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 2012年1月に、昨年末に平田容疑者が出頭した際の、アレフ内部の姿勢に疑問を持ったアレフ信者から相談のメールをいただきました。

  この方は、2011年8月に、ミクシィで偽装ヨガ教室に勧誘され、2011年9月にアレフに入信した20代男性でした。
 まだ、アレフに入信して信者であった期間も、4ヶ月と比較的浅く、わたしたちのほうで、事件の事実等をお話し、脱会を支援させていただいた結果、約1ヶ月後には、無事脱会することができました。


 今回、「オウムを知らない若い世代が、私と同じ事を繰り返さないために」と、詳細な体験談を、ブログに寄せてくださいましたので、こちらに掲載します。


(Dさん 20代男性 東京 会社員)

■オウムを知らない若い世代が、私と同じ事を繰り返さないために

 私は2011年の9月から、4か月ほどアレフ入信していましたが、ひかりの輪のご尽力もあって無事に脱会することができました。

 ひかりの輪には個人的な面会から脱会の手続きに至るまで、非常にお世話になり、この場をお借りして感謝申し上げます。
 また上祐氏をはじめ、ひかりの輪の考えには非常に共感できるところがあり、今回は自身の体験談を掲載するというかたちで協力させていただきました。

 現在のアレフの信徒、もしくはこれから入会していく人たちには、私のように事件当時はまだ幼く、あまり教団のことも知らない世代が多いことと思います。
 確かに霊的体験に興味がある人にとって、アレフは魅力的ですし、またアレフの実態はマスコミの報道がすべてではありません。
 世の中間違っている、というのは、私も今でも感じていることではあります。

 しかし、自分の求めているものは本当にアレフに存在するのか、また過去のみならず、アレフの現状はどうなのか、経験者としてお伝えしたいことが多くあります。
 
 オウムを知らない若い世代が私と同じことを繰り返さないために、この体験談を読んでいただけることを心から願っています。


■アレフ入信から脱会までの経緯

 まず大まかな経緯をお話したいと思います。
 ブログのバックナンバーにもあるように、私はmixiで偽装ヨガ教室に勧誘されましたが、はじめから教義をすべて受け入れられたわけではありませんでした。

 しかし、陰謀論を聞かされたことや、霊的体験への興味から入会を決めました。

 入会後に教義を学んでいく中では、「おもしろい」と感じることもありましたが、「麻原が絶対的存在だ」ということへの疑問教義の矛盾や世界観の狭さなども感じていました。
 ただ当時は、疑問点を掘り下げるのではなく、「もっと、帰依心を深めなければいけない」という思いで修行をしていました。
 そのためインターネットを通じて、アレフの内部分裂やひかりの輪のことなども知ってはいましたが、あえて深く調べるようなことはしませんでした。

 それがどのようにして脱会にまで至ったのか、脱会の動機と経緯を、以下の項目にしたがって述べたいと思います。


1 アレフの姿勢・教義で疑問に思ったこと


①真理に巡り合えた信徒は、人類たぐいまれなる功徳の持ち主

 これは、入会以前の勉強会から、ことあるごとに言われてきました。
 
 「真理に巡り合えたのは奇跡」
 「自分の偉大なる功徳に感謝」
 「
地球ほどの砂漠の一粒の砂ほどの確率」などなど、

その素晴らしさを称えることが本当に多くありました。

 自分も含め、信徒を見渡していて、本当にそう感じられるか。
 率直に言えば、それだけ功徳の高い人間の集まりとは、到底思えません

 「徳のある人間」とは、容姿の美しい人や高い才能を持った人、人間関係・経済的に恵まれた環境で育った人など、喜びの多い人生を送っている人だと教えられました。

 一方アレフでは、容姿など自分にコンプレックスがある人や、不摂生な生活をしてきたり、病気で苦労したりという人が何人もいました。また信徒には、私のような正社員は少なく、派遣やアルバイトが結構多いという話も聞きました。
 どちらかというと、今の社会構造のツケを払わされている人たちです

「一般的な功徳と、真理との縁は全く別のもの」

というのが教団の教えですが、突きつめれば「真理との縁」と「その他」とで、果たしてそんなにはっきり分けられるのか、大いに疑問です。

「アレフを知らなくても、自分より徳の高い人間はいくらでもいる。」

 そうした思いはずっとありました。


②教団で修行すること以外に意味はない

 アレフの教義では、

「高い世界へ転生するために、寸暇を惜しんで修行すること」

を強く勧められます。現世の自己実現は多くの場合、修行の妨げという位置づけです。

 夢や目標がある自分にとって、これは辛い教えでした。
 人生の学びは、アレフの修行体系の中にしかないのでしょうか。
 真理と巡り合えて修行していく中で自分を変えられた、生きる意味がわかって人生が明るくなったという人もいますが、私は逆に悩みが増大しました。

