ALECA 小濱白光の素敵な陽だまり -16ページ目

ALECA 小濱白光の素敵な陽だまり

依美澄卑親呼は宝物の名。小濱白光は進化した名。しかし、どちらにも許しと道があった。

それぞれの道と意味を、私はいま味わっています。

長い苦しみのトンネルを抜けた。

あまりの苦しみに、ブログを書けなかった。この世には事件が充満し、その悲しみは深い。

何を語るのも空しかった。


でも、私は、気をつかせていただいた。私の立場を。私の位置を。私の心持を。

あの、「柔らかい柳の枝であんだ籠で、崩れそうな、柔らかい果物を、そっと胸にいだくのだ」

という、神の希望を。


私に「そうせよ」という神の希望は、今までと同じように、今日からも実行されるでしょう。

いえ、実行されます。  

私は、私の神には、逆らえないし、逆らいません。

私に与えられた使命に、勇気をもって邁進(まいしん)するだけです。


あまりの苦しみに、しょげ返っていた私に、易経は答えた。

「地沢臨 上六。」 「敦臨(とんりん)す」と。

私は涙が止まらなかった。

私の立場をこれほど言い当てた言葉はなかったからです。


易経はいつも、弱い私をたたきのめしてくれる。強くあれと望む。

そして、優しくあれと。

わたしはいつも、涙をしたたらせつつも、その事が正しい事を理解し、反省をし、

ふたたび勇気を持って立ち上がるのです。


ふたたび立ち上がった時には、もう、昔の私ではありません。

時は過ぎ去ったからです。


人はいつも、どんなに同じ人でいようとしても、時は刻々と移り変わり、

同じ時を生きれないようになっています。

ですから、もう、前の私ではないのです。

いつまでも苦しみを引きずっているという事は、いけないのです。


「敦臨(とんりん)す」  敦(あつ)く臨(のぞ)む。吉にして咎(とが)なし。

  象(しょう)に曰(いわ)く、敦く臨むことの吉なるは、志(こころざし)内に在(あ)ればなり。


  臨道の極致であるから、敦厚(とんこう)-てあつい態度で人に臨(のぞ)む象。



私が人に臨(のぞ)む時の態度を、上記のようにせよ、というなら、実行するまでです。

ノートの題は、ここでは伏せますが、副題は「敦臨す」、となりました。

新たなノートに何が記されるか、私も分りません。

しかし、今までと同じように、私の人生を、私の目に見せてくれる資料にはなるでしょう。


100枚ノートが50冊。 他に、同じ位の資料用のノート、それと同じくらいのメモ類。

紙だらけです。ボールペンを何箱使い、インクを何箱空にしてきたことか。


さあ、これからも頑張ろう。 私が黒い瞳を閉じるその日まで。

  


                   H20、5、9 (金)  am10:59 記

50冊目のノートの題は、何にしようかな。

地道に地に足を付けた活動を心がけよ、という10年の大運期です。

私に何が出来るのか。


大きな仕事(使命)と小さな仕事(家庭の雑事など)のはざまで、私は何を発見するのでしょうか。


ノートはいつも、いろんな私をそこに映し出してきた。

日記という感覚ではないので、いつも10ページほども書いて、腱鞘炎ぎみです。

ほかにもいつもメモや、書き物をしているので、我が家には紙類がいっぱいあるのです。

本と紙とペンの無い生活は、私には考えられないのです。

その私に、文昌(ぶんしょう)貴人が付いている。(だから書きたいのでしょう)


歌の好きな人には 14 が付いている。 (歌手や、カラオケ大好きの人にも多いです)

