超絶テクニックだからギターが上手いのか? ギターが上手い人とは。 | アル ディ ミウラ のギターはやっぱり面白い!

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音楽、ギターに関する事(お笑いを含む)を書いていきます。

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みなさん、ご無沙汰しております。

久しぶりの更新ですね(笑)

 

さて、今回はレッスン終わりによく生徒と話をする ”ギターが上手い” ということについて僕の持論を少し話してみます。

 

ギターが上手いとは

指がよく動いてどんな難解なフレーズや速いフレーズでも弾きこなせる人? 鉄壁のリズム感を持ってる人? それとも楽典を熟知して理論や譜面に強い人?

 

もちろん上記もギターを弾くうえでは大切なことかもね、上達するにつれて技術や知識は演奏に必要になってくるものだからね。

 

でも僕が思うに本当に ”ギターが上手い” っていうのは弾きたい曲(音楽)を(自分の感性で)表現出来る人だと思うよ。

 

いくら超絶テクニックを駆使して演奏しても楽曲は二の次でテクニックだけを見せるような演奏は飽きてしまうからね。

 

演奏テクニックはギターを弾く人にとっては憧れだし必要だよね。 でもその身につけたテクニックは単にフレーズを弾くためだけじゃなくて音楽を表現するためのテクニックだということを忘れてはいけないんだよ。

 

それに派手なテクニックに驚くのは(それが出来ない)ギターを弾く人だけ。 ギターを弾かない人にはどんな特殊奏法も、速く弾いても、ギターを叩いても関係ないからね(笑) ”常に楽曲ありき”だよ。

 

自分が表現したい音楽を表現するために必要なテクニックを練習する。

「ここは速いフレーズでスピード感を!」 と思うなら速く弾けるように練習しないといけないし

「ここはキレッキレのカッティングで!」 と思えばカッティングの練習。

「ここは浮遊感が欲しいな、タッピングで表現しよう!」 と思えばタッピングをマスターしないと」ダメだし

「ビート感が欲しいからここはボディヒッティングで!」 しかりね。

 

そのためのテクニック。

自分の感性を表現したいからその表現に必要なテクニックを習得する。そのためにみんな頑張って練習するんだよ。

 

でもねテクニックの習得は諸刃の剣みたいなとこもあって、テクニックが身について上手くなればなるほど今度はそのテクニックを見せたいって思い始めるんだよね(笑) 

そうなればもう ”音楽表現のためのテクニック” じゃなくて ”テクニックのためのテクニック” 

 

「俺はこんなことが出来るんだ! 凄いだろ!」

 

っていう演奏はぜんぜん音楽的じゃないでしょ(笑)

 

本当に上手い人はそんな超絶なことしなくても、例えばコードひとつを普通に「ジャラ~ン」と弾いても上手いもんなんだよ。

 

なぜならそれはコードをひとつ鳴らすだけでも ”自分のイメージする音” を出すから。 コードを弾くっていうテクニックを披露しようとするのではなくて常に "こういう音を出したい” ってイメージを持ってギターを弾いてるんだね。

 

「ギターは音(楽曲)にイメージを持って弾く。ただ単に音を出しても音楽にはならない」

 

ということで先日のギターレッスンで生徒と一緒にデパペペの”風見鶏”という曲を演奏してみました。

レッスンの課題は 「メロディーを歌わせる」 そして 「ギターソロをアドリブで弾く」 というもの。

 

シンプルなメロディーをいかに自分の感情を込めて弾くか、この生徒さんも最初はメロディー弾きは一本調子な感じだったのがみるみる上達! ダイナミクスを考えて自分のアプローチで弾いてくれてます。

 

本当はYouTubeでフルサイズで公開したいぐらいの演奏なんだけど彼女の「まだまだ(アドリブに?)納得がいかない!」という意思を尊重してソロ前までのダイジェストをツイッターに公開したのを貼っておきます。

僕はこの演奏好きですよ。

 

(加筆) 演奏の続きもアップしました!

 

 

 

P.S

そうそう超絶テクニックのギタリストで本当にうまい人は(他人から見た)その超絶なテクニックはすで当たり前のテクニックなんだろうね。

つまり普通の人がコードをひとつ弾くのと同じ感覚のレベルでその超絶技巧で演奏しているんだと思うよ。

だからそういうギタリストの演奏は聴いていてもテクニックを感じさせない、純粋に音楽としての楽しさや感動を与えてくれるんだよね。

(で、自分でも弾いてみようとすると笑ってしまうぐらいにムズい! まあこの域までになるのは大変なんだろうけどね 笑)

 

では、また!