時は流れ移ろう。

待ってといっても待ってくれないし、戻りたいと思っても戻ることはできません。

だからこそ、後から後悔しない生き方を心がけたいものですね。



お久しぶりです、俗物です。

最近、東京メトロのマークがアライグマの顔に見えて仕方ありません。

さて、人と接するのが非常に苦手で億劫な俗物も、新社会人として組織に属して働くことになりました。

これからの約40年間、社会の歯車となってあくせく働いていくのです。


今日で社会人生活3日目、社会人になって初めてのブログ、いうなれば「俗物の咆哮」の第2部です。

これを機にタイトルを変えようかな?なんて思ったりもしましたが、三つ子の魂百まで、しょせんボクはどこまでいっても俗物に過ぎません。

ならば、その俗物に過ぎぬ人間がどこまでやれるか試してみようじゃねぇか!って事でボクは俗物のまま社会を突っ走ろうと思います。

さて、まずは近況報告を。

ボクは電車通勤ですが、何しろ千葉から東京に通勤ですからメッチャ電車が込むんですよ。

田舎で生まれ育ち、「満員電車?何それ?」的な環境に身をおき、京都でのほほんと大学生活を過ごして満員電車は就活してたほんの一時期体験した程度でした。

そんなわけですから満員電車の免疫なんてまるっきり無い状態、若葉マークをつけた初心者という按配なのです。

こんなのが毎日続くのかという不安がありましたが、2日目以降はやや緩和されて助かりました。

それから、社会の歯車になるにあたり、車輪の回りはじめともいうべき「入社式」が催されました。

簡素な式でしたが、辞令を受け取ったり、皆の前で意気込みなんぞをスピーチしたりと、否応無く気持ちが引き締まりました。

初日は入社に当たっての手続き等で終始して、2日目は会社のルールや今後のスケジュールの説明などで、入社2日ではまだまだ研修すら始まりませんでした。

んで今日、3日目にようやくにして研修が始まりました。

とはいっても、簡単なビジネスマナーを学んだだけですが。

午前中にビジネスマナー、午後は来週から始まる集合研修の場所・千葉の幕張に見学に行ってきました。

横殴りの雨が降り、冷たい風が容赦なく吹く今日という日に行くのも、なんとも運が悪い・・・

幕張の研修センターにて、研修センターの入場許可証をつくって施設内を見学。

予定では今日はそれで現地解散という運びだったのですが、思いのほかスムーズに事が運んだのか、かなり早く終わりました。

今日の終了時刻 3時15分

・・・いくらなんでもそりゃあねえだろう・・・

定時よりも2時間以上早いじゃないか!?

なんか逆にこっちが申し訳なくなっちゃったくらいだよ!

しゃあなしに、同期と研修センターの周りの散策をしたりしましたが・・・

え~と、ボクの社会人生活の3日間は一応こんな感じです。

同期とはまだお互いギクシャクするところもあるけど、ゆっくりでも仲良くなっていければいいと思います。

ついに動き出した車輪。

はたして、今後どうなるのでしょうか。

早々と脱輪するのか、運転者の命令にただただ従って回り続けるのか、暴走するのか、自らの意志でスピードと方向を見定めながら走るのか・・・

人生において、ボクに残されているであろう時間はあと約55年。

そのうち、定年までの約40年間を働く期間として過ごすのである。

長い長い人生の幕はまだまだ始まったばかりだ。

楽しい事や嬉しい事、悲しい事、つらい事・・・これから、色んなことが起こるだろう。

でも、いつまでも向上心を持ち、日々の出来事から学んで成長し、自分を高めて行こうという気概は忘れてはいけないと思った俗物であった。

京都から千葉に移り住んで1週間が経とうとしています。
東京の地理がわからないため、いまだに千葉でくすぶる毎日を送っています。
そんな状態で入社までの時間をただただ無為に過ごしています。

それじゃあイカンだろう!?ということで、今日ちょっと東京の方に出てみました。
しかし、東京に一人で何を見ればいいの?って感じになっちゃいまして、結局フラフラと当ても無く歩いて帰ってきてしまいました。

靖国神社や皇居を見てみたいのですが、どこにあるのかもわからない始末。
東京デビューはまだまだ遠いな・・・
誰か教えとくれ・・・


とりあえずチャリンコで近場を知ることからはじめることにしよう。



自分のブログなのにお久し振りです。

ここ数日忙しくて・・・というのは言い訳に過ぎませんね。

それでもこんなウンコブログをチェックしてくれてはる方がいるのは、執筆者冥利に尽きるというものです、ディ・モールト・グラッツェ!(超・感謝!)