今朝テレビに生出演しておられた、”魂の歌声”の アンドレア・ボチェッリさんのアルファベットに

14は、ありました。


Andorea  Bocelli  このBocelli が、14画になります。歌手をやっておられますね。


そして、もっと不思議な事に、Andorea Bocelli が、”盲目の歌手” と、同格数になるのです。

私は知りませんでしたが、この方は盲目でした。

私の大好きだった、”タイム トウ セイ グッバイ” を、歌っておられました。


この歌には不思議な縁があって、私が私の神とずっと一緒に生きていくために

共に船出をしましょうと、誓った時に、ラジオから流れ出てきた歌でした。

私は涙を流しながら、その歌を聴いたものでした。


神はどこに目があるのか、不思議な事をなさいます。


だから、その神に恥じないように生きたいと、思っている私です。


皆さんにも、きっと、縁ある仕事はあることでしょう。

あなたの誠実を見て、神は、あなたにふさわしい仕事を、用意してくださる事でしょう。

私たちの希望ではなく、神のご希望として。


私たちは何をすればいいかというと、ただ、誠実に、あるがままに、自分自身を生きればいいのです。

それは親とも違います。他人の希望でもありません。

ただ、あるがままに、あなたらしく、素直に誠実に生きればいいのです。


苦しいとき、人はよく、何かにすがろうとしますが、そうではなく、

ただ、その場に立って、天を仰いで、「私を助けてください」と、言えばいいのです。

あなたにふさわしい神が、そのお言葉をお聞きくださいます。


誰も守ってくれないと思ったら、守ってくれる人を、捜すべきです。

自分の周りにいないからといって、あなたにいない訳ではない。

近くにいないだけです。

もし、近くにいたら、感謝しましょう。

でも、甘えないで。

あなたにもするべき事があるからです。


私たちは皆、するべき仕事を持って生まれてきます。

それを見つけるのが人生かもしれません。

もし、これだと思ったら、やり抜いてみましょう。

どうしても駄目だと思ったら、どうするか。やめるのも人生です。

新しい縁が待っているだけです。だから、死んではいけません。

生きるのです。生きて生きて最後まで、生きてみるのも人生です。


自殺を、どうしてもいけないと、いえません。

彼らには、自殺の星だって付いているのです。

誰かが救えなかったか、ですって、簡単にはいえません。

痛ましく、苦しく、お気の毒な人生です。


私に出来るなら、なんでもしますが、縁無き事も、あるのです。

あなたが幸せになる事を、心から願っています。




追伸・・・・・Uさんへ、送信ボックスには入っているのに、送信済みにはならないの。

       エラーが出て、送れません。どうしたらいいのか、わかりません。

       連絡の方法が分らなかったので、ここでごめんなさい。



私が社会に出て行くとき、いろいろな煩わしいことがたくさんあるだろう。

しかし、イライラをつのらせるよりも、威厳を持った柔徳の人を、実行するだろう。


至らない人々に、いらだつこともあるでしょう。

しかし、”厚徳をもって大車(たいしゃ)載(の)す”を、実践するのです。


また、あまりに簡単でつまらない事も多いでしょう。

その時にも、小濱白光は神と共に、輝きを増し美しくあることでしょう。


これが”総和のエネルギー”としての、”第八のチャクラ”として

この世を歩いていく姿だからです。


私が不満や怒りをかかえている間は、私は輝かなかった。

しかし、今は光(おお)いに輝こうとする前であり、その訓練の時を経て、その時はやってくるのです。

ですから、今の私が輝いていない訳ではない。

”光(おお)いに輝いている” のではないだけです。


ただし、私が光(おお)いに輝くことが目的ではない。

なぜなら、私はすでにそういう者だからです。

しかし時はまだその時を得ていない。

その時は10年後の大運といえる。

ならばその光りにおおいに慣れる訓練が必要なのです。(教師が教壇に立つ事に慣れるように)


