(2012-04-25 23:51:02 の記事)

アレフのヨーガ行法は、

① 一般に出版されているヨーガの根本経典などから、麻原が我流で学んだものや、
②今から25年ほど前に、麻原がヒマラヤのヨーガのグル(パイロット・ババ師等)から習ったもの(例えばアパンクリアと呼ばれる行法など)

を使っています。

しかし、これには、たいへん重大な問題や危険性がありますので、
以下に記したいと思います。

麻原は、1986年1月にインドを訪問し、各地でパイロット・ババ師等の「聖者」
といわれる人物と会い、日本救済の使命を託されたと誇大宣伝していますが、
じつは、これは単なる麻原の主張であり、事実ではありません。

今では、調査によって、パイロット・ババ師は1986年の時点から、
麻原の行動に批判的であったということがわかっています。

以下に記す、パイロットババ師と麻原の事実にいては、
ひかりの輪を設立する直前からの、オウム時代の反省と総括のための
調査・研究の中で、そのパイロットババ師から確認した内容です。


 正統ではない使い方をしている

パイロット・ババ師によれば、師が来日した際に、
麻原が、自分が教えた行法を高額の布施を取って教えているのを見つけ、

「そのままでは破滅に至る」

と、やめるように警告したが、麻原はやめなかった
という問題が起こったということです。

そしてその結果、2人は決裂することになった
という事情があることがわかりました。
(師によると、その問題のために、彼の神のエネルギーラインを切ったそうです)

そして、実際に、麻原・オウムは、一連の事件のような破滅に至っています。


 慢心をもたらす使い方をしている

また、パイロットババ師によれば、オウムのような激しいヒマラヤヨーガ行法は、
その身体行法によって、

一時的にピュアな浄化された状態になって、
超常的な瞑想体験をすることがあるが、
それで「解脱した」と錯覚し、修行者が慢心を抱くという問題がある

とのことです。

そのため、ある種の行法を安易に教えることは不適切な場合もあるとのことで
重要なことは、サマディ自体ではなく、その後の人格の向上だということです。

これはまさに、激しいヨーガ行法などによる劇的な神秘体験を強調する、
オウム・アレフによく当てはまる問題です。

オウム・アレフは、その激しい修行によって、神秘体験自体はするのですが、
その一方、一連の事件に至ったことからもわかるように、
本当の心の成熟、悟り、解脱には至りません。

また、パイロットババ師は、当の麻原自身が慢心に陥っていたことについて、
以下のように指摘しています。

① 40日間の修行を麻原に指示したものの、麻原は、三女の病気を理由に
 途中でそれを抜け出したため、修行が途中で止まってしまった。

② 当時の麻原は、行者として優れた面はあったが、
 「私が救済する」と主張していた。
 この「私が救済する」という考え方は、(プライドなどの)エゴである。
 周りに、プライドや権力欲の強い人が集まってきて、周りの人も、
 麻原に悪い影響を与えたのではないか。

③ 麻原は、アナハタチャクラ(ヨーガで胸に位置する霊的なセンターのこと、
 プライド等の煩悩が関係する)のレベルで引っかかってしまった。
 (修行が止まった)
 アナハタチァクラでは、超能力が付くが、それに引っかかったのは残念。
 そこを超えていくか、そこで魔にとりつかれるか、という分岐点であった。

④ さらに、当時の高弟によれば、1990年代に入って、
 オウムが日本のマスコミから批判された時も、パイロット・ババ師は、
 麻原の現世的な執着を諫める内容の手紙を送ってきた
 という事実がありました。

このように、こうした麻原の慢心は、その後の数々の犯罪の背景にあったもの
です。その意味でも、本来、修行は、一時的な霊的体験や超能力ではなく、
慢心・プライドを含めた自我意識を滅した人格の向上こそが重要だったものの、その点を大きく踏み外し、道を誤ったといえます。


 アレフで行っているグルイズムは、正統なヨーガでは否定されている

パイロットババ師は、以下のようにも語っています。

① 修行者は、セルフ(ヨーガで言う本当の自分=真我のこと)に帰るべき
 であり、グルは導き手にすぎない。

② 信者の人たちは、麻原の奴隷になってはいけない。


 心身に負担がかかる

さらに、オウム・アレフが行っている激しいヨーガの行法は、
自ら「狂気の集中修行」と呼んでいたことがあったように、
過度な負担が、心身にかかる過激なものです。
そして、そのような集中修行の際には、かなり荒っぽいものがあり、
一部ではありますが、精神疾患が発生した事例があります。
ほかにも、極限的な身体の酷使や無理な姿勢の継続等により、
身体を痛めた事例も多々あります。

詳しく説明すると、以下のようなものといえます。

①激しいヨーガ行法の危険性

いきなり激しいヨーガ行法を行うと、身体に負担がかかり、
身体を損なう恐れが高まります。
これは、海やプールに入るのに準備運動もなく、
また、徐々に水を心臓の遠いところからかけていくという段階を踏まず、
いきなり水に飛び込むということと同じです。

