当事者研究はじめたけど、どうでもよくなりました。
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精神障害者の職業的なスキルは低い。

最近の企業の求人情報を見ると
単純な作業は少ない。
従業員に求めるスキルは
昔よりも高くなった印象を受ける。
精神障害者は長い療養生活と障害があるため
社会的スキル、
コミュニケーションや生活に関してのスキル
そして、職業的なスキルも低い傾向がある。
就労支援を受けるのは
職業的スキルを引き上げる事ではあるのだが
あまり、効果はないように印象する。
訓練を継続して受けさせても
精神障害者の就労は上手く行かないと感じた。
視覚障害者のマラソン大会

視覚障害者が走ると
必ず併走者が付く。
これは併走者も辛いし、疲れる。
でも、ある意味で向谷地生良さんも
患者の苦労の併走者っぽいんだよなぁ。
身体障害者が車椅子バスケットで
支援者が面接で
障害者のお手伝いをしたい。と言うと
そういうスタンスなら結構です。
と断わられた。というのが井上雄彦先生が好き。
事業所を作った当事者ワーカーも
奥さんがいて
二人三脚だったし
これ、テニスの基本なんだよね。
二人で一本っていうか。
昔、難病の青年と依存症の弁護士の映画があって
証言を取るため、とある元ソーシャルワーカーを
訪ねたり、色んな事に一緒に行って
依存症の弁護士も昔の事で親であり
事務所の社長である弁護士とトラブルになったり
難病の青年は、妹から骨髄をもらえなかったり。
これだな。
誰かしらのパートナーをもらえって
この事だな。
健常者も同じで
奥さん貰うのは
人生のためなんだろうね。
これで、あってるな。

陸上自衛隊員がサバゲーやると、やたら強い。

あれ、何なんだろう。

よく疑問に思っていたのは

アフガニスタンで米軍兵士が現地のテロリスト兵士と交戦すると

米軍の死者数がかなり少なかった。

ゼロ年代の前半に自衛隊との合同練習で自衛隊員が言っていたのは

彼ら(米軍兵士)は銃を絶対に手放さない。そこは徹底的であった。と言っていたのが

印象的だった。

訓練中に銃を取り上げる上司がおり

単純にしごきであるのだが、米軍兵士は寝てるときも持っているので

そこは違っていたように印象する。

決して自衛隊員が間抜けである訳ではなくて

置いてしまうというのがある。

肌見放さずというのは、米軍兵士の方が徹底しているのは

教育の仕方にも違いを受ける。

市街地戦闘は自衛隊もある。

米軍兵士からの評価も高い。

たまにそっち系のサバゲー集団から自衛隊に入隊する者がいて

僕ら世代は「ニンジャ」だったか。

たぶん、空手、柔道、剣道やその他格闘技経験者でないとついて行けなさそうな集団があり

元・空挺部隊の隊員で構成されており、30年ほど前から存在しているのであるが

今は知らない。

今の患者は恵まれている。

でも、就労率にはさほど変化はない。

やはり、働く事は無理であったか。

これからも精神に限って言えば生保前提の話と言えるのではないか。

なぜ、ソフトボールで打てないか。

来たボールを全て打ってやろうとしている傾向がある。

これでは勝てない。

見極めて行かないと。

勢いで打とうとしても無理。これは野村監督も同じことを言う。

以前、練習試合で打たせて取ろうという相手にやられた。

フルスイング系の多いチームなので

切り替えられてしまった。

そもそも、僕はソフトテニス部であって野球部ではない。

ソフトテニスは自分と相手のリズムのスポーツであるし

ソフトテニスやるとしたら、多少の戦略は必要である。

僕はあまり他人を観察する事がない。とPSWに言われる。

おそらく、これまで相手に対してなにか疑問を持つ事も少なかった。

教わっていないし、そういった事も少なかったであろうと思う。

これからは相手の投球であったり、そっち系に注視したい。

僕が新卒で障害者雇用で働くとしたらの話。

 

当時、2004年であったか。

求人情報を提供するハローワークで障害者雇用の求人はあったのであるが

基本的にパソコンで調べたりしなかった。

当時はIT化していたのであるが

一般求人はPCで検索しても障害者雇用の求人は専用の紙のファイルを渡されて

それで応募するという流れだった。

まだ、精神障害者が雇用率に入る前であったと記憶している。

そんな中、僕は防衛省の管轄組織に入るのであるが

退職後に電話があり仕事をしているかどうかの調査を受けた。

これはよくあるのだが、防衛省の調査でもあり

辞めたあとに何をしているか報告したいとの事であった。

そんな感じだから福祉施設に行きましたとも言えず

調査は終わった。

2008年に中途採用で検索しているときには

さすがにPCで検索できるようになっていた。

この頃にはネットで障害者求人も検索できるようにはなっていた。

当時、障害者が働くというと

就労継続支援A型が設立ラッシュを迎え

働く場所が増えるのであるが

僕は民間企業の障害者雇用になった。

こうして思えば、ある意味で何もなかった時代を経験しているとも思える。

べてるの当事者ワーカーに限って言えば

本当に人によるのであるが

某PSWの患者には申し訳ないが

「こんな人でも働けるんだな」という

夢と希望を患者に与える意味合いの方が強いと感じる。

まわりもそういった認識もあると思うし

彼の仕事はそれがメインなんだろうなと。

第1世代は佐々木さんや潔さんを中心とする人たち。
次に地元の患者
そしてゼロ年代に大卒メインの患者が合流し この頃に情報発信にネットを使いはじめ
10年代はパーソナリティ障害が多数入ってきて
この頃から別の意味で変わり始めた。
20年代はわからない。
潔さんの存在感がなくなったり
向谷地生良先生が隠居したら
多分、昔はべてるの家があってね的になるのかも知れない。
でも、その前に文化勲章の受賞というオチがあると言うか。
どうなんでしょうね。

気になった事件を調べると

とある受刑者が刑務所で社会性をある程度学んだとありました。

これはよくわかる気がします。

僕は自衛隊で社会性を身に着けたと感じますし

精神科病院の入院で社会性を身に着けたとも感じます。

入所施設があれば僕のような患者でも社会性は身につくと思います。

地域社会で関係性を築ければ社会性は身につきますが

ほぼ孤立するので意味がないと印象します。

社会性は入所施設で身につける事が多かったです。

僕は共感する事は当事者研究で学んだと言えます。

様々な患者が人生経験を語り初めて知る事も多かったです。

これは結構、大きいです。