私がどう思われたいか、ではなく、どう輝きたいのか、

また、何を伝えたいかの方が重要なのです。


神は昔おっしゃった。 「お前の手によって出たい」と。

私の手を通して、「神の愛を伝えたい」 (伝えなさい)と。

それは私の全身全霊をもって事に当たることです。

私が人に見られる時、きらびやかでなくともいい。 質素でいい。

皆が私にひれ伏すのが目的ではない。

より多くの人が幸福になってほしいだけだ。


神は私に思う存分やっていい (そうしていい段階になったと言ってくださった) と言った。


私は、私が私らしく美しく幸福であればいい。

その中に人々の幸福がちゃんと入っている。

私はそういう者です。

その枠組みから離れたくない者です。


多くの人々の希望も多くはこの通りであり、

自分だけが良ければいいと思っている人の方が少ないのではないでしょうか。

私は、人の心の中の心を、信じたい。

そこには必ず神がいるから。 その神を引っ張りだしたい。

そして、そのことを本人が気付きますように。 そういう仕事がしたい。



きのうはきれいな名ができた。 外格32の、相談役を、とても喜んでおられた。

私は言った。 「人は、自分にないものには、なれないのです」と。

だから、「あなたらしくなり、整いました」と。

彼女は本名の真っ青で辛かった名を、その目で見ている。

吉名の真っ赤に彩られている美しい文字を、その目で見ている。


この方(66歳)はお金が苦しいということで、無料にした。

私は言った。 「チャンスは逃してはいけない」と。

「今年は五黄の人は南回座し、着く離れるの年だから、良いものに着いて、悪いものから離れなさい」と。


そして良いものは私。

悪いものは人の金を当てにして借金しまくる情夫。


彼女が幸福になる事が目に見えている。

私は、「出世払いね」と言ったが、良くなっても支払う人は少ない。


その私の努力は、きっと報われる時が来る。

なぜなら、神のお返しの方が、何倍も大きいからです。 (今までもそうでありました)


私は遠くを見ている訳ではない。 現実に与えられる幸福を見ているのです。

たとえそれが100%でなくともいい。 私に与えられるだけでいい。

私は人に奉仕し、幸福を見ている。

それがどんなに楽しく、美しい仕事か、私はよく知っている。

多くの人が幸福になるところを見る、目撃者。


こんな楽しいことが自分にできるとは、考えてもいなかった人生ですが、

私はいつも人の役に立ちたいと思っていた。

保母さんも、スチュワーデスも、看護婦さんも、みな身長制限ではねれた。

そして、私に残った道が、今の私だった。 

そして、これこそ私の唯一の天命と知る事ができた幸福な私の人生です。


だから、閉じられる扉が、悪い訳ではない。

唯一開いている門から、入るべきである。

それが自分自身というものだ。


人と同じになろうとすると、自分が見えなくなることだってある。

平均的な幸福を夢見ていても、そうならない事もある。

ならば、嘆いてばかりいるのか。

自分にできる、開いている門を、一度は入ってみたらどうか。

誰も止めない道、それが本道かもしれない。


皆が止める道、これはよく考えるべきた。

どうしても行ってみたいなら、行ってみてもいい。

でも、その時は、覚悟しなさい。 

責任は取りなさい。


人を傷つける人がいる。たとえ天命であっても、大罪は大罪である。大罪を生きる命もある。

その人は責任を取るのが天命である。

生きてのうのうとする人生は約束されていないのである。

あなたのその悲しき人生は、あなたのものである。

他人があなたのために準備した訳ではない。

あなたの血筋が、それを準備したのである。


血筋が準備した不幸の子でも、吉名はそれをカバーする事ができる。

私の神は私に言った。

「父の破れを正す。もって誉れあり。承(う)くるに徳をもってすればなり。

 父の難事を処理する。盛徳を持って父の意を承(う)けるがゆえに

 弊風を一新して、大いなる賞賛を受ける」と。


「柳の枝を柔らかく揉(も)んでつくった籠(かご)で、崩れてしまいそうは果実を

 優しく胸にいだきなさい」と。


私には、人に吉名を付けることしか出来ない。

でも、多くの人を救ってきた。


でも人は、幸福になると、電話もしてこず、御礼も言わず、お金を支払わない人さえ居る。

(苦しみも、喉もと過ぎればなんとか、か)

(再び何か問題が起こったときだけ、なんとかしてくれろと、言ってくる)


それが私の人生なら、それもよい。

私の先祖の破れであろう。

それは、私の人生だから、私は受けて立つ。


でも、わが神は、私を幸福にした。

人には見えないかもしれないが、私たちがどんなに幸福か、私と私の家族はよく知っている。


だから神は、私たちに立派に報(むく)いたのである。

私たち家族のささやかな犠牲と、人々への愛情のために

私たち家族と身内の者の安全と幸福という形で、神は大きなものを報いたのである。


この安全は、目に見えない幸福の守りで、お金に換えたら、とても大きな金額になる事だろう。


神は私に言った。「何もかも欲しがってはならない」と。

「お前にはすべてを与えてある」 「お前に権能を授ける」と。


この言葉の通りに、神は私に実行したのである。

神ご自身のご希望である、家族の幸福という形で。


          

                H20,4,15 (火)  pm 1:21 記

                

お久しぶりです。皆様はお変わりありませんか。

毎日毎日いろんな事、事件があって、ほんとに大変。それでも生きていかなくてはならない私達。


では、どういうふうにして?