京都での生活を終えて、俗物は現在千葉県におります。

姉歯元建築士の家が、ボクが今住んでいる市と一緒でかるく驚いています。


現在俗物は何をしているかというと、来るべき入社の日までの最後のモラトリアムを堪能するという、無能この上ないことをやっちゃっています。

が、新生活の準備が何かとありまして結構大変です。

最近になってようやく落ち着いてブログなんぞつらつら書いてます。

というわけで、今までの分を一気にアップしておきました。

お暇なときにでも読んでいただければ幸いです。


社会人になってもブログは続けると思うので、皆様一つよろしくお願いします!



3月25日、上京。



ついにこの日は来てしまった。

昼に京都駅行き、新幹線の切符を購入。

京都とのお別れの時、そしてYさんとも一旦お別れの時です。

新幹線の時間が押し迫って、改札を抜けて振り返る。

見送りに来てくれたYさんはいつまでも手を振っていました。

いつまでも、いつまでも・・・

なんだか後ろ髪引かれる思いでしたが、行かないわけにはいきません。

Yさん、とりあえずアバ茶(アバッキオ茶)を置いていきましたんで、是非飲んでやってくださいな。

飲んでくださいよ、それともヌルイから飲むのは嫌か?



別れというのは名残惜しいものです。

しかし今の時代は昔と違い、メールやブログなどで離れていても容易にコミュニケーションをとることが可能なのだ。

それにこれが今生の別れという訳では無いので、悲観的に捕らえるのは辞めにしよう。

なんとでもなるさ!

京都で行きたいところはまだまだ沢山ありましたが、今はお別れです。



というわけで、

京都でお世話になった皆様、本当にありがとう!




アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ・・・アリーヴェデルチ(さよならだ)!




日記はいまだ過去のことを垂れ流します。

3月24日の出来事。



この日は、3年間暮らした部屋の退室の立会い、及び電気やガスの解約手続き。

電気やガスは電話一本で完了しましたが、厄介だったのがネットの解約。

いろんなところ電話して、たらい回しされて、ようやく解約することができました。

やっぱこういう手続きは早め早めにやるべきですね、ホント後悔です。



さて、京都を自由に動き回れるのも今日で最後です。

惜別の感情が湧きまくりです。

4年間住んでいたのに、まだまだ堪能し切れなかった京都、ホント奥が深い!


午前中に各種解約手続きをし、午後から退室の立会いでして、2時間半くらい暇ができました。

指をくわえてそれを待つのはあまりにも勿体無い。

「時は金なり」

ということで、愛車・銀輪2号にまたがり、洛中をラストドライブ!

といっても飯も食っていなかったし、あんまり遠出していたら時間が無くなってしまいます。

どこに行こうかちょっと迷いましたが、とりあえず鴨川に行きました。


河川敷から傍観する鴨川は実に美しかった。

桜が咲いてれば最高だったんだけどな・・・

千年王城と呼ばれた京の町を見守り続けた鴨川、ロマンを感じます。


鴨川の河川敷を自転車で北上し、気がつけば上賀茂・御園橋。

四年間大学通うために渡り続けたんだな・・・と思うと、なんだか胸にこみ上げる何かがあります。

あ、けっしてゲロではありませんよ、念のため。



せっかくここまできたのだからと、あの有名な今井食堂でサバ煮を食す。

ヤクルトの古田も、立命館の学生当時ここに通ったそうな。

うむ、いい味です。

その後、世界遺産・上賀茂神社を軽く見た後、帰宅。



部屋の退室の立会いは、拍子抜けするほど簡単に終わった。

そして、部屋の鍵と郵便受けの鍵を返す。

カラビナが少し軽くなった。


3年間すんだ“ハチの家”とも、ついに別れを告げるときがきました。

3年も住んで愛着があったんで、ちょっと感傷に浸ってしまいました。

お世話になりました!


