今、振り返っても、なぜ、当初は、断酒できなかったのか。

 はっきりとした事は判らない。

 でも、所詮病気なのだったからとかは、思いたくない。

 今でも、酒を断つ事にどんな意味があるのだろうと、ふと考えることがある。

  ただ、いつも考えることは、断酒をする為にカウントアップをしているだから、ちょっとでも飲んで逆戻りしたら積み上げてきた数年の日々の記録も、すべて無駄になる。だから、絶対に飲まないと・・・。

 そして、生きてゆく限り、常に飲酒への誘いが、付きまとう。そして、それは必ず、飲酒は良い事だと肯定とする心情を発生させる。

 だから、苦しい事、苛立つ事など、飲酒しても構わないのではないかと呼びかける環境が発生し始めたとき、これは、神が、試練を与えようとしている、本当に断酒しようとしているのか、そして、わざと積み重ねた時間を無駄にさせようとしているのだと思いかえ、突き放す事だけを心がけている。

 飲みたくなる心情の発生は、神が、意図的に試練を与えられておられる、そして、それは得てして根本的な決意をも覆えしかねないほど強く頻繁にやってくる。 だからこそ、強くはねつける精神力が必要だ。

 こんな風に思えるように常日頃、精神力を鍛えておかないと断酒は決して出来ないものだと自分に言い聞かせて7年続いてる・・・。

 振り返ってみると、アルコール依存症というものは、病気とはいえ、断酒には、断酒しようという本人の強い精神力は不可欠のような気がする。

 単に、依存症は病気だからなんて、思ってても決して断酒は出来ないのだろうと思う。