(2012-02-18 16:35:37 の記事)

昨日の、以下の記事の続きを掲載します。

>>Eさんはどのようにアレフから抜け出せたか① 「麻原に救済されなければ、三悪趣に落ちてしまう」


■「自分は煩悩が多く、汚れているから、だめなんだ」

 また、彼女がアレフに入って暗くなってしまったということに関しては、

「自分は煩悩が多く汚れているから、自分はだめである」

という卑屈が強まったことが一番の原因でした。

 メールを読むと元々卑屈になってしまう傾向のある方であるので、そこに追い打ちをかけられたという感じがします。

 それに関しては、

 
「すべての衆生に仏性がある」という、大乗仏教の教えを話しました。

 
今まで生きてこれたことは、他の多くの人や自然の恵みの恩恵・支えによってであること、
そうやって生かされているということは、あなたは生きる価値がある存在なんだ、

ということを話しました。

 この二点によって、自分に価値があることを感じていただけるようお話ししました。


■職場の人たちとコミュニケーションを遮断して、暗くなってしまった

 暗くなったことのもう一つの原因である、職場の人たちとのコミュニケーションを遮断してしまったことについては、以下のように話しました。

 
 遮断というのは、他の人との間に壁を作ることであり、閉じこもることである。
 それは人間として、不自然なことだ。

 人間は、人との関わりの中で生きている存在であ るので、
 その事実と反した、他との関わりを断つことによって、
 他との関わりの中で生きていることを認識できない、
 孤立した意識状態になるので、暗くなって当然で ある。

 人間は、人や自然など、すべての他との関係性の中で生きている、という真実を認識できないことで、
 自己中心的になり、他のことを考えることはできなくなる。

 自己中心的になると、心は暗くなる。

 そうでなく、他のことを思いやる、慈悲の心を持つことで、心は明るくなる。

 アレフは、四無量心(慈・悲・喜・捨)を盛んに言うが、
 言うだけで実際には、四無量心が育 つどころか、
 アレフの教えは、「自己中心的な心になる教え」であることなどを話し、
 「職場の人とも話をしないように」という、アレフの教えの間違いを指摘しました。


■アレフが「事件をやっていない」ということが間違っていること


 事件のことに関しても、アレフが「やってない陰謀だ」ということに対して、
 アレフの、特に出家者は、事件をオウムがやったということを認めてしまうと、
 自分の信仰が揺らぎ、崩れてしまうので、そうならないように、「事件をやっていない」と主張して、
 自分にも「やってない」と思い込ませている。

 しかし、どう考えても裁判も行われ、自供もしていて判決も出ている。
 いくら何でも、「警察、裁判所、検察庁なども含め陰謀に加担している」
 などというのは、被害妄想もいいところで、
 当たり前に、普通に考えて、そんなことがあるわけがないということ。

 また、麻原は子供のころから被害妄想が強く、オウムでも総選挙での落選を「陰謀だ」としていたが、
 それも子供っぽい考えであり、そのようなことが有り得るはずのないこと。
 とにかく、「被害妄想的体質」がオウムにはある、ということなどをお話ししました。


 以上のようなことを5回に渡って話しました。一回につき、3時間ほどお話ししました。
 3回ほど話した時点で、Eさんの脱会する意思が固まりました。

 そして、彼女は、行政書士に依頼して、脱会届けを支部に送って、ひかりの輪に初めて相談したときから
二ヶ月後に、アレフを正式脱会しました。


■Eさんが洗脳されているな、と感じた点

 Eさんが洗脳されているな、と私が感じた点を整理してみます。


 「輪廻転生が絶対的にある」と思っていること

 「麻原が、輪廻転生を左右することができて、死後次の転生をするまでの間バルドー(中陰・中有)と呼ばれる状態で
   麻原がいい転生に導いてくれる」と信じていること。

 「オウムの事件は陰謀でやってない」と思っていること。

 今現在の麻原が、正常でない行動・精神状態であることを、「弟子を試す行為だ」と思っていること。

 世間の人たちとの人間関係は、意味がないこと、
   自分の行為や世間の人たちの行なっていることを、
   一つ一つ(いちいち)輪廻転生と結びつけて考えて、
   「普通の生き方では、三悪趣に落ちてしまう」として、普通の生き方を否定している点。