その後、原付を売却しにいく。

知り合いから1万円で譲ってもらった原付。

京都から福井に帰るときに乗って帰り、エンジンがバカになってしまった。

それ以来放置し続けて約半年。

二束三文で買い叩かれましたが、売れただけマシと思うことにします。

ここで原付の鍵も無くなる。

カラビナには自転車の鍵だけが残りました。

寂しくなったものだな・・・


この段に至ると、時刻も夕方にさしかかっていました。

そこでボクは船岡山に行った。

住んでいるところのすぐ近所にありながら、ついぞ行く事の無かった船岡山。

最近になって、あの宮本武蔵と吉岡清十郎の決闘が行われた蓮台寺野が、船岡山のすぐそばであると知り、是非行かねばと思っていたのだ。

実際行ってみて、なぜ今まで行かなかったのだろうと後悔してしまった。

応仁の乱のゆかりの地であり、洛北を一望できる、スポーツできる広場がある。

ああ、ボクはまだまだ京都を知らないんだなと思い知った。



船岡山を回っていると、そのまま建勲神社へと入っていきます。

憲勲神社の祭神は、なんとあの織田信長。

すごいね、尾張の大うつけがここでは神様か。

こういう歴史の発見があるから、京都は面白い。

京都の人口の約一割が学生という、学生の町・京都。

ますます好きになりそうです、離れるのに。



しかし、楽しいときというものはあっという間に過ぎてしまうもの。

やがて日は暮れて夕闇があたりを包んだ頃、ボクは船岡山を後にした。



・・・その日の夜は、船岡山に登ったせいで花粉を大量に持ち帰り、くしゃみ鼻水が止まらなかったことを追記しておく。



今日は3月22日。

23日午後に引越しの荷物を運び出す算段になっています。

荷物はほとんどまとまっていません。

さあどうしましょう!?



「やれるとはいわない、けど、やるしかないんだろう!?」 アムロ・レイ



もうこうなったら徹夜で荷物をまとまるぞと覚悟を決めるボク。

さあ悩む前に手を動かせ!