また、いきなり100メートルを全力疾走することと同じです。
そうすれば、身体にたいへん負担をかけ、
悪くすれば心臓麻痺などを引き起こすことにもなります。

ヨーガの激しい呼吸法をいきなりやれば、血流が急激に激しくなり、
心臓にも負担がかかります。
そうして、息を、苦しくなっても止め続けることを行えば、
他の器官にも相当な負担がかかります。
身体のエネルギー的側面から考えても、同様のことが言えます。

ヨーガを行うことはエネルギーの動きを活発にすることです。
身体にはエネルギーの滞っているところがあり、
その部分にいきなり強いエネルギーを流せば、
当然、細い通路に大量の水が通ろうとするようなものであり、
強い圧力がかかります。それは身体に痛みを与え、身体を損ねます。

以上のようなことから、身体に必要以上の負担をかけ、
身体を損ねる危険性があります。

② 心理面、精神面に対する危険な影響

私たちの意識は、身体操作(行法)を行うと、潜在意識に入っていきます。
これは本人が自覚・認識しようが、しまいがそういうものといえます。

いきなり激しい身体操作を行えば、急激に、潜在意識状態になり、
少しずつ潜在意識に入っていく場合と違い、
心のコントロールがしにくい状態になります。

潜在意識にはさまざまな要素があります。
表面の意識と違い、理性的、社会的、常識が働きにくいため
欲求がストレートに出てしまいます。

お酒を飲んで酔っ払ったときのことと似ていると思います。
酔っ払えば酔っ払うほど、抑制、コントロールはきかなくなります。

そして、急激にそのような意識状態になると、
余計に、コントロールしにくくなるということも想像がつくと思います。
簡単な言葉で言えば、「わけがわからなくなる」といったらいいかもしれません。

それは、寝ていたときに急に起こされて、
自分がどこにいて何をしているのかわけがわからないという経験が
どなたでもあると思いますが、そのときと同様のことです。

このような状態は一時的に潜在意識と表層の意識の分離をもたらします。
それが、一時的なものいならいいのですが、
それをきっかけに精神病的な様相を呈する場合もあります。
 
そして、エネルギーの急激な活発化と、
それにともなう急激な潜在意識状態になることによって、
いわゆる神秘体験が起こりやすくなります。

オウム・アレフの場合、神秘体験を異常に重視するということから、
このような無理な、危険性・問題のある行法が行われているのだと思います。


 ひかりの輪のヨーガ行法の改善

以上のようなことから、身体行法を行ううえでは、準備段階を経て、
徐々に身体や意識を慣らしていくことが必要になってきます。

そこで、ひかりの輪では、上記のようなオウムの修行のやり方の危険性
への反省をもとに、なるべく心身の負担が少なく、
心の寂静・安定を中心とした、本質的な効果が出るように、
改めて最新のヒマラヤヨーガを学んで、自分たちなりの工夫を加え、
それを導入しています。

ひかりの輪では、あまりに激しい行法をやって、
一気に深い意識に入るというやり方をとらず、
極限を超えて体を酷使するような修行は行いません。

それに代わって、十分な準備段階を経てから、
ヨーガなり気功の本格的な動きに入るやり方を行っています。
また、上記のような危険を回避する準備段階以外の方法も取り入れています。

ひかりの輪ではいくつかの行法があり、そのどれもが準備段階を行いますが、
なかでも「エンライトメント・ヨーガという呼称をつけた行法は、
それが顕著ですので、エンライトメント・ヨーガをもとに簡単にお伝えします。
 
まず、身体の末端、足や手の指先からほぐしていきます。
主に、間接を順番にほぐしていきます。
関節は気(エネルギー)の流れが滞りやすいところですから、
まずはそこを、体の末端から順にほぐし、エネルギーの通りをよくすることを
行います。
これは関節を曲げたり伸ばしたり、回したりといった簡単な動作です。

さらに、筋を伸ばすことも簡単な動作で行います。
これらは高齢の方でも行えるものです(実際に、70数歳の方が
毎日エンライトメント・ヨーガをやっているという事実があります。
このことからもこの行法が身体に負担をかけずにできることを表しています)。

このように、全身をほぐして気の通りをよくして、少しずつ気を循環させていき、
身体を慣らしてからヨガの行法(身体操作)に入っていきます。

また、ヨーガの身体に負担をかけやすい呼吸法などは、
手順を分解しておこなうことによって、その効果を低下させることなく、
負担なく行えるようにしています。

準備体操的なものの他に、上記の行法をやっている間に、
心を静めコントロールしやすい状態にするために、
身体の動きや感覚に、「気づき」をもって行う方法を取り入れています。
これは仏教の瞑想の「止観(シャマタ・ヴィッパサナー)」にあたります。

このことは、オウムのエネルギー重視のヨーガ行法と違い、
心、意識を重視するやり方です。
このようなやり方は、潜在意識に徐々に入っていくことになり、
それが止観の瞑想とあいまって、潜在意識の要素に翻弄されず、
静かな落ち着いた心の状態を作り出すことになります。

このように、ひかりの輪の行法は、オウムの行法の問題点を反省すること
から形作られてきましたので、安心して行えるものとなっています。