「ふん、どうにか間に合ったみたいだな」
何処にいても変化のない男の態度は、曰く付きの場所でも変わらなかった。
「初めて来たが、薄暗い処だな……まあ時間も時間だが」などと、場にそぐわぬことをいう。
「当たり前じゃないか、一体何時だと思ってるんだい、君は」
久弥の肩から力が抜けた。
初子がいることも忘れ、思わずいつもの調子で溜息を落とす。
落とした拍子に睨めつけられた。
「それはこっちが云いたいが」
変わりない──ように一見見えた笹塚は、よくよく見ると寝間着に突っかけが片方のみ。
友の常にない慌てように、久弥はようやく状況を思い返した。
「どうしてここが……」
相手の反応に、男は渋面を作り、不満げに鼻を鳴らした。
「分かったのかって?寝る前に俺は、誰と何の話をしていたんだ?日暮れ前、君に付き合って此辺へ来たのは誰だ?少し考えれば分かるのは自明の理だろうが、莫迦が」
平生、健康的な生活──早寝早起き──を自負している笹塚は、当然のことながら不機嫌全開だった。
寝ている間に、精神不安定の友人が所在不明になっていたのでは、無理もない。
「何を考えているんだ、貴様は」
「君から絶縁されるようなこと……なんだろうね」
うっそりと久弥は笑った。
この直情径行で正義漢の、愛すべき性根の持ち主である友人には、自分の気持ちは分からないだろう。
「大体、何をそんなに依怙地になることがあるんだ」
「君には分からないさ」
「確かにそうだろうな」
久弥の投げた売り言葉は、呆気なく買わされた。
「俺には兄弟もない、姉妹もない。年の離れた従姉妹も、手のかかる幼馴染みもない」
そんな己に、君の複雑な心中なぞ測れる訳もない。
まるで捨て台詞のような台詞を、笹塚はどこか痛ましげな表情で口にした。
「俺にいるのは世話の焼ける知己だけだ。それで充分だとも思っているが、その友人は今、こともあろうに自分を殺そうとしている」
「そんなことは」
「ないとは言わせないぞ。それなら今この時期、こんな処にいる君はなんなんだ」
戻り橋の言い伝えは嘘でないと、人に話したのは誰なんだ。
自他共に認める現実主義で、言い伝えなど微塵も信じてはいない癖に、そんなことを云う友人が、痛いほどに自分を心配してくれていることは分かっている。
けれど、過去を──先刻の初子との会話で思い出してしまった久弥には、それにかこつけて己一人だけで、全てを無かったものにすることはできなかった。
「責任があるのだよ、僕には……守り人としての」
「守り人、って何のだ」
笹塚は久弥が思い出した過去を知らない。
訝しげに反問した。
「まぁ道々教えるから……とりあえず、引き返そうぢゃないか」
やけに冷静に先導し始めた久弥と、何も云わずその後に続いた初子に胡乱なものを覚えつつ、異議もない笹塚も、後に続いた。