 以下にEさんからのメールから、洗脳されているとわかるところを一部抜粋しておきます。

 「綺語を話してはいけない、現世遮断だ」と思い、
  会社の人とも話さないようにしました。
  道場ではだれも笑わないので、「修行者は笑ってはだめなんだ」と思い、
  あまり笑わなくなりました。
  綺語やテレビや食欲や恋愛の話をしている会社の人とは、話すことがなくなりました。」


 「現世がすべて色あせて見えて、
  何をしてもどうせ死ぬんだからやる意味がないんじゃないか、と思い、心が晴れません。
  カップルや親子の情など見ても、「無常なのに」とか、「執着だな」とか、
  冷めた目で見たり、屈折してしまいます」
 (はじめてのメールから)


  「オウムの生き方が修行がすべてだ」と思い、
   道場で修行することが一番の目的で、自分のことしか見えなくなり、
   時間に追われ、人とのコミュニケーションをしばらく忘れていました。
   (ひらすら記憶修習ばかりして、思索実践をしなかったので、
    それをしたら違っていたのかな、と思ったりもします)

   自分ではいいと思っているけど、
  「普通の人にとっては、ただの危ない宗教だから勧められないな」と思っていて、
   会社で仲良かった人やみんなに、「入ったほうがいいよ」と言っても、絶対入らないだろうし、
  「むしろ入ったほうがいいよ」なんて言えないけども、
  「じゃあこの人たちはみんなどうなるんだろう。三悪趣か」とおもったり、
  「楽しみもとめてたらだめなのに!」とか、「それは悪業だし!」みたいな感じで、
   だんだん批判心が強まっていって、心がせまくくらーくなりました。


  「ひかりの輪の講話を読んでも、ほかのスピリチュアルな本や話をきいても、
   『アレフの教義はこうだから、これは違うんじゃないか』とか、
  アレフを軸に判断してしまいます。」

  「一般的なひとがやるレジャーに行くだとかも、『徳が減る』とか思い、楽しんだりできませんし」
  (2回目のメールから)


■ アレフの教えは、本当に間違っている

 私は、Eさんと話していて、オウム・アレフの教えは、本当に間違った教え、危険な教えだとつくづく思いました。
 信仰していけばいくほど、暗くなって、生きる意欲をなくさせてしまう「信仰」とは何なんだろう?と思いました。

 もちろん、この人の、もともとの卑屈さというものもありますが、そうでなくても、

 「自分は汚れている、そのままだと三悪趣、麻原に救ってもらうしかない」

と徹底的に自己否定をして、さらに世間での生き方を馬鹿にし、

「そういう生き方では三悪趣に落ちる」

と言い、

「アレフの修行以外、生きる価値・意味はない」

と思わせられれば、生きる意欲をなくしてしまうのも当然でしょう。

 人との関係も遮断して、人間の感じる喜びをすべて否定しているわけですから。
 オウム・アレフの現実否定の教えの問題点を、改めてしっかり認識しました。


■ 「自分たちは真理に気付いた偉大な魂」

 オウム・アレフは、この現実世界を否定するだけでは生きいく意欲を持続させられないので、

 「自分たちは真理に気づいた、偉大な魂である」

という教えで、生きる意欲を与えていました。
今もそうなのでしょう。

 さらに、麻原がいるころは、終末予言があり、

「選民である自分たちが生き残る」

というシナリオがあったので、より生きてゆく希望が持てたのでしょう。

 しかし、終末の時期を過ぎた今は、それはないので、

「単に、真理に巡り合えた稀な素晴らしい存在としての自分」

という自己存在価値を与えられることによって、生きる意欲を保っているだけです。

 ですから、このEさんのように、自己否定と自己価値のバランスが自己否定に傾いてしまうと、生きる意味・価値を見いだせなくなって、暗くなって、自殺を考えるのは当然だと思います。


■ 「生き残る選民」

 終末予言があるころは、

「生き残る選民」

ということで、自己価値の方が、自己否定より優位になっていたので、自己否定に傾くことはなかったのでしょうが、今はそうではないので、Eさんのように自己否定に傾く人も出てくるのでしょう。