 世の中、国によって人によって事情は様々ですし、宗教に縁がなくても一生懸命人生を生きている人はいます。
 今考えても、狭いオウムの世界観の中だけで、「今生きているほとんどの人が地獄に落ちる」と言い切るのは、あまりにも乱暴に思えます。

 上祐氏のお話にもありましたが、結局はアレフも、一国の一カルト教団に過ぎないということです。


③事件後に激減したヨガの成就者たち

 教義を深めていく中で、私は麻原の説法(1980年代後半1990年代前半にかけてのもの)を記憶修習することをしていました。昔の出版物も読んでいましたし、そうしていく中で、だんだんと、かつての教団の状況がわかってきました。

 そうした中で疑問が膨らみ、脱会を考えるまでに至ったのが、脱会していった成就者たちの存在でした。

 ヨガの成就者というのは、激しい修行を行い、ある一定の霊的体験を経て、麻原から「師」として認められた一般信者より高い位の人たちのことです。

 事件前には100名以上いたと思われますが、今では十数名しかいないと思われます。
 普通の人から見れば「事件があったのだから当然だ」と思うかもしれませんが、教団の中で成就者は、生きながら神様の領域に到達していているものとみなされ、もはや人ではありません。

 信徒の間で、成就者は、自分たちよりも格段にステージの高い存在で、

「師の方の言うことには必ず従うようにして」
「道場に師が一人いるだけでもエネルギーが格段に上がり、本当にありがたいこと」

などと言われたこともあります。

 私も、「成就者は神の視点から物事を見ているもの」と思っていましたので「オウムが真理の団体で事件が陰謀」なのだとしたら、
一般信徒はもとより、
成就者でも、脱会者が多くいたのは腑に落ちない点でした。

 後にメールのやりとりで、ひかりの輪の細川さんから言われた成就者も人間ですから」という当たり前の言葉が、本当に新鮮に感じたほどでした。


④アレフの幹部たちは事件当時は今の地位にいなかった

 上記のような疑問から、かつての教団の様子がわかってくると、だんだんと教団を客観できるようになり、「今の教団に麻原と関わりが深かった人がいない」ということがわかってきました。

 これは後に細川さんとお会いした時の話の中で、事実だったということがわかりました。
 当然事件に直接関わりのある人は皆逮捕されているのですが、それ以外にも麻原と関わりの深かった人、事件前の教団の裏工作活動を知っている人たちはほとんど脱会している(少数いるが信者対応では見かけない)ということでした。

 それがわかった時点で、アレフとひかりの輪とで、どちらの主張に真実味があるのかは明白でした。


⑤平田容疑者に対する教団の見解


 前にも述べましたが、私が当団体の細川さんにメールを送り、脱会を決意したきっかけとなったのが、平田容疑者に対する教団の見解です。

 アレフは報道を警戒し、「ニュースを信じ込まないこと、質問があれば何でもしてほしい」という趣旨のメールが年明けにまわってきました。
 この機会に私は、「平田容疑者を含め、現在の指名手配犯は本当にオウムの関係者だったのか?」というメールを送りましたが、「わからない」とのことでした。

 事件が陰謀であろうとなかろうと、教団が指名手配犯の事実関係を確認していないなんてことはありえません。
 質問を受けつけておきながら、事実を認めることすらしない、教団の姿勢に、完全に信頼をなくしました

 後に細川さんからのお話で、皆当時は出家修行者として一緒に仕事をしていたこと、アレフの人たちも指名手配犯のことは当然知っていると知りました。


2 ひかりの輪)とアレフの違いについて


①事件に対する姿勢の違い

 事件に疑問を持ちアレフの脱会を考えるようになった時、ひかりの輪へメールを送り、細川さんと何度かやりとりをした後に面会させていただきました。

 事件に関する質問もしましたが、本当に丁寧に答えていただき、元アレフの道場長として貴重なお話もうかがいました。
 また、アレフが賠償を拒否し続けている一方、ひかりの輪は被害者遺族を第一に考え、社会に対しても責任を果たそうとする姿勢があり、そこがアレフとの一番の違いではないかと感じています。(※ひかりの輪の被害者賠償契約の締結、アレフは契約を拒否)  
 両団体は、共に「オウムという過去」を持っていますが、根本的な出発点・方向性が異なります。
 これは私の立場からも証言させていただきたいと思います。


