137年前の5月11日、函館にて一人の男が銃弾に倒れました。

名は土方歳三、新撰組の副長として、佐幕派の志士として、激動の幕末を駆け抜けた男。



今日は土方歳三の命日なんで、土方歳三について語ってみよう。

ボクは土方歳三が大好きです。

近藤への義を通した生き方に惚れています。

最後まで諦めない精神に憧れます。

繊細な一面があったところに激しく魅力を感じます。

死ぬまで信念を貫いた姿に敬意をはらいます。

信念を貫きつつも合理主義的で、理にかなったものは受け入れる柔軟性に感心します。

では、以下で詳しく語って生きたいと思います。



土方歳三について、一般的にどういうイメージをお持ちでしょうか?

マンガや小説などに登場する際は、主に2パターンの描かれ方があります。

一つは「燃えよ剣」など多くの作品で描かれる、死ぬまで戦い続ける冷徹な一面を持つ戦闘狂のイメージ。

確かに「鬼の副長」と呼ばれるほど、新撰組を強固な組織にすべく隊の規律維持に勤め、非情な措置をとった面は否めないでしょう。


土方歳三が作った、通称「局中法度」という新撰組の掟。

 1、武士道に背くようなことはするな

 2、脱退は許さない

 3、勝手に金策をするな

 4、勝手に訴訟を取り扱うな

 5、私事の戦いは許さない


新撰組にはこの5つの決まりがあり、罰則は全て切腹です。

違反者にはこの掟を情け容赦なく執行する副長の姿に、隊士達は恐ろしがりました。

なにしろ、新撰組が京都で活動していた時期における隊士の死因の半分以上が切腹・斬首。

やがて歳三についた呼び名が、「泣く子も黙る鬼の副長」である。
なぜ歳三はこんなにも厳しい罰則を作ったのでしょうか?



それはひとえに新撰組隊士のほとんどが、もとを正せば浪人や農民の出身であったためです。

いうなれば、社会のはぐれ者や無頼の集まりでした。

それだけ有象無象が集まれば、一歩間違えれば烏合の衆と化し、瓦解してしまう可能性を孕んでいます。

だからこそ、“恐怖”によって隊士を抑制し、規律維持に努めたのかもしれません。


また、局長の近藤勇も歳三も農民の出身です。

武士の生まれでないからこそ、心構えだけは武士に負けない精神でいようとしたのでしょう。

厳しい戒律で自分たちを律して、武士にあるまじき行動を厳しく戒めたのでしょう。

この時代はどれほどの腕力や知恵、才覚があろうと決して乗り越えられない“身分の壁”というものが厳然とあったのです。

だからこそ、心の面でその壁を少しでも取り払おうとしたのかもしれません。

歳三が最終的に武士になることができたのは、そうした厳しい決まり事で自分達を律していたからではないかと思う。




しかし歳三は鬼の副長なんて言われますが、本当に血も涙もない鬼だったのでしょうか?

土方歳三がマンガや小説で描かれているもう一つの描かれ方。

それは「新選組血風録」で描かれたような、私情を押し殺して鬼を演じ、心の中で悩み苦しむという人間的な弱さをもった土方歳三。



局中法度を作ったのは、烏合の衆に過ぎない新撰組を強固な組織に仕上げるためであるといえます。

歳三は自分が「鬼」と呼ばれ、隊士から蛇蝎の如く忌み嫌われる役割を甘んじて受けることによって、局長である近藤勇を引き立たせていたのではないでしょうか?

汚れ役を自分が一手に引き受けることで、近藤や新撰組に対する不満までも自分ひとりで抱え込んで組織の崩壊を防いでいたのかもしれません。



京都を追われ、逆賊として各地を転戦するようになってからの歳三について、函館戦争まで付き従った新撰組隊士の中島登は、

「温和で、母のように慕われてた」と語っている。

部下達に自ら酒を馳走したというエピソードも残っています。

また京都にいた頃はほとんど笑わなかったそうですが、函館の頃になると笑顔もよく見せるようになったそうです。

この頃になると隊士を縛る必要もなくなって、やっと元来の自分らしさを出すことが出来るようになったのではないかと推測できます。



歳三が鬼を演じた理由。

それは義兄弟の近藤勇の信念や行動を遂行する際の危地を補佐するため。

新撰組では隊士の不満を一手に受け、組織の瓦解を防いでいた。

だが近藤の死後は、もう鬼を演じる必要がなくなったのだ。

そして幕府がもはや敗北が必至であることからの諦めの念があるのだろう。



歳三が函館戦争の時に言っていた言葉にこんなものがある。

「このまま敵に投降したらば、地下の近藤に顔向けが出来ない。」

つまり、近藤への義を通すことこそ、歳三の生き方なのである。

しびれる!




そして鬼の副長なんて呼ばれている反面、俳句が趣味という繊細な一面を持っていた歳三。

現在も彼の残した俳句がたくさん残っているのですが、これがまた結構おもしろいんですよ。



たとえば、

 「うぐいすや はたきのおとも ついやめる」

 「梅の花 一輪咲いても 梅は梅」


なんて按配で、正直素人目から見ても、お世辞にも上手くないのが非常にほほえましい。

鬼の副長とまで言われてる人が、実は俳句なんて繊細なものが好きでしかもヘタ・・・なんとも人間らしさを感じるじゃないか。

しかも、何気に恋の歌も詠んでるし。

 「知れば迷ひ 知らねば迷わぬ 恋の道」

ってさ。

そういえば、歳三にはこんな恋愛話が。



下の写真を見るとわかると思いますが、歳三は今の美的感覚から見ても非常に男前です。

土方義豊


当時も京都では芸妓さんに非常にモテたらしく、ラブレターをよくもらっていたそうです。

故郷への手紙に、

「京都では自分はこんなにもモテているぞ!」

という手紙とともに、もらったラブレターを大量に同封していた、なんてエピソードも。

ああもう、義に殉じたカッコイイ男なのに、なんてかわいい一面を持っているのだ。

そこにしびれる、あこがれる!


組織のため、義兄弟の近藤勇のために、涙して鬼を演じた男、死に急ぐように駆け抜けた35年の人生。

及ばずながら、土方歳三のような男に少しでも近づきたいと思う俗物であった。



あ~長い、やっぱ誰も読まねーんだろうね。

しかもまだまだ語りつくせない、表現しきれない。

自分の文才の無さに心底ウンザリだ。