アネモネです。




慶應通信時代のテキスト、
絶賛整理中❗




(実際のものです)






(実際のものです)





私「よく、11年半伴走してくれたなあ。(感涙)」





この中のどれぐらいが脳内に残っているかは知らないが。
乗り越えて来たことは事実だ。




そして。










この論文も、当分は開くことはないだろう。
書棚の隅にしまうことにした。
まさか次に開くのがこのブログを書く時だったとは、当時の私は知るよしもない。




最後にペラペラ捲ってみた。
1年間ずっと一緒にいた四人の女性教育者達が、そこにいた。




私「一年間、どうもありがとうございました❗」






三輪田眞佐子「アネモネ殿、わたくしどもの時代は学派が違うだけで、
学んではいけない分野がありました。
そなたの時代は何を学んでも自由。
だからこれからも興味の赴くままに学んでくだされ。」




私「はい! 少し休んだらまた、何かを学びたいと思います。」










棚橋絢子「わたくし達は、おなごが学問なんて
それは許されたものではございませんでした。
いつも人目を忍びました。
平成の世は学べる環境が、まさに"平らに成"ったのですね。
昼間も、外でも、堂々と胸を張り、学んでくだされね。」





私「ありがとうございます。
恵まれた環境をありがたく思い、学びたいと思います。」








津田梅子「マダムアネモネ、ふふ、私もパリに旅行したことあるのよ。
パリは本当に楽しかったわ🎵




私「梅子さんもパリに!!」





津田梅子「アネモネさんの時代は海外に気軽に行ける時代とはいえ、
長期留学できた人はまだまだ少ないはず。
海外で得たものをちゃんと、日本に還元できてる?
学問だけではないの。生活、文化、考え方、
あなたが感じたものをあなたのやり方で日本に伝えて行ってね。」





私「仰る通りです。私はいまだに、どうやって日本に伝えていくか
試行錯誤しています。
慶應を卒業できたら、もう少ししっかり考えて見ますね。」





津田梅子「あとひとつだけ、
たとえ語学コンプレックスがあっても、
堂々と!!していてね(笑)。」



私「(笑)(笑)(笑)。」




私と梅子さんの暗号だ。











下田歌子「…………………。」



下田歌子さんは、ニコニコと笑って、
この歌を詠んでくれた。



常磐の松の 下かげに

 開くをしへ(教え)の には(庭)桜

 君がめぐみの 露浴びて

 にほへ(匂え) やしま(八島=日本)の外までも




下田歌子「あなたもこの歌をご存知でございましょう?」





私「……はい。」





下田歌子「私はね。ここで学んだ生徒達は皆私の子供のようにかわいくてかわいくてねえ。
だから、ここで学んで、そのあとはどんどん外に飛び出して行って欲しいのよ。
その意味を籠めてこの歌を作り校歌にしたのよ。」





私「…………………。」






下田歌子「すごい人間に成るには、女でもなれます。
肩肘を張らずに進んで行くと、様々な出会いを貴女にもたらしてくれますよ。
どんどん新しい世界を見て、そしてたまにはお顔を見せてね。」





私「先生…………今まで、すみませんでした。」





私は涙が止まらなかった。





現役時代、
滑り止めの滑り止めの滑り止めで進学した女子大を、
ずっと好きになれなかった。
葬り去りたい過去、とまで思っていた。




でも、
この論文を書き終えた今、
その気持ちは消えていた。
やっと、過去の自分と向き合うことができたのだ。





下田歌子「あらあら、泣かないの。
あなたもいつまでも、私のかわいい子供よ。」




私「ありがとうございますえーん








私が慶應通信で得たもの。



学力、

知識、

度胸、

打たれ強さ、

学友、



そして



過去の自分を乗り越える力。