ALECA 小濱白光の素敵な陽だまり -27ページ目

ALECA 小濱白光の素敵な陽だまり

依美澄卑親呼は宝物の名。小濱白光は進化した名。しかし、どちらにも許しと道があった。

それぞれの道と意味を、私はいま味わっています。

こんにちは、みなさん。今日は私の名前について秘密をお教えします。


私のエビスと言う音霊は、先生が私に付けて下さったものです。しかし、依美澄という文字は私が考えました。

依美澄の依は、人に寄添い、愛し、助けるという意味があります。美と澄むは、美しく澄んだ泉という意味です。

ヒミコという音霊も、先生が付けて下さったものですが、卑親呼という文字は私が考えました。

この卑親呼は、卑しい私が、天の父である神、親と、親しく呼び合うという意味から付けたものであって、

「邪馬台国の卑弥呼」とは、私の心情の上から言っても、何の関係もありません。


ある時、私は夢を見た。「エビスヒミコの名を使ってもよい」と。

ただし、先生はおっしゃった。「講師名は、良い格数にはしてないからね」と。

それが私にはひっかかっていたのです。だから、いつか良い格数にしたいなと思っていた。

そこで、エビスヒミコの音霊にふさわしい良い字が無いものかと考えあぐねた末に、私の目の前に、するすると現れたのが、

この依美澄卑親呼の文字だったのです。

そこで私は、易経を開いて、自分で自分が使うかも知れない名前を占ってみたのです。「地天泰 六四」がでました。

「鳳凰が群れを成して舞い降りる」という、大吉の卦(か)だってので、それ以後、ずっと使用しているのです。

これ以外でも、これ以上でも、私の心情の中には何も無いという事をお伝えして、今日は終わりとします。


yahooは商用サイトだと。

物を売らなければ、いくら心を尽くし誠実さを持って仕事をしようと思っても、通用しないと言いたげだ。


私の所に来るお客様は、多くが、「もっと早く来ればよかった」といいます。

でも、人には時というものがあって、いくら会おうとしても、会うことができない時というものもあります。

だから、会えれば縁者、会えなければそうではないというだけです。

だから、焦ることも、困惑することもないのです。会いたければ会えばいい、それだけのことです。


人は、みな、どんな事でも、何でもできると思っている。そんな事はありません。

生きようとして死ぬ事もあるのです。死ぬつもりで飛び込んで、人を救う事もあるのです。


ならば、あなたはどんな人生を望むのか。それだけを一生考えればいいのです。

人は、いつ、罪を犯してもいいと、許されると、簡単に考えるようになったのか。

簡単には許されないから、その因果応報の故に子孫が泣くことになるのに、その泣いている子孫は自分なのに、

子孫の苦しみを考えないのか。


人はいつ、慎みを忘れたのか。

父母を敬い、殺すことをせず、姦淫を慎み、盗むことをせず、偽証することなく、人の妻を恋うることなく、人の持ち物をみだりに欲しがるなかれと、注意を喚起されたのは、もう遠い昔のことで、なくなってしまった美徳とでも言うのでしょうか。


政治家は平気で嘘をつき、人は簡単に人を殺し、教育者は子供を軽んじ泣かせ、運転者は酒を飲み居眠りし、不倫や姦淫は日常茶飯事。いったい誰がこんな世の中を望んだというのでしょうか。

これら犯罪者の子孫が、泣かぬはずもないことを、人は知らないと言うのでしょうか。


姓名判断も、宿命も、これら悲しい現実を表して余りあることを、人は知らないのです。

哀れな魂は死に、誉ある命が誉れを受ける。ただそれだけだと言うことを、人は知らないのです。

努力とは関係が無い所でも人生が動かされていると言うことを、人は知らないのです。


だから、人はいつでも愛に生きることが大切だということです。

子孫のためにも、自分のためにもね。

最近の若い人はとてもすばらしい人が多いですね。自由でしかも屈託がない。かわいらしく自然だ。しかも自分の能力を伸ばそうと努力している。そのまま素直に成長していってくれるといいと思います。

しかし、人生は長い。何が起こっても、そのままの徳分を伸ばし続けられればいいが、苦労の時が来た時に、自分を無能扱いして、転落してはいけない。

どんな時にも、歯を食いしばって、正義と誠実から離れてはならない。

そうして時を過ぎた後には、良い子孫を得られるからである。その良い子孫の笑顔は、あなたのものだからです。


それに引き換え、大人がダラシナイ。特に今年は、お金持ち、権力者、実力のある人、ステキと思われた人、の不正が暴かれる年ですが、毎日毎日胸が痛い。


若い人は、まだ何といっても未熟なものです。それが魅力でもありますが、完成されてはいない。完成されたと勘違いしてもいけない。人生は長いからです。死ぬまでが人生だからです。最後の良き時を迎えるためには、正義と誠実を貫く事が不可欠だからです。その時あなたは、その黒い目で、あなたの人生が幸福だった事を見るでしょう。完熟を見るのです。


それに引き換え、未熟な大人が多い。毎日毎日遊び呆けて、物も食べられない人々が多い中で、食って食って食いlまく

る。餓鬼道か。おのれの至らなさが、おのれの涙となって跳ね返ってくるのを、見ぬように、どうすればいいかな。

見た目には気を使うのに、心には何の栄養分も必要ないと思っているのか。


依美澄は、人間は木だと思っている。大木になるには、必要な栄養分がいると思っている。また、大木でなくとも、ひまわりならひまわりに、ゆりならゆりに、露草なら露草に、松なら松になればいいと思っている。そして、それぞれが完熟を目指すといいと思っている。神が許し愛した完熟なら、落ちて腐ったりはしないからです。いつまでも甘く、人の役に立つからです。

フジコ・ヘミングさんのピアノは心に沁みます。きっと悲しみと苦しみを乗り越えたからでしょうね。パソコンはまだ素人同然の私です。気長にお付き合い下されば幸いです。これから皆さんの知らないことをいっぱいお伝えしたいと思っています。