(2012-03-14 17:07:44 の記事)

麻原の家族が、アレフ教団を裏支配していることについての証言を
水野愛子個人総括文
から、抜粋してご紹介します。
※アレフを脱会する前、9年前、2003年頃に起こった出来事です。

水野愛子のつれづれ草(ひかりの輪活動レポートブログ)はこちら

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しかし、麻原の家族を中心として、麻原への信仰が強い者たちが、
麻原を外していく上祐氏の改革に強く反対するようになり
6月下旬(2003年)、
上祐氏は突然、長期修行入りという形を取った事実上の幽閉、失脚となってしまいました。

それほどまでに、家族、特に妻(松本明香里)と三女(松本麗華)らの権力は強かったのです。
私は、突然、二宮氏に呼び出され「マイトレーヤ正大師が大魔境です」と告げられ、
一瞬言葉 を失うほど驚きました。
それまで、「上祐教でいいんだ」といっていたほどの改革派で、上祐氏のパートナーとして、
麻原色をなくした導きを推奨してきた二宮氏の発言とはとうてい思えませんでした。

●魔境と言われ修行入り:家族の指示で信徒の信頼を失い、上層部を信じられなくなった大きなできごと

その頃、他の師たちは三女に呼び出されて、知子夫人や複数の正悟師たちから、
上祐氏が魔境である旨をこんこんと諭された
ということでしたが、
私は三女から一度だけ電話があり、
「グルとの縁を相当に傷つけている。懺悔した方がよい」
と言われました。

上祐氏はその後10月頃までは月に一度の支部説法会には出てきていましたが、
そのほかは一切の連絡を絶たれ、パソコンも携帯電話も取り上げられ、
警備と称しての監視が続けられたということでした。

私は上祐氏に傾倒していて同じく魔境とされ、9月頃から京都道場での修行を命じられました。
それまで担当していた経理やお金、携帯電話も部署のサマナ(オウム用語:アレフの出家者)の管理となり
(私が上祐氏と連絡をとらないよう)、私の動向は監視されているのがわかりました。

24時間なにをしたかの報告を、
毎日二宮氏にファクスで送らなければならなかったのですが、
なかなか心が向かず修行できないでいると、「なんで修行できないんだ」と怒られたり、
抜き打ちで視察されることもあり、ますますやる気をなくしていきました。
(中略)

また、修行入りから一ヶ月ほどして、突然、信徒伝授用のプルシャ製品を作成することになり、
約一ヶ月半、400個以上の製品をひたすら作り続けることにな りました。
12月になり、セミナーで伝授されるそれらのストーゥパ(仏塔型の置物)がほぼできあがった頃、
突然の指示変更があったのです。そのストゥーパ の形がおかしいので伝授できないということでした。

しかし、作成前には十分な確認をしていたはずでした。
この指示は二宮氏を通さず、師を通して来たために、二宮氏も激怒し、
今後一切のプルシャ作成から(私を含めたチーム全体)撤退すると宣言しました。

それは、村岡氏が知子夫人(麻原の妻・松本明香里)に上げたためだった
(村岡が麻原妻の指示で動いていた)
ことが後々わかりました。
しかし、すでに、信徒さんには告知しており、注文も入っていました。
私は到底納得で きませんでしたが、300個以上のストゥーパを壊し破棄していきました。
昼夜を問わず細かい作業をしてやっと作り上げたものを壊す時の気持ちは行き場のな いものでした。
(中略)
直接、知子夫人にいきさつを聞いて、自分の意見を聞いて欲しかったのですが、
家族と連絡を取る手段などありませんし、
(すでに疑念を持ち始め、怒っている 信徒さんもいたため)村岡氏に、
せめて信徒に事情説明と謝罪をして欲しいと頼んだのですが、
私が対応できないかと言われました。

これには、上は責任をとらないのかという思いが生じ、
私の家族側の正悟師や家族に対する不信感は決定的なものとなりました。

ワークをするようになって、上祐氏の修行入りの真の理由も耳に入るようになりました。
家族にとって、麻原は絶対の存在で、麻原をその位置づけから外すこと は許されないことでした。
被害者やそのご遺族のことは念頭になく、自分たちの信仰を守ることが大切で、
事件の反省もなかったことになります。

上祐氏がいかにおかしかったかの理由づけは、事実と大きく湾曲され、
ねじ曲げられていました。
荒木氏が主催した「おはなし会」はそのような嘘を堂々と吹聴していました。
(中略)

なぜ師補(第一番目のヨーガの成就者)である荒木氏が、自身より
はるかに高い成就をなした正大師(アレフの位階制度で最高位)
を批判できるのかは、
家族の指示だったから
でした。
二宮氏と家族の話し合いでは、上祐氏排除のために、過激なやり方も話題に出たと聞きました。

そして、上祐氏排斥は「グルの意思」だとまで言われました。
これらの強制的なやりかたは、教団上層部の本質が変わっていないと感じさせました。

家族は形式上は脱会してはいましたが、教団の意思決定には大いに関わっていたことは、
サマナなら誰でも知っていること
でした。