それは心の持ちようです。

言うのは簡単。でも、行うのは結構大変な事です。


悲しいのに悲しくないかのように生きる事か。    いえ。 それでは病気になります。

ウソにウソを重ねて真実のように生きて行くか。  いえ。 それではいつかばれて、自滅します。

無能者を装ったら、傷つかず生きていける?    いえ。 それでは力をくれたご先祖に失礼です。


人は誰でも自分自身を生きる事しか出来ないのです。 が、ここに真理がある。


たとえどんなに苦しみがあっても、きれいな心をなくしてはいけない。

人を殺して正当化されるなどと言う事は、神の世界にはない。

そこには深い悲しみと、深い後悔と、苦しみの海しか、広がっていない。


たとえ、どんなに言い訳しても、そこにはそれをじっと見つめている自分がいる。

その自分を誤魔化す事はできない。

懺悔と後悔の涙のない反省は、意味を成さず、その人をずっと苦しめるだろう。


心というものはそういうものです。

正しい心というものは、だれの心の中にも、奥深い所にあるものです。

その心をだます事は、できません。


なぜならうまくだましたと思っても、結果が悪いからです。 人の号泣を誘(さそ)うからです。

神はだまされたりしません。 あなたの中の神は、だまされたりしません。

殺人を擁護したりしません。 そこには大罪を犯した人生があるだけです。


神は、結果が良い事がお好きです。 涙を拭いて、笑顔になる事がお好きです。

後悔の涙のない清清(すがすが)しさを、お喜びくださいます。

あなたの中の神も、それを知っているから、感動する美しい話に涙するのです。


そして、いつも正しい心、優しい心、きれいな心を心がけていると、

いつか正しい天の神の御心のままに、正しいもの、明るいものに、巡り会う事ができる。


これは本当ですよ。

先祖が正しい人々なら、あなたもそれをなくさないように心がけましょう。

そして、あなたの子孫に輝かしい光栄を残し与えてあげましょう。

そうです、良い家系というものは、そう簡単にはできないからです。


日本全土の正しい家系、人々のお蔭で、今も日本は救われているのです。

あなたが罪深いなら、今すぐやめなければ、みんなの足を引っ張る事になるのです。

みんなの光栄、栄光を、減らしたい人にないたいか。


いえ。 私はなりたくない。 かえって、それ(栄光)を増す人になりたい。


ですから、いつまでも重要文化財に落書きなんかしないことです。

世界の恥だ。日本の恥だ。

そんな事をして楽しんでいる人に、神が栄光を用意しているわけがない。

自分の罪で自分が滅びるのです。 たかが落書き、と、思うかなれ。


そんな事をしている人は、きっと、吉数ではないから、落日も近い?

そう、自分でしでかした罪です。

どんなに苦しく、いたたまれないように悲惨な人生でも、良い事をしなさい。

ルールは守りましょう。

あなたのそのいい加減な生き方が、罪を生み出し、あなたの人生を狂わせるのです。


どんなに苦しくとも、いい人になりなさい。 女を殴らないで。 子供を殴らないで。

自分を尊重して、卑下しないで。 自分を傷つけないで。

そんな事をするから、悲しみがやってくるのです。


明るく、正しい、人を成功させる吉数は、そういう努力の上に、花をさかせ出てくるのです。

吉数の幸運は、待っていてもいけません。

チャンスは転がりやってくるものではないからです。


あなたがいつも考え、求め、準備するところにやってくるのです。 (棚からボタ餅はない)

