今日は、「水谷孝のブログ「つれづれなるままに~直感面白人生日記」という大好きなブログ(アメブロです)が更新されていまして。
ずいぶん前によしもとばななさんがレコメンドされていて知ったのですが、本当にこの水谷さんという方が素敵で、またまたすばらしい記述にハッとさせられたのでした。
今、うちは兄弟2人が2人して不登校。
次男中2はまだ義務教育だし、公立なのでさほど懐も痛みません!が、頭が痛いのが長男(まさに長男は頭痛がひどくて朝、起きられていない…)。
私立だし、義務教育でもないので、下手するとお金だけ払って留年、あるいは退学という道をほんの1歩ですが、、、歩み出しているところなのです。
なので、ここのところ、私もずっと欝々という気持ちが続き、晴れ晴れしても数時間。またすぐ左脳さんの思考に巻き込まれてしまいます。
まぁ、こんな中でも右脳優位になったら、私も右脳人生が送れるようになるはずなので、そのための試練というか、練習なのかなぁと思ってみたり。
とはいえ、そうはいっても、、、の繰り返しなわけです。
そんな気持ちの中、いつもの水谷さんのブログを読んで、「やっぱりこの今の問題は自分の何かを反映し、私が望んでいる(表面では一ミリもそんなことを望んでませんが!!!)のかなぁと思ったのでした。
私がそう感じたところを少し抜粋します。前後の話の意味が不明だろうけど、気になった人は水谷さんのブログを読んでください。
「・・・・
しかし実際には、神様がO氏をホテルの総支配人にしたくなかったに違いないと思いました。
なせ、そう思ったのかと言いますと、もしもO氏が誠実な人だったなら、おそらく神様は、O氏に1ヶ月と10日より以前(つまり僕が「稲○会・山○一家」を追い出す前)に応募させ、そして僕にO氏を採用させ、採用後にO氏にクーデターを起こさせ、そして社長にO氏を総支配人として選ばせ、その結果、僕はこのホテルから追放される、というストーリーを描いていたような気がしたのです。」
つまり、やっぱり神様(といっても、いわゆる宗教的な神というより、自分の中の神様というか、大きな源というか)は全てのできごとのタイミングを見計らって、采配して、今のできごとに導いているんだなぁということを思ったのでした。
なので、やっぱりこの目の前の現実に右往左往しないで、できるだけ軸をぶれないようにして、この現実にどう対処するかだけを考えて、やっていくしかない、感情に振り回されている場合ではないと(今日のこの瞬間は)思ったのでした。