

つまりエメリッヒ版ゴジラのことを言っているのですが、まさか世界観共有してしまうとは!

思わずニヤリとさせられる台詞です。

さらには2004年公開の『ゴジラ FINAL WARS』では"ジラ"という名でエメゴジが登場しますが、北村一輝扮するX星人の「やっぱりマグロ食ってるようなのはダメだな」という台詞は、元ネタを知ってる人には笑えます。

良い使われ方か悪い使われ方かは別にして、こうしてその後の国内作品でこれだけ影響を与えている以上、ゴジラ映画のラインナップにおいて、どうでもいい作品ではないということです。


──というわけで、このゴジラらしくないGODZILLAの魅力についてサラッと語りました。

一周まわって名物となったこの怪獣ですが、私は公開当時は普通にカッコいいと思っていました。

当時私は中学生で、『ゴジラvsデストロイア』以来、逆に日本のゴジラ熱が途絶えていた頃だったために完全にアメリカナイズドされてしまっていたのでしょう。

しかしそれだけではない、違う視点での魅力を再発見できました。

純粋に娯楽性重視の映画を撮らせたら、さすがはローランド・エメリッヒ!

最初に述べた『ミッドウェイ』も戦史を見せつつ、あくまで娯楽的な要素に手を抜かない姿勢があり、そういうストレートに映画を観る楽しみを提供してくれるところが潔いんですよね!

何せあの『インデペンデンス・デイ』の監督ですから、そんな人が監督を務めた怪獣映画ならば、モンスターパニック娯楽作としてのおもしろい要素があちこちにあるはずです。

 

 

実際、登場人物を見ていても楽しい撮影現場だったんじゃないかと思えてくるような画面が広がっていて、乗り気じゃない監督が撮った映画とは思えないです。

そうですね…この怪獣をゴジラとして見た場合の最大の不満を1つあげるとすれば、ミサイルで簡単にやっつけられたところですね。