「この御社を囲む森一体を、ここらの年寄りは『永森』という」
ゆっくりと戻り橋へと続く一本道を歩みながら。
あの時、拙い語彙で誤解をもって初子に伝えた事柄を、久弥は笹塚に正しく語り始めた。
──それがいつからかは、僕も知らない。
知っているのは、僕の家が『御社』から郷を守る者であったということ。
どうやら僕の家系は、そういうものたちを感じられないらしくてね。
逆に彼等も、僕を引き寄せること……僕が在る処には寄りつけないらしいんだ。
まぁ、僕だけでなく、郷の者全てに寄りつけなくするのには、それなりの儀式があるとかで、僕の両親たちはそれを『お披露目』と呼んでいた。
だけど、あの老人が云ったように、黄昏時や彼は誰時は危険なんだ。
ああいった曖昧な時刻は、普段は御社と永森に封じられている彼等も、それに紛れて戻り橋の方まで降りてくる……そして彼等が一旦踏み込んだ戻り橋は、そのまま彼等の世界へと続く橋になってしまうんだ。
だから、言い伝えを知っている大人たちはそういう時刻に御社へは来ない。
それどころか戻り橋にも近づかないかな。万が一、見えてしまったら怖いから。
彼等と視線を交わしたら、彼等との繋がりができてしまうんだ。
彼等はそれを知っている。知っているから、視線を合わせれば追ってくる。
そしてあの時も、そうだったんだ。
久弥は一旦、話を切った。
淡々と紡いでいた言葉にどこまで緊張していたのか、こめかみの辺りを汗が伝い落ちる。
黙って聞いていた笹塚は、そこでちらりと視線を斜に流した。
だが視線の先。
同じように黙って聞いていた初子からは、何の感情もうかがえなかった。
「それで、初子さんを御社に連れて行ったその時、一体何があったんだ」
「──振り返ってしまったんだよ」
自分がいるから平気だと思っていた。
漏れ聞いた話は勿論完全ではなかったけれど、それでも自分やその周りの人間に、物の怪たちが害を及ぼすことは絶対に出来ないと──僕は思いこんでいた。
だから、怯えて帰ろうという彼女を強引に誘って、僕はあの時怖いもの見たさの肝試し気分で御社へと足を向けたんだ。
そして……。
「僕は、跡継ぎではあったけれど、まだお披露目はしていなかった」
「ということは」
「僕には見えない。だけど、それはただそれだけの話で、周囲に影響を及ぼせる程ではなかったんだよ……そして立ち聞いただけの僕は、そのことを知らなかった」
「ぢゃあ初子さんは──」
「子供はなんの気配にも敏感だ。何も感じない僕とは対称に、彼等の気配を敏感に感じて」
──そして、自分と彼等の違いも分からなかった。
それでも、怖いものである──ということだけは分かったらしく、それは酷い怯えようで、僕は彼女の手を引いて、御社を後にして戻り橋まで引き返してきたんだ。
その頃になって、僕も何だか無性に怖くなってきてね。
手を繋いで歩いているのに、後ろをついてくる彼女の方を見もせず、ひたすらに前を見つめて黙々と橋までの道を急いだんだ。
……で、橋に片足をかけたところで、彼女が泣いてないか気になって振り返った。
「彼女の後ろには、得体の知れないものが蠢いていたよ」
一見して完全な人に見える姿は少なく、手足のない者、顔のない者、そしてどうみても人でもない者……。
「それは僕にはとてつもなく怖かった。見える筈のない者が見えたんだからね。後でこっそりと家人に訊いたところ、戻り橋の上にいる時は、守り人だろうと誰であろうと、見えるとのことだった」
異境に繋がる橋でもあるからだそうだけど。
「それで、それから君はどうしたんだ」
「僕は、自分の目を疑ったよ」
そして、悪夢でも見てるんじゃないかと思って、橋の上から川面を覗き込んだんだ。
たしか君に、以前ここの言い伝えの全文を話したことがあったね。
まさにあれだよ。
僕はその時、そこまで覚えて射られる程の大人ではなかったけれど、無意識にそれを行なったんだ……だから見失うことはなかった。
だけど初ちゃんは──。