②上祐氏との面会で感じたこと

 ひかりの輪の方々のお話は、オウムの総括 に詳しく掲載されていることと変わらないのですが、代表と面会をして改めて感じたことは、ひとつの物事に対して考えが多角的で深いということでした。

 例えば、オウムの思想を語る上でも、社会がつくり出したものとして密接な関わりを説き、社会構造の問題点、日本史の中の位置付けや世界の宗教との比較、構成員ひとりひとりの心理など、非常に多くの観点からお話をいただきました。

 オウム入信からの経緯や反省点、アレフの問題点のことえお聞いていても 、複雑な内容で、限られた時間の中ではありましたが、全体像から核心部分に至るまで、話がつかえることなくスムーズであり、内容もわかりやすく、筋が通っていて共感できるものでした。
 話をしているうちに、上祐氏が今までどれだけ悩んで考えを巡らせてきたか、どれほど多くの人に同じ話をしてきたか、その年月の重さがひしひしと伝わってました。

3.まとめ
 
 以上、アレフの疑問点と脱会の経緯から、ひかりの輪との関わりについて述べてきました。
 自分でふり返ってみて気づかされたことは、何も問題なくスムーズに、アレフの教えから脱却できたのは、ひかりの輪の力添えなくしてはありえなかったということです。

 上記のように、私は、アレフの教義や世界観に疑問を持ってはいましたが、ジレンマに悩みながら、それでも数カ月の間アレフを信仰していたわけです。
 かつて麻原の高弟だった上祐氏をはじめ、元成就者のひかりの輪の幹部たちから、教団・アレフの幹部の話を聞くことではじめて、教団を絶対視したり、成就者を神と崇める観念を、完全に払拭することができたのです。


 
4.アレフの方へ 

 最後に私から、このブログを読んでいるであろう、アレフの幹部・信徒に向けてメッセージがあります。

  私自身、勧誘員をはじめ、教団で関わった人に対して恨めしい気持ちは一切ありません。
 また、数カ月ではありますが、アレフで修行をしたことを自分の中で後ろめたく思う気持ちもありません。

でも、自分でアレフを信仰してみて改めて思うこと・考えたことがあり、以下に述べたいと思います。
 「魔境」の人の言葉と受け取っていただいてかまいません。 (※注:アレフでは、ひかりの輪のことを、麻原を裏切った「魔境」と断定しているため、ひかりの輪と接触する人は、次々と「魔境」認定されている)

まず、世の中(自分が生きる上でも)「わからない」では済まされないことがあります。
(※Dさんは事件について「わからない」とアレフに言われた)
一連の事件において被害にあった人は、自身の「カルマ」のせいだから仕方ないのでしょうか。
 自分が被害者の場合は、それで耐えれば良いかもしれません。
 でも被害に苦しんでいる人を見て、それで何もしないでいられるのでしょうか。
「わからない」でも平気なのでしょうか。
それが仏の道なのでしょうか。

また、「マスコミは信じられない」と言いますが、アレフのやっていることの本質は、マスコミそのもです。
 説明するまでもないでしょうが、今の教団には麻原がいるわけでもなく、書籍・映像等の「メディア」を通しているわけで、伝える側の意思として、霊的能力の高さ・偉大さにまつわる逸話ばかりが強調されて、情報の受け手である信者が洗脳されているということです。

 そして、教団が、「都合の悪い情報を意図的に排除している」という事実、否定の余地がありません。
麻原に会ったことすらない皆さんはこれをどう考えますか。
それに、アレフの霊的体験は、教義を記憶修習した上で成り立っているわけですから、たとえ教義通りの体験ができたとしても、それが宇宙のすべてという証明にならないことも明白です。

いったい自分自身は、世の中の宗教にどれほど知識を持っているのでしょうか。
原始仏教を自分で読んでみたことはありますか。
麻原以外にも世の中には霊的能力が高い人間が何人もいることは、当然知らないはずがないと思います。
本当に自分の人生はそれで良いのですか。
麻原に、師の方に、聞くまでもありません。
 自分で考えられなくて、自分で決められなくて、
自分に何が残るのでしょうか。