ですから、本当の意味の、あなたを成功させる吉数は、誰の手にも入る、ということです。


しかし、それは一朝一夕には出来ません。 何十年もかかる事がざらだからです。

しかし、それはやって来る。 正しい人にやって来る。


人を成功させる本当の吉数は、あなたの人生にもやってくる。


そのためにも私は、皆さんの幸運を祈っています。

本当の明るく正しい幸運がやってくるために、心から祈っています。

なぜなら、ひいては日本のためになるからです。

ひいては世界のためになり、これからの世界の礎(いしずえ)となる人々になるからです。



わが ALECA は、そんなふうに努力する人のために、いつでも開いている庭です。

いつでもご質問待っています。


                

                    H20,4,11 (金)  pm 12:32 記


昔なら、さしずめ、”夜鷹(よたか)と遊び男” と言えるような行為を、

今は普通の少年少女(?)がするらしい。

携帯電話の普及で、眠っていた欲望が芽を出したのか。


若い頃の遊び、と、言えばいえるかもしれないが、大方(おおかた)はダメ人間になる。


なぜなら、奥深い快感は、脳を占拠し、忘れられない記憶となって、

その人の行動を左右するからである。


そんな危なっかしい相手を、立派な男性が求めるわけもないし、

立派な女性が、あこがれる訳もない。


ただ、どこまで行っても遊び女、遊び男として高級クラブに所属できたとしても、

政治家や、社長、学者、遊びヤクザの、おもちゃになるのが精一杯なのです。


よほど改心してやり直そうと思っても、その気持ちより快感のほうが勝(まさ)って、

ひちめんどくさい真面目な生活は、退屈そのものに感じるかも知れない。


そうしたら、もう、もどる世間すら、門を閉じてしまう事になりかねない。

そうなってから泣くのも、悪くはない、かもしれないが、

もう、もどる世間はないのである。


人は、よく考えねばならない。

あなたをこの世に産み出してくれた両親のためにも、立派に生きる義務があるのではないか。

たとえ、どんなダメ親でも、あなたを育ててくれた。

そのことに免じて、あなたが立派になることは、大切な事ではないのか。


たとえ、どんなに辛(つら)くても、あなたがヤサグレテ、ひどい人生を生きる言い訳には

ならないと思う。


上記のような危なっかしい人生を歩こうとする若者を、注意できない今の日本は

病んでいると言える。


先進国の闇、と、言えるかもしれない。が、恥ずかしく、悲しい現実である。


そう言う遊び女、遊び男は昔もいたかもしれないが、それでも危険感はあったと思う。

今の子達でも、なるべく安全をと思いつつも、つい誘惑に甘えて、危険な地に足を踏み入れる。

その地は、きっと、彼女、彼らが考えたほどには、甘くは無いと思う。

日本の地に、昔のように淋病、梅毒、エイズが蔓延(まんえん)する事だろう。


自分の行く末も満足に考えられない未熟な人間が増えれば、この日本はどうなる。

日本の危機である。

が、大方の人は、そんな事も考えず、のほほんと生きている(?)。


もう少し、しっかりしないと、悪い菌が、良い菌を駆逐(くちく)するかも。

また、悪い菌と共に、良い菌まで死滅させないように気を付けたい。


いずれにしても、いずれにしても、良い日本にしたい今日この頃です。

あま利に悲しく、苦しい問題が多すぎて、ブログを書く気にもなれない今日この頃です。


皆さんはいかがですか。

それでも元気に生きていきましょう。

そして、あなたの周りから、良くしていきましょうよ。

あなたのためです。子孫のためです。

あなたが死んだ後、子孫が笑って暮らしていれば、それはあなたの功績です。

あたたの努力のお蔭です。

誰に遠慮がいるものでしょうか。


いい人になるのは、時間が必要です。

落ちるのは簡単。なまければいいからです。

なまけて身を捨てればいい。

でも、その先に泣くのはあなた。


良い人生を生きたいものです。

一生懸命生きて、子孫の笑顔を、見たいものです。



                       H20,4,3 (木) pm 12:15 記

お久しぶりです。皆様はお変わりありませんか。

豊橋に行ってから、いろいろあり、長くブログが書けなかったことをお詫びしますと共に、

新しくなる音を、ここに紹介します。


私は自分を占い、現実を鑑定しつつ今日まできました。

この名の変更も、お許しがあってこその変更ですが、皆様にもお許しいただけれは幸いです。

 