ということで22日から23日朝にかけて夜通し荷物もつめてましたよ。

色々と懐かしいものも出てきて作業がはかどらなかったりと、マジでギリギリまで荷物の梱包作業に追われていました。


しかし、狭い1Kの部屋によくもまぁこんなにものがあったなぁという感じですよ。

まるでドラえもんのポケットのようです。

要らなくなったものは先日、両親が車で京都に来たときに軒並み実家に持って帰っていただきましたが、それでもこの量といったら半端ないですよ。

なかにはかさばって捨てたいけど、捨てるに忍びないものもいくつかありました。

その一つがコレです。


ガンダムシールド


ええ、ガンダムシールドです。

10分の1スケールで、大人が持つとちょうど劇中のガンダムのような感じになるサイズです。


数年前に、他の大学の友人がダンボールでガンダムのコスプレやったらしく、欲しいならあげると言われたので喜々としてもらって来ました。

たまにこれを片手に、もう片方の手に刀(模造刀)をもって遊んでいました。

が、、このシールドが荷物にするには結構かさばるわけですよ。


正直どうしようか迷いました。

なんといってもボクのお気に入りでしたから捨てるには忍びない、さりとてこんなのかさばるだけです。

めっちゃ悩んだ挙句、今回はご縁が無かったということで泣く泣く破棄することにしました。


ありがとうガンダムシールド、そしてさようならガンダムシールド、君との思い出は終生忘れないよ。



こんな涙の別れを告げ、昼前ごろにはようやくにしてすべての荷物がまとまりました。

そして昼過ぎ、まとまった荷物を引越し屋さんに運んでいただく。

結構破棄したのに、それでも荷物が多くて追加が発生してしまった・・・

ちっくしょう・・・

あ、ちなみに刀(大小1振りづつ)はちゃんと持って行きましたよ。

武士の魂を捨てるなんてボクには到底できませんから。



すべての荷物を運び出した後、ボクは僅かな手荷物とともにしばしのあいだ部屋を感慨深く見つめました。

この部屋に3年も住んだのだ、お別れするのだから惜別の気持ちが湧くのは致し方ない。

物が無い部屋って意外に音が響くんだなぁ・・・と実感した。


この部屋の退室は明日24日、そして25日に上京。

あわただしい日々はまだまだ続く・・・




19日20日の、嵐のような2日間を終えて休む間もなく引越しの準備に取り掛かる。

ハズだった。

そうしないとそろそろ間に合わないから取り掛からなければならなかった。


しかし21日は引越し準備もそこそこに、Yさんと東山花灯路にいってきました。

しかし何故か著しく機嫌の悪いYさん、剣呑な事態になり、実に不穏な空気が漂った。

そのおかげで、東山花灯路を全くもって堪能できませんでした。

ライトアップされた八坂の塔を撮影するんだと意気込んできたが、それも叶わなかった。

くやしかった。

めっちゃ楽しみだったので、めちゃくちゃ落胆してしまいテンションも駄々下がりであった。

最後の京都らしいイベントを思いっきり堪能してやろうと、しっかりと下調べしたのに・・・

はぁ~ホント残念でならない。

テンション下がりすぎて途中から喋るのも億劫になってしまい、無言の時が流れた。



Yさんが御立腹になられた原因は、ボクがあまりにもYさんを放置しすぎることらしい。

挙句、「ほうれんそうできひん俗物は、上司からは嫌われるタイプだ。」とまでいわれる始末である。

はぁ・・・ほうれんそうか。

うちのゼミで先生が口を酸っぱくして言っていた事だ。

頭ではわかっているつもりだが、どうやら実践できていなかったように見えたようだ。

最低限はしているつもりだったんだけどな・・・

これでは足りないとおっしゃるのですか?人生の先輩殿。



はっきりいってボクはYさんを放置しているつもりはない、束縛しないだけなのだ。

Yさんにもうちょっとボクという人間を理解してもらいたい。

そしてボクも、Yさんという人間を少しは理解できるようにならないと、と思った日であった。



あ~あ、なに言ってんだろ。

見知らぬ土地に一人で過ごしているから頭がおかしくなったかも。





カラオケを終えて外に出るときには、夜は完全にあけていて朝日が目にやたらと突き刺さる。

正直疲れたが、まだまだ20日も遊ぶぞとばかりに、いつもつるむメンバーで今日の算段を立てる。

まずはアシとなる車を持つ“赤い彗星”のAさんをお呼び出し。

朝早くから、学生の気ままな願いを社会人のAさんにお願いするのは、少々酷かとも思ったが、最後なのでまあいいか。



結局昼から動くことになったので、宿無しのpain君とリースマン君、さらにはJ君も俗物の部屋である“ハチの家”にきて、2~3時間仮眠をとる。

Aさんが迎えに来るのを指をくわえて待ってから、みんなでファミレスにいって飯を喰らう。

みんなやはり疲れているのかテンションは低めでした。

飯を喰らったのちは、リースマン君とJ君の簿記の結果を見に行く(二人とも合格、おめでとう!)



さてこの後どうしませう?