 この点を考えると、今のアレフの信者は、終末予言がない分だけオウム真理教時代より脱却もさせやすいのかと思います。

 しかし、この原稿を書いた後で、なんと、アレフが最近、

「第三次世界大戦が起こる。だから時間がない。だから、導きをがんばりましょう」

と、新たな予言の概念を使って、勧誘活動を強化しているとの情報が入ってきました。

 これは、意義を感じさせるためにそうしたのでしょう。


■ 多くの人を、現実に不幸にし、犯罪を生み出すオウム・アレフの教え

 現実世界の中で幸福を感じることのできない人たちに、安直に手っ取り早く幸福を感じさせる
 (もちろん間違った形ですが)ために、「選民思想」を使い、
 自己存在価値・意義をくすぐるオウム・アレフの教えは、本当の宗教がやることではないと思います。

 本来の宗教は、この現実世界の中でどのように考え、
 どのようなものの見方・捉え方をして生きていくことが幸福になるか、を説くものだと思います。
 私たちはこの世界に生きているのですから。

 宗教は、本来、人が幸福に生きるために存在するはずですが、
 オウムは、信仰している人も、そしてそうでない人も、多くの人を不幸にしてしまいました。
 Eさんも家族とトラブルを起こしました。

 そして、この世界を否定するというオウムのものの見方が、
 サリン事件という破壊活動を生み出す元になっているのですから、
 その現実否定の教えは危険であり、それをいまだに流布していることは大きな問題だと思います。


■ 脱却経験者だからこそわかること

 また、「オウム・アレフからの脱却支援は脱却経験者でないとできないな」ということもつくづく思いました。

 相手が、「どうして、そういう考え方に陥っているのか」は、経験した者でないとわかりません。
 わかるからこそ、何を伝えれば、言えば、脱却できるかもわかります。

 そうでないと、的外れのアレフ批判になる可能性もあり、
 相手に「わかってないなあ」と思われてしまい、脱却支援ができないこともあり得る、と感じています。


■ 脱会した後、生き方の軸を確立することが大切


 そして、単にアレフを脱会しただけでは、脱却は終わっていないことも自分の経験からわかっています。

  アレフ脱会は第一段階で、第二段階は、オウム・アレフの教えに代わる軸、生き方の軸を確立させることです。
 そうしてはじめて、オウム・アレフの教えから脱却できたことになります。

 そして、Eさんと話をしている最中、「自分は洗脳から脱却しているな」と何度も思いました。

 つまり、「事実と信仰の違い」をしっかり認識できているということです。

 洗脳されている人たちは、「オウムの信仰での解釈が事実である」と思っています。
 しかし、洗脳のない人は、「それはオウム・アレフでの解釈にすぎない」ということがよくわかります。
 Eさんに話をするときも、その点を強調してお話しました。

 Eさんがアレフ脱会でき、本当によかったと思います。
 あとは、わたしたち もそうでしたが、脱会した人は、深くはまり込んでいればいるほど、後から、アレフの誤った教えが浮上してきて、悩み苦しむ状態になることも多々でてきます。Eさんもそうで、脱会後もお話してきました。
 あとは、今後何を指針にして生きていけばいいのか、というところがしっかり確立していけば大丈夫だと思っています。

 例えば、ひかりの輪の説く教えのなかで、感謝と慈悲の話をお話しました。
 三仏心経という、ひかりの輪が日々唱えているお経があるのですが、
 そのなかの「万物恩恵、万物感謝」の教えで生きていくことで明るく幸福になっていけることを、アレフの教えと比較しながらお話ししました。
 もちろん、Eさんがひかりの輪に入会するしないはどちらでもよいことです。
 Eさんがこの世界を肯定的に、明るく、他に思いやりを持って生きていければいいだけです。
 ところで、Eさんは、最近、以下のメールをくださいました。


 光の輪の方がたには脱会の相談にのっていただき感謝しておりますが、
  今後、どこかの宗教団体に入って修行したいとは思いません。
  このどん底の体験を乗り越え、日々感謝の気持ちを思い出し、
  笑顔で過ごせるように、自分らしく生きていきたいと思います。」


 Eさんが、このような気持ちに戻れて、本当によかったです。
 Eさんらしい、現実の日々の中での幸せを願っています。