「もう梅雨も明けるね」
やわらかな風が、遊ぶように二人の間をすり抜けていった。
さらりと髪を掻き上げる菜穂(なほ)の仕草に、結(ゆい)は眩しそうに目を細めた。
これからくる夏期休暇が終われば、待っているのはせわしない、受験から卒業へと向かう一途だけ。
本来なら、これ程のんびりと構えていてはいけないのだろうが、何故か急ぐ気にはなれなかった。
「それで、今年は何をしようか?」
初めて出逢った夏から、ずっと続いている会話。
毎年、夏休み中に誕生日を迎える結の為に、この地区で行われる花火大会までの、二週間ほどの休みを二人で遊ぶことは、互いの間での約束事になっていた。
だから、返ってくる言葉もいつも同じ。
そんな風に、ずっと時は緩やかに流れていくのだと、漠然と結は思っていた。
「あのね、結」
けれどこの時、答えを待つ結に向けられた菜穂の視線は、微かな躊躇いを含んでいた。
「今年は――」
「随分と余裕のある会話をしてるよな」
唐突に話に割り込んできた無神経な声の主を、結はきっと睨めつける。
「あんたに関係ないでしょ、友成」
素っ気ない結の台詞を気にする様子もなく、友成(ともなり)と呼ばれた少年は、のほほんと言を継ぐ。
「柴垣(しばがき)はいいけどさぁ……柏森(かやもり)、お前は遊んでる暇なんてないんじゃないの?」
「失礼ねぇ、年がら年中赤点すれすれの自分と一緒にしないでよ!」
「あれ、違ったっけ?」
「当たり前でしょ!そりゃ菜穂ほどよくはないかも知れないけど、あんたよりはよっぽどマシだわ」
「……相変わらず仲がいいのね、二人とも」
くすくすと菜穂が微笑う。
「誰がっ」
「そうだ!こんな奴とより、俺はずっとずーっと柴垣と仲良くしたいぞ」
「どさくさに紛れて何言ってるのよ、あんたはっ!」
即座に否定するところから、掛け合い漫才まで発展してゆく二人を前に、くすくすと笑い続ける菜穂――結にとって、それはごく当たり前の光景だった。
斜向かいの住人である友成は、いわゆる『幼馴染み』というもので、性別の違いを意識させない貴重な友人でもあった。
そして菜穂――柴垣菜穂は、柏森結にとって誰よりも近しい友人だった。
「仲いいのはお前らの方だろうが」
呆れたように友成が言う。
「始終べったりくっついてばかりだし、幾らなんでもちょっと仲良すぎじゃないのか?」
「別に。普通じゃない、このくらい……ねぇ?」
首を傾げて同意を求めると、すかさず菜穂も肯く。
「普通ねぇ……でもお前ら二人って、並んでいても違和感ないんだよな」
昔からそうだけど、柏森って全然女っぽくないじゃん。
言って、友成は含みありげな視線を結に送った。
「うん、結はカッコイイよね」
友成の台詞を、まるで深読みせずに相槌を打つ菜穂。
同時に自分へと向けられた、無邪気な瞳に曖昧な笑みを返しつつ、結は横目でそっと窓に映る自分を見やる。
少女というには、柔らかみに欠けた体型――甘さのない顔立ちも、同姓に騒がれるにはうってつけの外見ではあるが、女らしさという点においては、確かに確実に説得力に欠けていた。
(好意を向けられるのは、確かに嬉しいんだけど)
自分の傍にキャアキャアと寄ってくる女の子たちを、邪険にならない程度に相手をする度、何かが違うといつも思う。
(せめて、菜穂くらい女の子っぽかったらな……)
見た目より何より、彼女は仕草が少女らしいと思う。
自分には、逆立ちしたって真似できない。
結の胸中に、ちりりとした何かが走る。
「でも、同性にモテるだけってのも虚しいねぇ」
「同性にすらモテないあんたよりマシでしょ」
にやにやと笑いながら、憎たらしいことを言ってのける友成の頭を小突いて、結は二人に聞こえないよう、そっと吐息を漏らした。
別にカッコイイと言われることが綺麗な訳ではない。
むしろ、生まれてくる性別を間違えたんじゃないかと、自分でも時折思うほどだが――。
「それで、菜穂……結局この夏はどうしようって話してたんだっけ?」
苛立つことばかり口にする友成を無視して、結は半ば無理やり話を戻したのだが。
「……菜穂?」
打てば響くように戻ってくるとばかり思っていた、菜穂からの答えがないのが気になって、結は思わず目を向けた。 視線の先には、困ったように微笑む菜穂の姿。
(何だろう、この感覚)
妙な胸騒ぎがする――漠然と沸き起こる、いやな予感。
外れて欲しいと願う結の思いも虚しく、菜穂は相変わらずの柔らかな細い声で、しかしはっきりと告げた。
「ごめんなさい、結。今年はもう予定があるの」
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