ボクの好きなところでいいというお達しが出ましたので、行きたいところを列挙。

平等院、三千院、将門岩・・・

結局大原の三千院に行くことになりました。

自分の足では行きにくいところだったので、思わずほくそえんでしまった。

この日の天気は快晴で、実に心も晴れやかになる。

特に、ボクのリクエストの場所に行ってくれるというのだから、いつもの2割増しくらいテンションもあがる。


車はひたすら北へと進路をとる。

山を越え、峠道を果敢に攻め、ようやくにして大原までやってきた。


大原は、はっきり言ってしまえば田舎であった。

萱葺きの家が普通に点在し、畑や田んぼばかりののどかな田園地帯だ。

でも、こんなところにあるからこそ癒しの効果は抜群である。

もうマイナスイオンが至るところからにじみ出ているといった感じがして、顔も自然とほころんでしまう。


三千院の美しくワビサビを感じる庭園に心落ち着かされ、その一方でスタンプラリーに心躍らせる22歳男子のボク。

ああ、こんなすばらしいところがあるからボクは京都が大好きなのだ。


三千院を見た後は、甘味処でみたらし団子とお茶でまったり。

こういうところで食う団子は格別です!

本当に穏やかで楽しいひと時だった。



だが時間は流れゆくもの、pain君とリースマン君は夕方までには帰らねばならない定めを負っていました。

北大路にて、エロ院生さんも合流して、2人の最後のお見送り。

握手と抱擁、そして互いに頑張れと励ましあった。

バーンナップルのコンビは今後は見れないかもしれないが、生きている限りは再会する機会はあるさ!

そのときまでpain君、リースマン君、

アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ・・・・アリーヴェデルチ!(さよならだ)



二人を見送った後、ボク達は再び観光へと出た。

行き先はまたも北のほう、貴船神社であった。

かつて1ヶ月くらい前に丑の刻頃に行ったときは、門がしまっていて入れないという切なさ満開の結果に終わった貴船神社である。

しかし夕方に行ったので、入れるのかという疑問が頭をかすめた。

普通の神社や寺は午後5時ごろには門を閉めてしまうものだから、もしかしたらまたも入れないという事態もありえたわけですよ。

まぁ行ってみるとそれは杞憂に終わりました、普通に入れました。

丑の刻参りのわら人形打ち付けられていないかなと探しましたが、見つからず。

日も暮れたし山だからめっちゃ寒くなって下山。


夕飯は回転寿司屋に行ってまいりました。

この頃になるともう俗物もお疲れになってしまいまして、テンションも下がる一方。

皆様ももうお疲れモードでしたし、飯を食って解散・・・と思いきや我が“ハチの家”に押しかけきて、お休みになる皆様。

もうボクも疲れているし、明日も朝から用事があるのでさっさと眠りたかったんですけど・・・

なかなか動き出そうとしない面々に業を煮やし、ついには追い出してしまいました。

最後の最後で自分の嫌な一面を晒してしまい、その後軽く自己嫌悪になった。



この場を借りて謝っておきます。

すんませんでしたな。





19日はまだまだ終わりません。

まずは夕方からゼミの飲み会 in 悠悠亭。

今回もSリース内定者コンビの暴走が止まりません。

彼らによって次々と一気飲みの毒牙に晒されるメンバー、が、強烈なカウンターを喰らってぶっ倒れる。

数人のメンバーがここでさようなら。


2次会は、女性のような名前の男性が社長をつとめる居酒屋チェーン。

かなりダラダラと話す、話す。

それから店を出て、さらに数人とさようなら。


もう学校も卒業して、就職先もみんなバラバラ。

もしかしたらこれでもう一生会えないかもしれない。

しかし、みんな実にすがすがしく別れを告げるのだ。

まるで、「また来週のゼミで!」という感じで、湿っぽさがない。

このゼミだからこそなのかもしれませんね。


それからは、徹夜でカラオケへ。

まぁここでの出来事を一言でいうと、


「まったくシブイね~、おたく。」

って感じだ。

全くもってわけがわかりませんね。



ついにこの日はやってきた。



2006年3月19日。

この日、ボクが通う京都産業大学の卒業式なるものがありました。
卒業か・・・4年間色々あったけどあっという間だったな。
考えてみれば、小学校のときの卒業式も3月19日だったっけ。
1996年の3月19日にK蒙小学校の卒業式があったのです。
あれからちょうど10年が経ったのです。

