平生帰りの遅い夫は、帰宅後一人でお夕飯を食べる。

 お夕飯というより、お夜食となるだろう時間帯に。


 結婚した当初、上の子が乳幼児の頃はまだ、帰宅を待って必ず一緒に食べていた。

 そうしなくなったのは、上の子が離乳食から卒業し、大人と同じものを食べられるようになったからだ。


 下の子もとうに離乳食を卒業した今。

 自分はお相伴程度にして、子供たちだけでお夕飯を先に済ませてしまえば、以前のように夫と共に食べることが出来なくはないのだが、翌朝のお弁当を作る時間等を考えると、やはり深夜のお食事にはとても付き合えず、我が家では週一日あるノー残業デイだけが、平日家族で食卓を囲む日となっている。


 そんな食卓事情だが。

 一人で食べてもらうことになってから、しばしば「あと一口」が気になるようになった。

 お皿に残された「あと一口」は、ラップをかけられ冷蔵庫に入れられている時もあるのだが、時たまそのまま放置されていたりして、ものによっては傷んでいる可能性も怖く、結局「ごめんなさい」をすることになる。


 家庭の主婦が太る理由の一つに、この「あと一口」を自分のお腹へ片付けてしまうことがあるそうだ。

 確かに、たった一口とはいえ「パパのあと一口」「子供のあと一口」(家庭によってはこの子供のは、あと二、三人分増える)と、自分の口へ片付けていけば、確かに増えても仕方がないと思う。


 そんなものは初めから作る量を調整したらいいのでは、と思うだろうが、これが難問で。

 私の父は、品数が少ないと注文をつけるような時でも、何故か「あと一口」が残されていた。

 気分の問題なのだろうか。


 夫は、翌朝の食卓に出してもいいように、量を調整して残しておいてくれる(疲れていて、食べかけをそのまま放置されている場合はさておいて。多い場合はあらかじめ別のお皿に取り分けてくれるのは、本当にありがたい)のだが、父は本当に「これっぽっちをどうして残すの?」と思わず言いたくなるような、本当に"箸でひとつまみ"の量を残すことで、よく母が文句を言っていた。

 確かに、そんな僅かな量では、ラップをかけたりするよりも、ひょいと口に放り込んだ方が早い。


 母がちょっとした病気で入院した時、炊事をしていたのは私だったのだが、胃の弱い(何かがあると真っ先に不調がくる)私には、その父の残した「一口」が入らず、よく父に「その一口食べてしまって」と無理やり食べさせていた。流石に文句も言わずに食べていた父だが、母が戻った途端「あと一口」は復活した。


 ところで今、私にはその「あと一口」よりも頭を悩ませていることがある。


 すっかり大人と同じメニューが食べられるようになった、下の子の「あと何口?」だ。

 手をつけられず、綺麗に残されていれば何も困ることのないそれは、彼の手でかならず何かしらの加工を受けていて、残しておくのも悩んでしまうのだが、食べてしまうのも躊躇うといった代物で、例えば指で丹念に穴をあけられた食パン(この程度はまだ序の序の口)だったり、その日のおかずが全て少しずつ乗せられた(お茶まで!)たった一口のご飯だったり.……。


 自分のご飯をその分減らせば、軽く食べられる量ではあるのだけれど、そうした時に限ってペロッと平らげてくれることがあるから侮れず、結局毎食後「……これはどうしようかな、ごめんなさいかな。こっちはいけるかな」といちいち悩む羽目になる。


 もう少ししたら、きっとこの悩みは解消されるのだろうけれど、その頃には「あと一口」の三人分が待っているのではなかろうかと、今から戦々恐々としている。