12/26

にもプロジェクトの第2公演が終わった。


毎回、公演当日は舞台袖で

仲間の演技を拝見できるような余裕がない。


昔、公演で、袖からじっと見た後で、

本番に望んだ際、

観た作品の余韻を引きずったり、

調子が狂ったりしがち、という傾向があると

気づいた時から



前の方々の演目は申し訳ないが

拝見せず、

自分の課題に集中するというルーティンになっている。


アメリカでの公演では

毎回、目に見えない観客にも緞帳裏で挨拶した上で

パフォーマンスを行ったものだが


あれから数十年経って

久々の大きな舞台、

緞帳裏で、見えない先人や神様など

お誘いするようなこともうっかり忘れ、

それのみならず、


捌け方も上手く蘇ってこず、

幕間のサイドからの照明、という慣れない難関を

上手く突破できなかったように思う。


それはさておき、

今回、舞台袖から…、というよりは

本番前の通しのあたりだったか


私は、

ショパンに会いたい、と切に感じていた。


ピアニストの方の弾くショパン、セレナーデ

私達のバラードではなく、

ソロの作品の方だったが、

演者の方が練習中だったか

幕の周辺で 私は ひとり

ショパンを聴いていた



私は格別、ショパンの大ファンというわけではないが、中学生の時、何故か知り合いが、カセットテープをくれたことがある。

確か、コンクールか何かから、録音されたもので、ショパンばかり演奏されていたピアノ曲が延々と入っていた。


いつか私はこんなふうにピアノを弾けるようになりたい、


と、彼女は私に語った。


それをどうして、特にとりわけ仲の良かった訳では無い私にくれたのか、未だに謎なのだが、



私は、素晴らしいピアニストが弾いているという、

そのテープをありがたく受け取り、

ありがたく、何度も再生し、

ありがたく、何度も拝聴した。


思春期の私、青年期の私を騙そうと思ったら簡単である。

これは有名な芸術家の作品だ

という1言があれば、

私はころっと騙され?


さようか。ありがたや。


と、嬉しがって涙を流したであろう。


けれど自分でもっと深めるような方向に持っていけてないため、ショパンの作品を全て知っているわけでもなければ、学ぼうともして来なかった。


だけど、

舞台袖で感じたことは

この音の中にショパンが生きている

ということだった。




音の流れ、音楽の進み方、和音の中に

ショパンが生きている、


私は、舞台の上で

ショパンの作り出した音と共になり、

ショパンの音楽になりたい、


『ショパン存在』に会いたい、と


そういう奇妙な感覚に襲われたのだった。



もしや、私は前世で

ショパンに片思いしていた小間使いだったとか、

隣人だったのかもしれない…?

そんな妄想も楽しみつつ



ショパンの作り出す音の世界は

何と、深く 

濁っていたり 流れていたり

色彩豊かなのだろう


本当のショパン大ファンには

こんな事を言って申し訳ない気がし、

許してほしいけれども



あえて…。



これからも チャンスがあれば、

是非とも、ショパン存在と

一つになれますように


ショパンさんの曲

大好きです…✨







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