                      H20,4,1 (火) pm 12:43 記

今日から3日間(豊橋へ行き)留守に致しします。ブログを書けなくてごめんなさい。


お急ぎの方は、メールをお願いしますね。 悪しからずご了承ください。


                小濱白光       H20,3,23 (日)  am 9:47  記

こんにちは、きょうはとてもいい天気で、春をつよく感じます。

皆さんは、お元気ですか。わたしはどうやら花粉症ではなかったもようです。

「風邪による鼻炎じゃないか」と、言ってくださった U さん ありがとう。(^-^)/鼻声も治りましたよ。


わたしはいつも、人の心の中には、とても深いところに神が住んでいると思っている者です。

その正しい神に会うのは、至難の業だと思いますが、人には四端(したん)の心があります。


幼い時から持っている潜在的な善良さは、おとなが育む価値のあるものです。


人はよく、子供は悪魔だ、と、言いますが、それは一部ウソです。

相手は幼いのですから、いい子に育ててやるべきで、

本人の意思の尊重といって、好き勝手にさせておいて後に、悪魔だというのは、

とてもいけない事だと、思います。


たとえ、いい子に育てても、死んでしまう事もあります。

生まれ出る前に死ぬ子もいます。

悲しく、やるせなく、つらい事です。


その子たちの多くは、親に何かを教える子でしょうか。

くやしさや、憎しみを克服して、真人間として、生きる事を強いるのでしょうか。


私はその子たちと、多くの親のために祈り、

明るく元気に生きる事を、奨励したい。


明るく、元気に、謙遜に生きる事は、時代は変わっても、いつも正しく、

善良な市民の生き方だと、思っています。


あの中国でさえ、戦争孤児を、温かく育ててくださったのです。

すべてではないにしても、いたいけない幼い子供に、食べ物を恵んでくださった。


それだけでも日本は、いつまでも感謝していい事柄だと思いますが、

今の中国は、金儲けのためにはなんでもする国に、なってしまったのでしょうか。


日本も同じ。金のためなら、役人が不正をして、知らんぷりを通したり、

それによって損害を受けた方に、なんの保障もないなんて、

なんていい加減で、腐った根性に、成り下がったのでしょうか。


もう、そろそろ、いい日本に、しませんか。

しつけのよく行き届いた、善良で、誠実で、誰にも負けないそんな日本に

していこうでは、ありませんか。


政治家の横暴で、国の金融を司る長が決まらないなんて、

なんて恥ずかしい。

民主党と書いて、未達の30、寿命全うせずの30。

この人たちは、いつもこうするのでしょうか。


わたしたち日本人全体が、ゆるんでいるのでしょうか。

外国にバカにされるには忍びない、いい国だと、思いたいのですが。

そんな、素晴らしい日本を、皆さんと作っていきたい。

そんなふうに思って仕方がない、今日この頃です。



                          H20、3,22 (土)  pm 2:24 記





きのう(3月20日)は、寒かったですね。 皆さんは大風など、大丈夫でしたか。


先日、info@aleca..jp  をお知らせしたところ、すぐにメールを送ってくださって、ありがとうごさいました。

反響があることは、やはり、とてもうれしい事ですね。 (^-^)/こうやってブログにはまっていくのかな。

皆様のご健康と、今後のご活躍を、心よりお祈り申し上げます。



ところで、皆様は、色彩に興味がおありでしょうか。

野村順一先生によると、人の目は、1000万色を見分けるといいます。

本当にすごい事ですね。


野村順一先生 「366日 誕生色 事典 (ブックマン社)」 によりますと、

それぞれの生まれ日によって、誕生色というものが配されているようです。

私は、その本を使って、自分探しをした事があります。


自分の好きな色を選び出してみますと、そこに私がいたのです。

そして、私がけっして選ばない色もありました。  そこに私はいませんでした。


私たちは、何という事をする動物なのかと、とても考えされられた事でした。


私たちは人に会ったとき、その人の服装の色でも、瞬時に、好き嫌いを判断しているのです。

不思議な事をする動物です。

そして、その好みは、自分自身ですから、どうにもならないものなのでしょう。


私はときどき、皆さんがハンサムだと言う人を、なんとも思わない事があります。

「どこがいいんだろう」と、首をかしげたり?


