
こんばんは山下です。
写真は先日、新宿にて撮影。
ロードローラーを見かけて、私は歓喜した。
そして、街中で一人で叫んだ、
「ロードローラーだッ!」と。
本家はこちら。

セリフはこんな感じ。

あのストーリーの流れで、いきなりロードローラーをもってくる意外性!
荒木飛呂彦先生の天才性、ここに極まれり!
これぞアート!
これぞエンターテインメント!
型通りの創作ではなく、誰も思いつかないような「ロードローラー」を持ってきて、
…しかも、ロードローラー以外のアイテムでは、あのシーンは成り立たないのではないか?と思わせるほど、不思議に必然性があるのだ。
(その後のセリフの「ぶっつぶれよ」という、日本語としてあまり聞いたことのない命令系だが、とてつもないインパクト!素晴らしい)。

音楽にたとえれば、例えばクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」や「バイシクル・レース」とか。。。
特に「バイシクル・レース」。
普通では有り得ないフレーズが連発するので、初めて聞いた時は、「ええッ~!?う、ううッ!?」と、のけぞって驚く…、
しかし聞き終えると、妙に自然というか、必然というか、
他のフレーズでは代用きかないし、
あの珍妙なフレーズでないと、曲が成り立たないとすら感じられます。
クラシックなら、たくさん有りますが、例えばベートーヴェンの交響曲第5番「運命」とか?
そもそも冒頭の出だしが、それまでの音楽の常識には有り得ないフレーズなのだが…、
あと、第四楽章の冒頭なども、天地がひっくり返ったような意外性と驚き!
(第一楽章、第二楽章、第三楽章と続けて聞いていると、いきなり第四楽章でビックバン!という感じのインパクト)。
…でも、それでいて、非常に自然かつ必然なのだ。
あれ以外には、他の可能性は無いとすら感じられるほどに。
私にとっては、ジョジョの「ロードローラー」も、クイーンやベートーヴェンと同じような印象なのです。
あのストーリーの流れでは、通常、有り得ないアイテムの出現!
明らかに、人間の発想や常識を超えている。
でも、単にウケ狙いで奇異・奇抜なことを描いただけでもないように感じる。
ロードローラー以外では、作品が成り立たないような感じがしてしまうのが凄いと思う。
(セリフ的にも、荒木飛呂彦作品は、普通の発想・常識では有り得ないセリフ・擬音語の連発なのだが…、やはり、不思議に必然さ・説得力があると思う)。
素晴らしい。
クイーンやベートーヴェンや「ジョジョ」は、私にとって、アートや創作の何たるかを教えてくれた先達。
凝り固まった常識・形式・慣習を破壊しつつ、しかも同時に、これ以上ないほどに自然さ・必然さを兼ね備えているような感じがするのだ。
それでいて小難しくなくて、キャッチーで親しみやすいから素晴らしい。
身の程知らずかもしれないが、自分も、そういう創作をしたいものである。
Queen「Bohemian Rhapsody」
Queen「Bicycle Race」
Beethoven「Symphony No.5」
25:38あたりから、第四楽章です。
第四楽章だけを単独で聞いても名曲ですが、全曲を通して聞いた時ほどのインパクトは薄れます。
無骨で悲劇的で「初期衝動そのまま」といった感じの第一楽章の冒頭と比べると、あまりにもポジティブすぎて、逆に面食らう。
(人間味あふれる第二楽章と、不穏な第三楽章も素晴らしい)。