しかし、よくそんな昔の事を覚えていたもんだ。脳細胞を遺憾なく無駄使いしているよ。
まぁそんなことはどうでもいいや。



この日の朝は、雪がちらつくほど底冷えのする朝でした。
卒業生の女性の多くは、艶やかな着物や袴で着飾り、髪型も実に決まっています。
対する男性はというと、ほとんどの人がスーツ。
しかし、かぶき者がごく数名紛れ込んでいました。
スーツの胸に、軍隊の十字勲章みたいまアクセサリーをつけている者。
シャッポにグラサン、アフロ頭という、どうみても探偵物語の工藤俊作としか思えないいでたちの輩。
本当にいろんな人がこの大学にはいたのだなと、卒業する段に至って知ってしまった。
京都産業大学はファンタジスタだらけだったというわけだ。


さて、式そのものは1時間ほどで終了という、少々味気ない簡素なものだった。
が、ここで困ったのが学長の話である。
とにかく長い。式は朝に執り行うものだから、眠気を誘わないわけがない。
まったく最後の最後にこんな拷問を用意してくれているのだから、学長も人が悪い。


そんなクソ長い学長の話がようやくにして終わると、今度は学歌の斉唱です。
が、ボクは学歌をよく知りません。
なにしろ学歌を聞くのが、このときで2回目だったんだもの。
1回目に聞いたのが入学式で、2回目は卒業式である。
こんな塩梅ですから、当然歌えようはずがありません。
学歌が収録されたCDを入学式でもらいましたが、開けてすらいません。
でも、多分ほとんどのひとがそうなんじゃないでしょうか?
・・・そうですよね?きっとそうだ、ぜったいにそうだ、間違いなくそうだ。


前を見ると、学歌の歌詞がスクリーンに投影されている。
歌詞とともに、大学のクラブ活動や学園祭などの写真も投影されていて、これが結構面白い。
だが、最後のアレはどう考えてもオチとしか思えない。


学歌の最後に、うちの大学の創設者である初代学長の顔がドアップででてくるのだ。
うちの大学の初代学長は、失礼だがうさんくさい顔をしている。
頭の中央部はきれいにハゲていて、サイドはもっさりしたパーマヘア、白いモジャモジャのあごひげ。
一歩間違えればホームレスのような風貌の御仁なのだ。
そんな風貌の初代学長の破顔一笑の顔が、学歌のラストにドアップで出てくるのである。
まわりからは明らかに失笑の声が聞こえてきていた。
まったくやってくれるよ、小説「虚構大学」でこの学長はアル中で描かれるのだが、それも納得である。



そんなこんなで卒業式はさして面白みもないまま終了。
場所を移動して学位やら卒業アルバムやらをいただく。
実を言うと、この段に至って俗物は自分が卒業出来ていることを知ったのであった。
あ~、よかった。
もし卒業出来ていなかったら、盗んだバイクで走り出したり、夜の校舎の窓ガラス壊してまわらなければいけないところだった。


無事学位をいただき、卒業式を見に来ていた両親のもとに報告に行く。
学位記とともに写真なんぞ数枚パシャリ。
そこで両親が不思議なものを持っているのにボクは気がついた。
なんでも、卒業式が行われていたホールを出るときに、保護者がもらえるものがあったそうだ。
それがコレです。

京産茶


その名も京産茶(きょううぶちゃ、というらしいです)


京都産業大学の商魂のたくましさに、ボクはめまいを感じてしまった。
まぁ記念にと一本いただいておきました。
どうやら学内で発売するようですから、皆様も産大にお越しの際は是非ドウゾ。


両親とお別れした後は、いつもつるむメンバーで飯を浅ましく喰らいつつダラダラ話す。
学食で飯食いながら無為に過ごすときも今日で最後か・・・と思うと少々侘しい感情も湧いてくるものです。

その後、ゼミの先生の下に卒業のご挨拶に向かう。

写真嫌いな先生ですが、お願いして一緒に写真をパシャリ、いい記念です。
なにしろ、この大学でボクが「恩師です。」と言えるのは、ゼミの先生くらいですもん。


このまま家に帰るのもなんだったので、友人の家に行って夕方からの飲み会までの時間を費やす。





3月19日はまだまだ終わりません。



This is only the beginning・・・