嫌悪の訳 | ほのサピエンス

ほのサピエンス

ちっぽけな【ただの人間】である私。

微々たる進化を綴りたいと思っています。

人を見て引っ掛かる所がある場合

それは自分の中にも同じ要素がある

という話を師匠にされたんだけど、

それは確かにあるなと思った。





そういうはっきりとした理由ではなくても

江原さんにハマっていた頃に

自分にとって必要な人が寸分の狂いもなく配置されている

という話を読んで

家族だったり身近な人を考えて

自分に何を教える人なのか

というように思った事があり

例えば元家族だった人達も

似ている要素があるなと思っていたのはあった。





先日の研修での掘り下げでも

私は血の繋がり以外信じていないというのが見つかったけど、

これは元義母と同じだし

夢見がちな所や安定よりも自分のやりたい事に目が向くのは

元夫に似ている。

悪い事は自分以外の誰かのせいにする所も

特に家族に対しては多分にあった部分だった。





同じものを見ても何も感じない人もいれば

強烈な嫌悪感を感じる人もいる。

それは対象になる相手が違うだけで

求めているものが同じだから

という師匠の説明を聞いて

ああ、確かにと思った。





真逆の関心対象へのこだわりも

元を辿れば同じ思いから発生していて、

自分が大切にしているものをないがしろにしている事への嫌悪感なんだ

というのがわかったりした。

それが崇高かと言えば

自分もそれに執着していて

結局はどちらも自分自身の問題だという事になる。





離れた家族に対する怒りや憎しみも

自分と同じものを抱えた相手に対して

私で言えば「相手ばかりがなぜ許されるのか」

というものだったりする。

結局は欲しかったものは同じで

自分だけが提供させられる側に回っていたからかと思った。

見方を変えれば

同じものを求めていた相手も

そう思う経験から生まれた思い込みがあったという事で、

元家族の育った背景を考えれば納得も出来た。





嫌悪を感じる相手が全て写し鏡だとは思っていないけど

特に強烈な思いを感じる相手には

何かしら自分の中に反応している要素があるんだな。





元義母が立場が悪くなりそうになると嘘と作り話をするのも

話題が自分の事になると【責められる】という発想になり

それを回避する為に自分には責任がないというアピールの為にした事だった。

実際にはそんな話ではなくても

自分のした事に話が及ぶと【責められる】と感じるのも

そう思う経験があったからだろうし

それを軽蔑していた私は

嘘や作り話のほうにばかり目を向けていたけど

そう思う背景を見ていたわけではない。





自分の力で相手の思い癖を変えられたかと言えば無理な話。

かつては【私がこうしていたら…】とよく思ったけど

それは本人の問題で、

本人が自分の問題点と向き合う気持ちがなければどうにもならないから

私が責任を感じる事ではないというのも今はわかる。

ただ、自分の側から見た不平不満とは違う見方をする事は出来たかもしれない。





家族は最も強く根深い感情が絡む相手ではあるけれど

今思えば似た者同士だったんだなと思う。

最も嫌いな部分は自分の中に多分に同じ要素を含んでいる。

真逆の事をしたりさせたりしていても

反応が違うだけで必要だったものは同じ。

どちらか一方が悪かったわけではないんだな。





その時に学ぶチャンスを逃したのもお互い様だったのかもしれない。

離れたのは別の道でそれを学べる事を知ったからだったり

どちらかがもうやり尽くしたからだったり

他の場所なら・他の相手なら

望むものが得られるかもしれないという逃げだったり…

でも、逃げであったとしても

逃げた先で自分と向き合う気持ちがあれば

それもいつかは解消されるんだろうと思う。