こんにちは😃

今日は雨模様

そろそろ梅雨入りでしょうか。


今日は少し暗い話をしますので、お読みになった方ご自身の心身に影響が出る可能性がある方はご遠慮頂きますようお願い致します。



昨日、ブロ友の青汁さんがお父様の事をブログにアップされているのを読んでから、私の父のことが頭から離れず、色々と思い出す事もあり、そう言えば家族のことについて書いた事がなかったかな?と自分自身の思い出を整理する意味で少し書いてみたいと思います。



先日の墓参りは、父の故郷10代後半くらいまで育った田舎町。

父は昭和初期の生まれで、10代で太平洋戦争が始まり、父の父、私の祖父は出征し戦死。


そして父も学生だったが志願して通信兵となり、出征しましたが終戦を迎え故郷に帰りました。


戦後は苦しい生活を送ったそうです。

そして仕事を求め、今私が暮らしている土地に住居を移し、弟と妹のため、祖母と父は働いたそうです。


そして、この地で母と結婚して居を構えました。


その後、祖母や父の妹は、父の弟の仕事のために他の土地へと移しました。


戦中戦後のバタバタ生活や親戚との関係等の色々な理由が絡み、家の墓は未だ故郷にあります。

その故郷には遠い親戚はいるようですが、会ったこともなく名前すら知りません。


ちなみに私の両親と兄もその墓で眠っています。




父は口数は少なく、休日は何か仕事の勉強をして割と職場では中心にいるような人でした。


平日は帰宅して毎晩晩酌、お酒が好きで結構な量を飲み、酔うと陽気にしゃべり、あまり父に叱られた事はありませんでした。

けれど、外に飲みに出ることはほぼありませんでした。


小さい頃は兄や私を連れて遊びに連れて行ってくれた事も沢山ありました。


逆に母は勝気な人で、母も父と一緒に酒を嗜み、時々は喧嘩をしたりしていました。

子供心に両親の喧嘩はなんとも言えず身の置き所に困るイベントですよね。


そして、一番の思い出はあまり明るい事では無いのですが、両親は一度離婚をしています。

私が小学生の頃に別居している時期がありました。けれど、自分はまだ子供すぎて離婚とか別居と言う事の意味はわからず、ただ喧嘩して離れているだけだと思っていました。


後々、私が就職の時か何かの時に戸籍謄本を取った時に戸籍上の離婚を知りました。

しかし、また再婚をして添い遂げているので、終わりよければ全てよし、でしょうか。



その別居中、私は母の住まいと父や兄が住む元々の住まいを行ったり来たりしていました。


そして、母のアパートに父が仕事終わりに私を迎えに来て父と一緒にバスで元々の自宅に帰るという日々が続いた事がありました。


そしていつものように父とバスを降りて、自宅までそこそこの距離を歩くのですが、そのころはまだコンビニなんてものはなく、どこのお店も夕方にま閉まり、民家の明かりと街灯だけの道をひたすら歩く。


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その途中に一台だけ紙パックのジュースや牛乳が買える自動販売機がありました。



時々、そこで帰宅途中に父がジュースを買ってくれました。



なぜだったのか覚えていないのですが、その日の私は口数が少なく、ジュースもねだりませんでした。


そうすると父が、ジュースはいらないのか?と。

何か私が落ち込んでいるように思った父が私に聞きます。


私はその日はあまり飲みたいと思わなかったのかいらないと答えたのですが、父はいいから買いなさいとズボンのポケットから小銭を出して、さあどれが良いのかと。


私は本当にジュースが欲しくなかったが、父が強く言うので渋々これと指さすと、父は後の小銭をゴツゴツした指で自販機の投入口にチャリンチャリンと入れて、ボタンを押して出てきたジュースを手渡してくれました。


そのジュースはフルーツジュース、今で言うミックスジュース。牛乳にフルーツを混ぜたようなまったりと甘い、紙パックにストローを刺して飲みながら帰路を歩きました。


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なぜかその描写が頭に焼きついています。



父は寡黙だったと最初に書きましたが、ずっと黙っているのでは無く、こちらが静かにしていると戯けて見せたり家族を笑わせようとする人で、その時はそれが普通だと思っていました。


子供だったから深くは考えた事がありませんでしたが、青汁さんの記事を読んで色々と思い出し、

今考えると、10代で父を失い、自らも出征、その後も家族のために働き、激動の人生だっただろうなと。


父はあまり自分の事や昔の話をしたがらなかった、それはきっと辛い過去を思い出したくなかったんだろう。


そしていつも戯けて見せたり、家族を笑わせようとしたり、落ち込んで見えた帰り道の自販機でジュースを買ってくれた父。


60歳で退職し、その後も時々職場から呼ばれて応援に行っていたみたい。

酒飲みだったので肝臓が悪い事は分かっていた。


その頃の私は、社会人となり家を出て一人暮らし。そんなに遠いところではないので、週末は時々帰っていた。



ある日、父が風邪を引いたと言って咳をしていて、病院で薬をもらっていると。

次に帰った時、父が痩せていたので病院を変えるよう母に伝えた。

そして、次に行った時には、別の病院に行くと結核だと言われ入院する事に。


その治療のための薬は、肝臓に影響すると医師から聞かされたが、今現在苦しんでいるのだから、苦痛を和らげるため仕方がない。


そして、肝臓がどんどんと悪くなり、肝硬変、肝癌、それが全身に転移し全身の骨を蝕み、69歳で他界。


いつも家族を笑わせて家族のため働き、自分のことは話さない、辛い過去があったから明るい家庭を作りたかったのだろか。


自分が大人になって、父と酒を酌み交わす事もなく旅立ってしまったけれど、私が天命を全うして会った時には沢山見上げ話や昔の話を沢山したいと思う。


仏壇には毎日手を合わせているけど、墓参りは年に一度しか行けない。

これから何度いけるんだろう。