しかし、案外こんなところに、ヒントはかくれていたのでしょうね。

「蓼食う虫も好き好き」と、いいますが、

人が良いといわないのに、なぜか自分は気になって仕方がない、というのも、

実は、こんな絶妙な感覚のなせるワザ、かもしれませんものね。


ですから、この本で自分探しをするのは、とても有意義だと思って、

活用させていただいた事があります。

多くのお客様に、この本を使って、自分探しをしていただいた事があります。


すると、ほとんどのお客様が、とても驚かれます。自分が何者か分って。

こういう小さい事から、自分を確認していくと、ほんと、いらだちも収まるというものです。


人は、自分の事が分れば分るほど、怒らなくなります。

そして、人の事が分かれば分るほど、憎くむことができなくなります。


私はこうして人を落ち着かせたいのです。

私はこうして人を愛する事の大切さを、お教えしたいのです。


そして、「青き水」の完成は、これとは一線を画した、使命から出た色彩でした。

「白」も、そうです。  (第八のチャクラの色。 ブラフマンの白)

私の超感覚は、私の使命に私を釘付けにし、それをやり遂げる事を要求したのです。

私はもう「はい」と答える者になっていますから、それに異論はありませんが、

このような使命は、私だけにあるのではないと、思っています。


ですから、色彩の本は入り口です。

あなたの使命を知る入り口です。


たぶんどこの書店でも取り寄せてくれるのではないかと思います。

よろしかったら、お試しあれ。



                            H20,3,21 (金)  am 1:42 記


私たちは時々、卑近なアンテナと、グローバルなアンテナを、混同しがちです。


日々の細かい事にばかり心を捉(とら)えられていて、世界の動きを見逃す事や、

また逆に、世界の事ばかり考えて、家族や知人の事を疎(おろそ)かにする事などです。


しかし、今日の、「綾香ちゃん、豪憲くん殺害事件」の判決は、いただけませんでした。

あれは、卑近な人々の意見も聞いていなければ、グローバルな視点での観察による結論や、

今後の裁判員制度の実施に関しても、とても中途半端な結論に、なったように感じました。


人一人殺す事の罪を、再確認して欲しいと思いました。

母親がわが子を殺す事の罪深さを、もっと考えた欲しいと、思いました。

言い逃れ、言い訳、のらりくらりして、ウソをつきまくると、刑が軽くなる今の法律などは

どうにかなりませんか。

犯罪被害者の代弁者は、有り得ないのでしょうか。居なくても、いいのでしょうか。



私はこの事件を深く記憶のとどめ、忘れる事はないでしょう。

この事件にはいくつものヒントが隠されており、事件の全容を如実に現している

いくつかの姓名判断、地名判断、川の名の判断、事件の人物に関する判断等のメモが、

私の資料の中に多数存在しています。

今後のプロファイリングの充実を、心から願うものです。


この悲しい人々の人生を、どうしたらいいのでしょうか。

この地に住まわれる多くの皆様の、心が休まる方法を、考える人はいないのでしょうか。

何万と言うr市民が、心を痛めています。

やるせない思いをしています。悲しい事です。



私は、私の修行時代(大運による、戦地に座すの10年間)を、一段落し、超えたようです。

これからの10年の方向性も、見えてまいりました。

私は多くの言葉、数字、姓名や地名、店名、その関係性などに通暁し、

これからももっと励み、研究の成果を、皆様の人生に反映していきたいと、思っています。


それで、卑近な案件での仕事が、開運鑑定室であり、(風水、家相、方位も見ますよ)

グローバルな視点での、人間再生や、幸福の追求、世界市民としての日本人などへの提言を、

ALECA からしていければ、幸いだと考えました。


もともとALECAは、ALECAが本体であり、開運鑑定室ALECA は、その一部として出発しましたが、

私はすっかり、悟りに興味を持ち、その道筋を、この大運の間に見つけた者です。

それで生まれてきたものが、新生ALECAです。


多くの皆様と、共に歩いて行ければ、うれしいと思います。

どうか、安心して、ご愛顧くださいね。



                                H20,3、19 (水)  pm7:35 記