とにかくだるい事を強いられた、2月8日はそんな日だった。





俗物は現在大学4回生、卒論に追われる日々を送っていました。

卒論の最終提出は2月9日。

提出直前の数日間は家に引きこもって卒論の執筆に没頭していたかった。



ところが、そうは問屋が卸さなかった・・・

なぜか8日は、嵐山で夜警をするハメになったのです。

しかも報酬は無し、つまりボランティーアだったわけですよ、ダンナ!?

この時間が惜しい時期に、ボランティアで夕方6時から朝の6時半までの半日、一銭にもならぬことを強いられました。

これはレンブラントもびっくりの夜警体験記です。

そもそも、なんでこんなことになったかについて。

ボクの父は京都に本山を構える、とある仏教の宗派(以後、N宗)に傾倒しています。

ボクも9歳のときにその宗派に半ば強制的に入信させられて以来、毎年正月には京都の本山に初詣に連れて行かれてました。


そんなN宗には、青年部というものがあります。

N宗の者は18歳になると自動的に青年部の所属となり、N宗の運営のお手伝いをしなければなりません。

一応参加は任意なんですが、高校卒業以来、N宗の青年部の人々の勧誘はしつこかった・・・

定期的に電話してくるし、わざわざ実家に説得にきたこともありました。

この上なくうっとうしかったです。

できることなら、N宗からは一生縁遠いところにいたかった。

いたかったのに・・・なぜかその日ボクはN宗のために夜警をしていた。

何故でしょう?

一つに、親からの要望だったからです。

本山がある京都に住んでいるのに、全く青年部の活動に出ない息子のせいで、肩身が狭い思いをしているそうです。

ボクには2つ上の兄がいますが、兄もまた青年部の活動には全く参加していなかったのです。

「兄弟揃って参加しないなんて!」てなことまで言われました。


はあ・・・まぁこちとら養っていただいている身ですからねぇ。

今こうしてハナクソ以下のブログを書いていられるのも両親がいるおかげです。

行けといわれりゃ、行かねばなりますまい?

しゃあなしに、結局一度も参加しなかった兄の尻拭いの意味も含めて、嫌々ではありますが夜警に行ってきましたよ。

せっかく親がボクにお願いしてきているのを、無下に断るのも心苦しかったんで。

これでは俗物の「咆哮」では無く、俗物の「奉公」である。

「おっかさんの為ならエンヤ~コラ~ドッコイショ♪」

でも・・・

卒論提出前日という、お金で買えない価値がある、プライスレスな時間が・・・



だいたい、ボクはN宗の教えに納得できない節がある。

お経読み、ブッダを信じることで極楽浄土にいける。なんていう教えには承服しかねる。


ボクは以前、仏教の世界観という授業を大学で受講したことがあります。

その授業で、人間としてのブッダや仏教の教えについて学んだ。

成る程、三大宗教の一つだけあってその教えは素晴らしいものがあると、素直に驚いた。

哲学という観点で言えば、おそらくは世界有数であるといっても過言でないと思う。

しかし、N宗はどう考えてもブッダの教えを捻じ曲げていると思ってしまうんですよ。

ブッダを信仰の対象として偶像崇拝するという大乗仏教的な教えが、現在の仏教の大多数であり、N宗もまたその例に漏れません。

でもブッダはこう言っています。

「自らを灯(ともしび)とせよ、法を灯とせよ。」と。

つまり「ブッダを信仰するのではなく、自分で考えろ、真理や因果の法をたよりにしなさい。」と言っているのです。

それがやがて時が流れ大乗仏教が生まれ、その教えの容易さから支持されるようになり、元来ブッダの教えを守っていたはずの上座部仏教はどんどん下火になっていきました。

ブッダの教えを忠実に守ろうとしたものが数的弱者になり、ブッダの本来の教えの含有率の低い大乗仏教が支持をうける・・・これが現実なのでしょうか。


話がずれて来ましたね。ズラのズレを直して、夜警の話です。

8日は午後5時に嵐山で福井から上洛する青年部のメンバーと待ち合わせという算段になっていました。

普段なら、嵐山までなら普通にチャリで行きますが、ダルイので電車で行くことにしました。

京福電車に初めて乗ったのですが、かなりレトロですよね、アレ。

ワンマンだし、おっそいし、自動改札じゃないし・・・

なんだか地元の駅を思い出しましたよ、実際地元に「京福電車」ってあったし。(今はもうありませんが。)

んで嵐山の本山で夜警をしてきましたよ。

夜警とはいっても、近隣を懐中電灯をもって歩き回るのではなく、入り口の受付みたいな部屋でモニターの監視が主でした。

メンバーはボクを入れて3人、全員福井人でした。

どうやらこの夜警、エリアごとに持ち回りの模様です。

「夜中は交代で2時間づつ仮眠をとり常時二人は起きているという手法で。」

と、夜警のリーダーの青年部の方はいうてはりました。

そんなリーダーは12時に寝て、6時まで眠っていました。

あんたやる気あるんか!?

そのおかげで、ボクともう一人はずっと起きていなけりゃならない状況になってしまいましたよ。

もう一人も結局4時頃には眠ってしまいましたが。

結局、ボクだけが一睡もせずに夜警をするハメになりました。

全く、どいつもこいつも使えないヤロウ共だぜ。

あまりにも暇すぎたので、卒論の資料を薄明かりのなかで読み耽ってました。


雪が降ったりやんだりを繰り返しながら時は過ぎ、長かった夜は明けていきました。

ようやくにして御役御免、まったく時間と労力の無駄だったぜ。

そして徹夜で疲弊した状態で帰宅、疲れた体に鞭を打ち卒論を書きました。

辛かった、だけど結局ギリギリまで卒論を放置プレイしていた自分が悪いんです。

そうです、悪いのは全部自分なのです。

恨み辛みは自分の心におし留めます、誰にも文句は言いません。

そしてそのストレスでボクはハゲていくのでしょう。


うん、泣ける。

2月8日はそんな日であった。