昼間にのぞいていた青空はどこへやら。

 全ての授業を終える頃には、雨が既にしっかりと降り出していた。

 身体にまとわりつくような湿気のせいだろうか、制服までもがべたついているような感覚。


「嫌だな……気分まで重くなっちゃう」


 呟いて溜め息をついたものの、結は自分の憂うつ感が、梅雨の所為ではないと分かっていた。


「まあ、仕方ないことなんだろうけど……」


 初めて言葉を交わした日を、今でも覚えている。

 この高校に入学して、同じクラスになった時から目を惹いていた存在。

 初めての席替えで、偶然隣になってからというもの、一緒にいない時間の方が少ないくらいだった。


「でも、一緒にいたいからってだけで、幾らなんてもこれからの進路までは決められないもんなぁ……」


 中学の時とは違うのだ。

 自分の一生を左右することになるかも知れないこの進路選択は、そうそう適当には出来ないと思う。

 それ以前に、結と最近の菜穂の成績とでは、選択の幅が全く違うのだった。


「それでも、もっと前に言ってくれてたらな」


 頭の中で、先刻の菜穂の台詞がよみがえる。


『予備校のね、夏期講座に申し込んじゃったのよ』


 菜穂の志望する大学の学部は、倍率が高いことで有名だった。

 今回、菜穂が毎年の予定を崩してまで、予備校の夏期講習を受けようと考えたのは、どうやらその為らしい。

 ――でも、それにしたって。


「誘ってくれたってよかったのに……」

「じゃ、一緒に帰るか?」


 唐突に脇から上がった声に驚いて振り返ると、そこには友成が立っていた。


「なんだ、あんたなの。驚かせないでよね」


 驚いちゃったりして、バカみたい。

 言いながら視線を窓の外に戻すと、横から不満げな声があがった。


「……誘ってくれとかなんとかって、ボソボソ呟いてたから、声かけただけじゃねぇかよ」

「別に友成に言ったんじゃないもの」


 いつもの調子で返したが、何故か打てば響くような反応がない。


(何かあったのかな)


 流石に気になり始めた結が、ようやく顔を向けてみると、そこには複雑な表情で黙り込んだ友成の姿があった。


「どうかしたの、いきなり黙って」

「態度が違うよな……ホント」

「そんなの、当たり前じゃない」


 含みあり気に呟かれた、友成の言葉の意味は明白で。


「菜穂は、特別なんだもの」


 即答すると、友成は苦いものでも噛んだように、僅かに眉をしかめた。


「お前さ……柴垣と自分が違う人間だってこと、ちゃんと分かってる?」

「いきなり何言い出すのよ。そんなの当たり前でしょ」


 真剣な顔を向けてくる友成に対して、何を馬鹿なことを訊いてくるんだと、結は思う。

 菜穂と自分が違うだなんて、そんなことは当たり前ではないか。


(どんなに頑張ったって、私は菜穂みたい可愛くはなれないもの)


 軽く唇を噛んだ結に、言葉を重ねる友成。


「いや、俺が言うのはさ――あいまりアイツを理想化するな、ってこと。され過ぎると疲れるだろ、何事も」

「理想化なんて……」


 してるのだろうか?

 確かに、彼女を羨ましいと思うことは多いけれど、それを『理想化』と呼ぶのは、何か違う気がする。

 特別視している、という意識は結にもある。


(けど、誰だって大切な友達のことなら、特別に思うだろうし――思ったっておかしくないし)


 軽い沈黙が二人の間に降りた。

 普段喋りすぎるくらいの友成が何も言わないからだろうか。

 その空気がいつものように、一緒にいて心地よいそれでないことだけは確かだった。


 こんな時、幼馴染みというのは厄介だとふと思う。

 なまじ過ごしてきた時間が長いだけに、時として自分でも気づいてなかった感情に気づかれたり、こうやって不意に痛いところをつかれたりする。


(この空気――どうしよう)


 気まずいと思いつつも、それを解消する術を思いつかない。


「仮にそうだとしても」


 だから結局、切り捨てるように言った。


「友成には関係ないじゃない」

「ま……そうだな」


 一拍おいて、感情のこもらない声が返ってきた。

 視線を逸らしてしまっていたから、相手の表情は分からなかった。

 けれど、それまで思ってもいなかったことを、売り言葉に買い言葉的な状態で口にしてしまった自分が、強烈な自己嫌悪に襲われたことだけは確かだった。





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